第16話 ボス戦

「待てっ、この体勢のまま動いたら……!」


 志依の腰を下ろす行為に刺激され、俺の体は反応してしまう。

 それは志依も同じようで、あんっと悩ましい声を上げながら背中を反り返した。


「もうっ、何やってんの高校生!」

「す、すみません!」


 これはさすがに面目ない。


「つか、それよりも男っ、男はどうなってます!?」

「はいはいはいはいはい、大丈夫大丈夫。僕が撮れないようにしてるからね」


 お兄さんは目を眇めながら刺々しく言うと、一応電子機器には干渉出来るんだよと続けてさらに念じる。


「うわっ、すげ! 勝手にテレビが点いた!」

「びっくりさせてごめんね、志依ちゃん。でも本当に悪いけど、もう一度怖がらせるよ?」


 驚く俺を無視して、お兄さんは志依に意味深長な台詞を吐くと再び念じる。

 すると何が流れているのかも判別出来ないくらいバグっていたパソコン画面が、プツンと音を立ててブラックアウトした。

 直後パソコンに映し出されたのは、スマホから削除したはずの志依の盗撮写真だった。


 またブラックアウトして画面が切り替わる。

 電気も点けない暗闇の中、玄関の覗き穴から志依の部屋に向かってスマホを構えている男の上半身うしろすがたが映った。


「え……まさかこれって、お兄さんがさっき話していたやつですよね!?」


 覗き穴に添え当てるスマホを見ると、志依の部屋が待ち受けのようになっていた。

 ブラックアウト。画面が切り替わる。

 ニタニタした様子でパソコンを眺める男の横顔が映る。

 その画面には、撮ったばかりと思われる志依の部屋と、志依の写真で溢れていた。


 男は驚愕し、志依はショックで言葉を失ってしまった。


「そう。僕の記憶を反映させたんだ。そんなことよりも高校生、君はいつまでその体勢でいるつもり? 男にはスカートの中が見えても、僕には君が邪魔で見えないんだからねー?」


 お兄さんの白眼視に俺は我に返ると、慌てて志依から体を離した。


 つかおかしいだろ、君が邪魔って。そこは逆だろ、逆。僕には見えなくても男には~、が正しいだろうが。


 そんなツッコミが頭に過ったけど、悠長にしている場合ではない。男がテレビ画面に気を取られている間に、志依を早いところ立ち上がらせなければ。


 そう思って俺は介助のため隣から志依の肩を抱いた。

 頼りない細い体が震えているのがわかった。


「志依……。志依、俺も一緒に居るから勇気出せるな? ここから出るぞ」


 志依は俺の方に視線を向けると、小さく頷いてくれた。

 その潤んだ瞳に俺の姿は映っていない。だけど俺は、志依の助けを乞うような眼差しを見た。


「あはは……一体どうなっているんだよこれ……まぁバレたらしょうがないかぁ」


 男はネジが外れたみたいにそう笑って、よろよろと立ち上がった。俺に支えられる志依の元へと近付いていく歩き方が、まるでゾンビのようで気持ち悪い。


「幽霊さん……」

「大丈夫だ。俺の後ろに隠れていろ。必ず無事に脱出させてやる……」


 俺は男の前に立ちはだかって拳を突き出す。透けた。でもこんなやり方は志依が喜ばないだろうから、かえって良かったかもしれない。


「じゃあこれならどうだ!」


 お兄さんの真似事をして俺は集中する。

 イメージ、イメージだ。

 すると頭に描いていたように、散乱していた荷物が1つ1つと宙に浮かび始めた。

 いいぞ、よし!


「喰らえ!!」


 志位の手を取って後ろに下がる俺とは逆に、浮遊していた荷物は一斉に男へと飛んでいく。

 洋服だったりタオルだったりと、俺が浮かべられたのはどれも軽いものだったが、自分たちの巣を狙いに来たスズメバチを襲撃するミツバチの如く、群れを成した荷物が男に突っ込んだ。

 1つ1つは柔いかもしれないが、折り重なればそこそこヘビーだ。

 しかも顔に張り付けば息が危ういし、手や足に巻き付けば身動きが容易ではなくなる。


 男が倒れたところで、勢いよく玄関のドアが開いた。

 ビビった。俺の集中が途切れると、男を襲っていた荷物も事切れた。


「すまない! 君っ、志依を見ていないか!? 肩に付くくらいの髪の長さの女の子なんだが!」

「お父さん!?」


 入って来たのは、顔面を蒼白させた志依の父親だった。その後ろにはお兄さんの姿。


「やっぱりドアの鍵を開けておいて正解だったな」

「でも僕がお父さんを誘導してきてあげたんだからね?」


 まさか娘が居るとは思わなかったのだろう。しかも奥には娘の静止画が並んでいる。

 娘を誘拐して監禁し、卑猥なプレーが行われる。まさにそんな状況が想像出来てしまうような光景に、父親の点になっていた目が怒りでつり上がった。


「お前っ、よくも私の可愛い娘を……! おまわりさんこっちです!」


 どうやら既に警官を呼んでいたらしい。

 表に向かって叫んだ父親の言葉と階段を駆け上がる足音に、男はおののき逃げ出そうとした。


「させねーよ!」


 だが俺がする前に、男は巻き付いていた荷物に足を取られて転倒する。父親は間髪入れずに男へ馬乗りになった。

 気迫がすごい。でも暴力を振るうことなく、父親は警官が辿り着くまでの間ずっと、激しく抵抗する男に只々ただただ睨みを利かせていた。


 そして一件落着。

 程なくしてパトカーに連行させられる男の横で、志依と父親は被害者として警官から事情聴取を受けたのだった。


 とまぁ何だかんだ色々あったけど、今はもう俺たちは家へと戻って来ている。

 あー疲れた。体力というよりも気力? 霊力? 結構エネルギー使ったわ。

 だけど志依には、ちゃんとお灸を添えておかなければならない。


「いいか志依。いくら俺が男の部屋をぐちゃぐちゃにしたからって、お前が責任感じて行くことはないだろ。すげー危ねぇのわかんねーの?」

「ううん、わかるよ。たぶんお酒の所為だ……」

「酒ぇ? って、まさか飲んだのか!?」

「うん……。お父さんがお風呂に入ってる時に……缶の底に残ってたのをひと口だけ……」


 ひと口だけって、よくそれで酔えたな!


「いやいや、お前みたいな真面目なやつが何でそんなこと」

「……だって。だってお酒を飲むと、嫌なことが忘れられるんでしょ?」


 志依は上目遣いになって訊く。

 嫌なことって何だ? 俺のことか? 俺に裸を見られたことか?

 思い当たることばかりだったが、伏し目がちになる志依の愁いを帯びた表情を見て、別の理由があるような気がした。


「志依?」

「ううん、違う。嫌なことじゃないよね。私がそんな風に思うなんて最低だもん。だって私は——あ……」


 いじらしくて、気付いたら俺は志依の唇を奪っていた。


「嫌なことはこうして忘れるんだよ……」

「幽霊さん……」


 頬を包んだ手のひらからは熱が伝わってきて、志依は真っ赤な顔で俺を見上げていて、そのいたいけな瞳が濡れていて唇がぷるぷるで。

 つまりは、やばいくらいに可愛い……。


 お兄さんはエネルギー切れで玄関でぐったりしているし、心配していた父親からも解放されて、部屋には俺と志依の2人っきりだった。


 あー押し倒したい。

 だけどその感情以上に俺は怒っている。いや、不安だった。あの男に何かされるんじゃないかって、すっげー怖かった。


「馬鹿っ。本当にまじで心配したんだからな! 酔っぱらっていたとはいえ、男の家にお前1人で上がり込むなんて女子がすることかよ! 酒は飲んでも飲まれるなって言うだろっ? つか、お前はまだ未成年だし!」

「うん……そうだよね。ごめんね?」

「あああ、謝るくらいならするな、全く。まぁぁ無事だったから良かったけどさぁぁ(頼むからそんな目で見るなって)。それに……俺も悪かった。もっと早くお前を止めてやれば良かった」

「ううん、ありがとう幽霊さん。幽霊さんが居なかったら、きっと私……」

「っ、志依!?」


 俺は倒れそうになる志依を抱き留めた。


「顔が真っ青だ……」


 酒か? いや、俺が近くに居る所為かもな……。


「寝ちまったか」


 俺は志依をそっとベッドに寝かせると、すり抜けた部屋のドアに凭れて眠るように瞼を閉じた。

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