第11話 お兄さんとエプロン男
俺も。志依にそう返事をしようと思った矢先、尻もちをついた。
驚く俺の目の前には黒のスラックスが見えて、つまりお兄さんに投げ飛ばされたんだと気付いた。
怒りに噴出したが、あまり長く体の中へ入りっぱなしだと志依に負担が掛かるからと説明してきて、お兄さんは俺に笑顔で謝った。けど。
「そんな風に言われたからって、腑に落ちるかよ全く……」
「幽霊さん?」
「な、何でもねーから!」
目は合わないが、志依は俺から視線を逸らすと再びフライパンを振る。
たまに感情が顔を出すけど、相変わらず無表情なやつだ。
今は19時過ぎ。どういうわけか母親の姿はなく、志依が夕食を作っている。
「いやいや謝ったじゃん。根に持たないでよ。それにあれは志依ちゃんのためだって」
『……だから何でもないですって』
「えー? 声が小さくて聞こえなーいっ」
隣に居るのに、うるせーな。ぜってーコソコソ話す俺への当てつけだ、くそぅ。
お兄さんに投げ飛ばされてからは憑依をしていないけど、俺の声は今も志依に聞こえているようだ。
俺を認識してくれたからだろうか。
それはそうと……
『あいつ本当邪魔ですね』
「んっね!」
『……(ムカッ)』
時は2時間ほど前まで遡る。要するに俺が投げ飛ばされた後。
悔しいが、お兄さんが指摘したように志依は俺たちにだいぶ生気を奪われていた。
志依は自室へ戻るとベッドに蹲ってしまったんだ。
程なくして静かに寝息を立て始めた志依を前にすることはなく……いや、本音を言えば幾らでもしたいことはあった。
好きな子が薄着で眠っているんだから。
でも自分たちのせいでくたくたになった志依にちょっかいを出すほど、俺たちは落ちぶれていない。
だから俺たちもベッドに転がり込んで、志依の無垢な寝顔(と無防備な格好)を楽しんでいた。
そんな時だ。
「うわ!」
『ちょっと、志依ちゃん起きちゃうでしょ?』
『お兄さんは小声じゃなくても平気ですよ? って、そんなことよりもあれ!』
「ちょっと何それ、ムカつくんだけ——」
俺の指差す方を見て、お兄さんは飛び起きた。エプロンを着た男が一直線に俺たちへと向かって来たからだ。
ドアが開く音なんてしなかったし、きっと同類だろう。
男は俺たちなんて眼中にないらしい。志依に覆いかぶさった。
『ふざけんなお前! 志依から離れろ!』
出来るだけ声は抑えて、俺は男に掴みかかった。もちろんお兄さんもだ。
そうして両側から男を引き離しにかかったけど、2人とも透けてしまって掴めない。
さっきは出来たのに何でだよと混乱した。
『ちょっとお兄さんっ、何諦めてるんですか!』
「いやこれ、たぶん
「えっ、生霊……?」
「うん。まぁ志依ちゃん可愛いから初めてじゃないけどさ、ちょっと厄介なんだよね」
そう言ってお兄さんは苦笑した。
「どういうことですか?」
「霊と言っても、生きた人間の念なんだよこいつ。つまり思念体だから俺たちと波長が合うことはないし、実体がないから霊感がどうこうの話じゃなくて、そもそも触れられやしないものなんだ。でも念を向けられた相手には触れられる。こいつの場合は志依ちゃんにだね。で、志依ちゃんはそれがわかるタイプだから……」
「実害が出るんですね?」
どの口が言っているんだよ。俺の頭の片隅で、天使か悪魔のどっちかがそう棘を指す。
でも認めない。俺とは違うと思った。
「けど志依のやつ疲れてるし、調子悪いから大丈夫ですよね? 今も眠ったままだし……」
「いや、君のことで霊感が上がっていそうだからどうだろう。それに……いずれ僕のことも認識してくれる日が来るかもしれないよ?」
お兄さんはじっと俺の顔を見据えて言った。
何だよお兄さん、やっぱり志依のこと……
「って、今そんなことどうでもいいです! あっ」
思わず大声をあげてしまった。うぅぅん……と志依は眠ったまま可愛く唸る。
「いやいやそうですよ! 起こしちゃえばいいですよね!?」
「ううん、駄目。意味ないよ。だって念だからさ。こいつが志依ちゃん以外の人でも何かでも気が向かない限り、消えてはくれないんだよ」
「な……でも」
男の念を察したのか、志依の眉間に皺が寄る。
男はそんな様子を静かに眺めていたが、志依に顔を近付けて何かを囁き始めた。
「黙って見てられません……」
「まぁこいつは大人だし、エプロンを着てるからきっと仕事中なんだと思う。休憩中か何かに、ふと志依ちゃんのことでも考えて念を飛ばしたんじゃないかな? 少ししたら居なくなると思うし、耐えようか。はぁ。余計なことしてくれるよ、ほん……待って。あいつが志依ちゃんに怖い夢を見せているのかもしれない。起こすよ!」
「は……?」
お兄さんが言うように志依は悪夢を見ているのか、苦しそうに唸り始めた。
志依も悪夢くらいこれまでに何度か見たことがあるだろう。俺だってある。
でも干渉されて見るなら、話が別だと思った。
俺は慌てて憑依しようとしたが、まるで男がバリアになっているみたいで、志依の中へは入れなかった。
「くそ! おいっ、起きろ!!」
「志依ちゃん! 起きて!」
体を揺さぶろうにも、触れることが出来ない。
お兄さんは必死に志依を呼びながら、今波長が合ってしまっているのは俺ではなくて男のようだと推測していた。
「夢……? 良かった……」
「志依っ、大丈夫か!?」
「……どうやら聞こえていないみたいだね」
「そんな……」
志依は目を覚ますと、俺たちの心配をよそにホッとした表情を浮かべる。
鼓動が速いのか、胸に手を添え当てながら体を起こした。そして、
「そうだ……お買い物に行かなきゃ……」
志依が呟いた言葉に、男は薄ら笑いを浮かべたのだった。
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