第10話 ノーカン

「今の声。確か前にも聞いたことがある……」


 志依はそう呟いた後、とろとろになった表情をハッとさせて頬を染めた。

 胸が、ひくっとした。


「そんなに分かりやすくショックを受けないでよ。僕と志依ちゃんは今、波長が合って同調しているんだからね。一瞬だけだけど僕の声が聞こえたんだよ」

「波長?」


 つかこれまで志依に何してきたんだよ……。


「睨まないでよ。それに悪いけどこれが初めてじゃないし。上でも話しただろう? 志依ちゃんは調子がいいと霊感が強くなるんだ。ただ君とは違って一方的だけどね、ってさ」

「つまり今は調子がいいってことですか?」

「まさか。違うよ。確かにあんなことをされた友達から解放されて隙が生まれてるけど、調子がいいってわけじゃあない。むしろずっと良くなかったし……」

「じゃあどうして……。つか、何で睨まれないといけないんですかっ」

「……邪魔ばっかりするからでしょ? いい? 僕たちみたいのが近くに居ると、志依ちゃんはになりやすいんだよ。だから僕たちとも波長が合うし、上手く同調が出来たら声だって届くこともある。隙が出来たら狙われやすくもなる」


 わかった? と、お兄さんは強い口調で言った。

 俺に背を向けるとしゃがんで、玄関で座ったままの志依を後ろから抱きしめる。


「ちょ……」

「怖がらないでいいよ。僕がさっきの続きをしてあげる」


 お兄さんは俺を無視して、そう志依の耳元で囁いた。


「え……? あ……ゃっ」

「ふふ、気持ちいね……もっと声我慢しないで聞かせてよ。ほらここすごい、もうこんなになって——」

めてください! 志依!」


 俺は志依に向かって駆けた。

 驚いて振り返ったお兄さんを飛び越えて、俺は志依の中へと入った。


(志依っ、聞こえるか!? 早く立て!)

(へ? な、何? うわっ)


 憑依したまま力を込めてぐっと自分の体を引き上げると、志依の体も少しだけ持ち上がった。

 自分の意図しない動きに、志依は前のめりになって膝をついてしまったが、お兄さんの腕の中からは解放されたようだった。


(くそ~、ぱんつ見えてるだろうなぁ)

(えっ、ぱ、ぱんつ?)


 つい心の声が漏れてしまった。志依は裾が捲れ上がっていると思ったのか、慌ててスカートを押さえる。

 俺は振り返った志依のついでに、後ろに居るお兄さんを見た。お兄さんは悔しそうに苦笑いをしていた。


 志依は我に返ったようで、ほとぼりも冷めたらしい。すくっと立ち上がった。


(志依、大丈夫か?)

(う、うん。助けてくれてありがとう)

(お、おう……)


 ドキドキドキ。


(はぁ。ドキドキする……)


 やばいっ、俺のが移ってる。これが同調ってやつか?


(ま、まぁ変なことされて怖かったんだろう。落ち着けって)


 俺がな。


(う、うん。あ、あの貴方ってもしかして……幽霊さんですか……?)


 心臓が違う意味で高鳴った。

 お兄さんから色々と聞いた今、志依にとって俺は邪魔な存在だと知った。


 志依に拒否されたら……


 不安になって視線を泳がすと、志依越しにお兄さんと目が合った。

 白眼視を向けられていた。かと思ったら、志依のスカートを見上げている。


(志依、一旦ここを離れた方がいい。ぱんつが見えてる)


 え! っと声を上げて、志依はスカートを押さえながら家の廊下へと一歩踏み出した。

 でもそこにはお兄さんが居る。俺は急いで自分の体に力を入れて、志依を引き留めた。


(ばかっ。駄目だって、そこはモロだっ。ああもういい、早く進んで。早くっ)

(う、うん?)


 ここで立ち往生した方が丸見えだ。背に腹は代えられないと思って俺は志依を促すことにしたが、やっぱり胸がひくっとした。


 通り抜けていく時、お兄さんは俺にこれでチャラにしてあげるよと言って、安いだろ? と続けた。

 安いものか。さっきだって志依の体に触れられてすげー嫌な気分だったし、まだ引き摺ってる。


 俺が黙っていると志依は小首を傾げた。どうやらお兄さんの声はもう、志依には聞こえてないようだった。


(いいか志依。俺は幽霊だけど、悪い幽霊じゃない。今みたいに襲われたら助けてやるから)

(やっぱり幽霊さんなんだ……)

(こ、怖いか?)


 俺が訊くと、志依は立ち止まって首を静かに横へ振った。

 でも何でだろうと、んーと志依は考え込んでしまった。

 幽霊に憑りつかれて平気でいられるのは俺にはわからないが、そういうところが志依らしいと思った。

 だから憑りつかれるんだろうけど。


(あっ、きっと今までの不思議なことが、幽霊さんの仕業だってことがわかったからだ。……ゆ、幽霊さんってえっちなんだね)


 志依は顔を赤くしたみたいだ。俺にもそれが伝わってきた。

 あードキドキする。


(ま、待てよ。それは全部俺じゃないから勘違いするな。それに幽霊が相手だ。実際にして……触られているわけじゃない。ノーカンだっ)


 気持ちがバレそうで、俺は堪らず志依から出ることにした。


(すまんが1回抜け——)

(じゃあさっきお風呂でキスしたのも、ノーカン……?)

(……え)


 半身だけ志依の体から出したところで、思わず俺は振り返った。

 志依の鼓動と同時に、潤んだ瞳が飛び込む。


(ファーストキスだったんだぁ……)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る