第11話 『 シーザー 』

「シーザー、見なかった?」

 妻がそう尋ねるまで、僕はそのことにちっとも気づいていなかった。

「知らない」 僕は首を横に振った。

 シーザーというのは家の飼い猫のこと。全体的に白毛でそれに灰色の虎縞が混じる雑種だ。去年の冬に妻が外から拾ってきて、そのまま居着いてしまった。

「どこ行っちゃったんだろ?」

「さあ… 」

「さあって、あなたってどうしてそう薄情なの?」

 妻は不機嫌そうに言う。

 あえて口にはしないが、確かに僕はあの猫に関して幾分薄情だと思う。理由は簡単だ。 僕は猫が苦手だから。 そしてプロの探偵だから。いづれにしても余計な関わり合いは面倒の元だ。「そのうち鈴鳴らして帰ってくるさ。いつもの日向ぼっこだろ」

「気軽に言わないでよ。あの子は足が悪いのよ」

 言われて思い出した。そうなのだ。あの猫は、 シーザーは家に来たときから片足をひどく引きずっていた。 見ると誰かひどいやつにやられたのだろう、 右足の先が潰れてヒラヒラの状態になっ ていた。妻は早速病院に連れて行ったが、結局完治は無理だった。 そして、名前を決めるとき妻は、 それでも強く生きていけるように『シーザー』なんて大仰な名前を思い付いたのだ。

「ねえ、 あなたの力で居場所分からないの?」

 妻はとうとう思いあぐねたように言った。 僕はいつものように少々、 それでいて本格的にうんざりした気持ちになる。

「あのさ、 度々言うようだけど僕のは遊びじゃないんだぜ。生活の糧に繋がる数少ない僕の取り柄の一つなんだから」僕は珍しくエモーショナルになる。


 しかし、そうは云っても結局僕は妻に協力することになる。 僕は猫の1・5倍くらい妻の泣き顔が苦手なのだ。

「お願い」

 その言葉に直接は応えず、僕はさっさと事を済ませてしまおうと目を閉じる。それは言い換えれば、 リズムとメロディーも曖昧なその種の音楽の中からひとつの微小な音の連なりを探すような作業に似ている。 集中しなければできないし、 かと云って必ず探し出せるという保証もない。 できるのはただ耳を澄ますことだけ。ノーマルな興信所の職員と違うのは、僕にはそれを家に居ながらできるということ。ただそれだけ。時には足で探したほうが早い場合もままあるほどだ。

 幸いシーザーのそれはここ何度かの作業で馴染がある。多分上手くいくだろう。

「ね、 まだ?」

「うるさい。 ちょっと黙ってて」

堪え性のない妻に僕はクギを刺す。僕も『探し屋』の端くれだ。やるときは本気だ。

「それにしてもあなたっていつも家にいるのね。 それじやグリーンの意味ないじゃない。たまには外に出て散歩でもすればいいのに、シーザーと」

 世間には誰かに事を委ねると途端に他人事のようなことを言う人種がいるが、妻も時折その一員になるらしい。

 空気が悪いんだよ。それに僕は子どもの頃から熱中症で倒れまくってたんだ。僕は心の中で妻をそう諭す。 だから休日には部屋でぐったりとしていたい。 オ ーラシャワーなんて要らない。グリーンにだって普通の食事をする権利だってあるだろう?

 チリン。

 その時、僕のセンスに触れる音がした。シーザーだ。

 よしよし。 今日は割と早く終われる。あと半日は寝て過ごせるぞ。

「あら、シーザーお帰り。どこ行ってたの?」

 妻の言葉とともに、意に反してシーザーの気配が僕のすぐ傍らでする。僕はそっと目を開ける。

「ニヤアアア」 彼の聞き慣れた掠れ声。

「お前、近くにいたのか」

「なーんだ、結局自分で帰ってきたのね。お利口ね、シーザー」

 シーザーは妻の言葉には応えず、下半身をヒョコヒョコさせながら僕の膝の上に乗ろうとする。

 おい、止せ。お前の足は泥だらけだろう。

 しかし彼は意に介さず、と云うより半確信犯的にそのまま居を決め付ける。

「おいおい、俺はこれから昼寝するんだ。お前に構っていられないんだよ」

 そこに傾いた午後の太陽から一筋の光が差し込んで来て、シーザーのいる辺りがまばゆく照らされる。

「あら。シーザー、またお昼寝?あんたは良いご身分ね」

 妻が満更でもなさそうに微笑む。仕方なく僕は彼の頭に付いた埃をはたいて取ってやる。

 やれやれ、任務終了。

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『 緑の人 』 桂英太郎 @0348

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