第4話 『 ユリに寄せて 』
またあの人が来ている。出動あるいは帰宅途中なのか?それともこの店に来るのが本来の目的?どちらにしてもあの人は店先の白いユリを前に、一週間も前から立ち続けている。
「ミドリもの同志、通じ合うところがあるんじゃない」
先輩で、この店のチーフ・フローリストの舞さんが言った。
「しっ。先輩、変に受け取られたらどうするんですか?」
私は客の様子を盗み見てから言った。
「あの…」
背後で澄んだ声がした。
「はい」思わず私は二、三音高い声で応えた。ホラ、言わんこっちゃない。舞さんたら…。
「差し出がましいことなんですが…」
私が振り向くと、その薄緑の美しい顔立ちの女性は少し言い淀んだ。
「…何か?」
「はい、あのテッポウユリのことなんですが…というか、あれはテッポウユリじゃないんです、きっと」
「え?」と私。
「多分タカサゴユリじゃないかって。あ、でも交配種もあるので私もよくは分からないんですけど」彼女は今度は照れくさそうに言った。「でも気になったので」
「あなた、詳しいの?」
私が振り向くと、舞さんがそこに半ば仁王立ちしていた。私は瞬間「いけない」と思った。プライドの高い舞さんのあの格好は明らかにハザードランプだ。きっと何か言い出すに違いない。こんな時の舞さんは相手容赦ない。私は自分の喉からじんわりと水気が失せていくのを感じた。
「いえ」グリーンの彼女は驚いた顔で言った。
「じゃ、どうして分かるの?もしかしてそれ、あなたの特異能力?」
「そういうわけじゃ…。実は私、祖母が台湾人なんです。タカサゴユリは元々台湾が原産らしくて、祖母が好きなんです。それで」
舞さんはしばし黙っていた。おそらく彼女の頭の中では、パンチの効く次なる文句が渦巻いているのだろう。
「どうして何日も前から店先で眺めてたの?その場で言えばいいじゃない。確かめるだけならタダなんだから」
「実は入院していた祖母の具合が急に悪くなって」グリーンの彼女は少し淋しそうに笑った。「…しばらく前から世話をしには通ってたんですけど。その前に祖母が『ユリが見たい』と言ったことがあって、どうせなら生まれ故郷のユリを見せてあげようと方々の花屋さんを探してみたんですが、テッポウユリはあってもタカサゴユリはなかなか見つからなかったんです」
「花期が少し違うからね」
「はい。それで諦めかけてたらこちらの店先で偶然見かけて。でも最初はやっぱり違うって思って。慌ててたし、そのまま帰っちゃったんです」
舞さんは相変わらず相手の顔を食い入るように見ている。
「で、気になってそれから通ってたってわけ?」
「ええ」
「ふうん…」
やばい。私は咄嗟にそう思った。舞さんの『ふうん…』の次は、相手がどこの誰だろうが間違いなくその急所を撃ち抜く。公平に、平等に。舞さんほどのフローリストが支店に回され続けているのは、実はその辺の所に原因があるらしいことはパート仲間では周知のこと。多分舞さん自身も。それでも相手が社長だろうが、上司だろうが、もちろん同僚だろうが、その時と場に居合わせたら自分自身を抑えることができない。有能なフローリストの舞さんは謂わば肉食獣なのだ。でも相手は一応お客。いくら舞さんでもそれは…。私の心は大きく揺れた。
「で、あんたのおばあちゃん、優しい人?」
私はあれ、と思った。言われた彼女も少し戸惑った顔をしている。
「はい。こんなグリーンの孫でも『いいかい。正直に生きていればどうにかこうにかやっていける。世の中は厳しくはあるけど、冷たくはないからね。おばあちゃんがそうだった』そういつも言ってました。だから私、ユリを見てるとおばあちゃんに思えて仕方がないんです。華奢で、品があって」
「…じゃ、あんたのおばあちゃん」
「はい、三日前に亡くなりました。ユリは間に合いませんでしたが、でも大往生です。立派な人生だったと思います」
私も、おそらく舞さんもそのとき彼女の目に雫が滲むのを見た。
「分かった。後でもう一度卸しに調べてもらうよ。それで間違いがあったら訂正する」
「いいんですか?」
「こっちも客商売だからね。嘘はつけないよ」
「ありがとう」
「あ、よし子さん」
「はい」急に振られて私は慌てる。
「あの花、包んでくれる?」
「あ、そんな」グリーンの彼女はすぐに反応した。
「いいって。これはあんたにじゃない。おばあちゃんへの気持ち」
舞さんの言葉に彼女の動きが止まった。「有難うございます」
それから舞さんは彼女を正面に見据えて言った。
「いろいろあるとは思うけど、お互い…ケッパロウや」
「え?」
「私の故郷の言葉。『頑張ろう』ってこと」
「あ、ああ…。はい」
彼女もきっぱりとそれに返事をした。
やがて彼女はもう一度深々と私たちに頭を下げて店を出ていった。手に私が包装したユリの束を抱えて。
「舞さん、良いことをしましたね」
「そう?」その時、私は舞さんのはにかみを初めて見た。
「でも、あの子のおばあちゃんのこと考えるとね…」不意に舞さんが背中を向け、傍らにあったユリの入れ物を手にした。そして未だ素性の定まらないユリを見た。
「後に残される方も大変だけど、後に遺していく方も切ないんじゃないかな。そう思わない、よし子さん?」
私は舞さんを見ながらふと彼女のおばあちゃんに思いを馳せた。
「そうですね」
私にはその時、舞さんにそれだけしか応えられなかった。
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