第30話 雷の夜の出来事と魁堂鉄の着物



「ふぉ、ふぉ。萬姜さん。深夜、白麗さまの部屋に忍び込んだ荘さんを追い払ったそうではないか。おまえさんの荘さんを相手の武勇伝は、しっかりとこの老人の耳に入っておるぞ」


「いえ、あれは……。そういう話ではなくて! 宗主さまはそのようなお方ではありません!」


 驚いた萬姜は立ち上がり、顔を真っ赤にして舜老人の言葉を否定した。


「雷を怖がられたお嬢さまを、宗主さまはお嬢さまのお部屋で慰められたまでのこと。しばらくして雷も止み、お嬢さまも落ち着かれましたので、宗主さまはすぐにご自分の部屋へと戻られました」


 允陶もまた彼にしては珍しくうろたえて、どもりながら否定する。


「な、な、なんと。そのような噂話がご老人の耳に! しかし、あの夜に起きましたことは、いま萬姜が申しました通りでございます。決して、宗主に下卑た下心があったなどとは!」


「まあ、お二人とも、そのようにムキにならんでもよかろうぞ。白麗さまはお美しいお方だ。男であれば、そのような気になって当然のこと。それにな、荘さんにとって白麗さまは三十年かけて探し求めたお方でもある。允さん、わしももう少し若ければと思わんでもないぞ」


「白麗さまは荘本家の大切なお客人。ご老人といえども、そのような憶測はおやめください」


「允さん、そう怒らんでもよかろう。まあ、それほどに白麗さまは皆に可愛がられ大切に守られていると知って、わしも嬉しいぞ」


 その言葉に、立ち上がっていた萬姜は自分の無作法に気づいて座り直し、允陶もいつもの慇懃な顔に戻った。その様子に自分の思惑があたったとばかりに、舜庭生は「ふぉ、ふぉ、ふぉ」と笑う。しかし、笑い終わるとまじめな声と顔になった。


「白麗さまはそれほどに、夜の雷鳴がお嫌いなのか。それはなぜであろうな? この中華大陸をさまよっておられることと関係があられるのか? そもそもなぜに中華大陸をさまよっておられるのか? わしはいま蔵の中に溜め込んだ書物を引っ張りだして、あれこれと読み漁っているところじゃ。その謎に少しでもせまって、白麗さまをお助け申し上げたいと思ってな」


 舜老人の言葉に、萬姜と允陶は大きく頷いた。同時に、部屋にしばしの静寂が満ちた。遠くから犬の吠え声と嬉児の甲高い楽しそうな声が聞こえてくる。舜老人が「おお、そうじゃ、允さん」と言い、ぽんと手を打った。


「仔犬を一匹さしあげようぞ。あれらの親犬の性質はよい。白麗さまと嬉児ちゃんのよい遊び相手となり、成犬となればよい番犬となるに違いない」




※ ※ ※


 白麗たち一行が彩楽堂と舜老人の屋敷を訪れ、その帰りに市で買い物も楽しんで三日が過ぎた夜。


 隣の部屋で眠る女主人の寝息を確かめたあと、萬姜は昼間の内に彩楽堂から届いていた布包みを開けた。中には、男ものの渋い柄の反物が入っている。燭台の灯心を短くしているので部屋は薄暗い。しかしそのような薄闇でも、太い木綿で固く織られている布地のよさはよくわかる。縫えば、丈夫で暖かい着物が出来上がることだろう。


 あの日の帰り際、男ものの反物が、それも大きい体に合わせた広いものが欲しいと頼んだ時、彩楽堂は即座に答えた。


「それは魁さまのですか? 彩楽堂では武人の着物は扱っておりません」

 その口調が子どものそれのように拗ねている。


「あっ、いいえ……。魁さまは体に合ったお着物に不自由されているご様子なので。それにわたしはあのようにおおきなお人の着物は今までに縫ったことがなくて。それで、縫ってみたくなりました」


「そうですか。そうまで言われるのであれば、わたくしも商売人です。いつもお世話になっている萬姜さんの頼みを、お断りすることは出来ません。心当たりを探してみましょう。ただし、お代はきちんといただきますよ。それがわたくしの出来る精いっぱいの腹いせです」


「も、もちろんです、お支払いいたします」


 彩楽堂の言う腹いせとはなんのことであるかわからないが、あの口調では反物が届けられたとしても当分先のことだと思っていた。それがたった三日後に、そして彼女が思い描いていたとおりの柄もよく丈夫な布地が届けられた。


 反物をそっと撫でる。そして、慶央の西、越山国との国境に長々と横たわる六鹿山に想いを馳せる。三日前に舞った雪は慶央では積もらなかったが、六鹿山では大雪となったに違いない。そしてさぞや寒いことだろう。


 厳しい任務だとの噂だ。お怪我のないようにと思う、そしてこの寒さで体を壊さないようにと思う。着物を一針一針心をこめて縫っていれば、凍てつく冬空を西へと飛び越えてこの願いはあの方のもとへ届くのだろうか。


 音を立てて隣の部屋の少女の眠りを邪魔しないようにと心を配りながら、広さを確かめるために布地を広げると、白い紙が挟まれていた。そっと広げると彩楽堂からの文だ。


 人当たりのよい商売人らしい丸みのある字がならんでいる。幸いにも萬姜は少しであるが字が読める。そのことを知ってか知らずか、彩楽堂の文の内容は、噛み砕くようにわかりやすく易しい。ふと気づく。きっと学のない自分にもわかりやすいようにと心を配ってくれたのだろう。


 武人の着物は動きがはげしいゆえに、ゆったりと丈夫にぬうように。

 かわよろいですれる部分は、布を二重にほきょうするように。

 武人はつねに上衣の袖口とずぼんの裾をかわひもでしばるために、はじめから袖口と裾をしぼってボタンどめにしておくと脱ぎ着がかんたんになる。

 

 箇条書きに書かれた内容はそっけないが、人に喜んで着てもらえる着物を作るという二人の想いは同じだとあらためて思う。そして文の最後に書かれたあまりにも安い反物の代金に、思わず萬姜はその豊満な胸に文を抱きしめた。



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