第39話 お嬢さまに猛犬までもが懐く


 彩楽堂の次はいつも必ず古物商の舜老人の屋敷に立ち寄る。


 彩楽堂に滞在中に舞い始めた雪は止む気配がなく、慶央の街を銀色の世界に変え、そして屋敷の前に立つ老人の両肩にも白い模様を作っていた。


「ご老人、このように冷え込む日に外で待っておられるとは。お体に障りましょう」


 允陶の気遣いに舜庭生は答える。


「なんのなんの、これしきの雪。お嬢ちゃんを迎える喜びの前では、すぐに溶ける」


 そう言いながら袖の中に引っ込めていた皺だらけの両手を出すと、目の前に立つ少女の手を包みこむように握り歓待の意を表した。彩楽堂の歓待ぶりには商売絡みの思惑がなくもないが、舜老人のそれは目の中に入れても痛くない孫娘を愛おしむ姿に萬姜には見えた。


 まだ大人にはなりきれていない少女の背丈と舜老人の背丈は、向かい合って立てば同じほど。


 若い時から小柄な男だったのか、それとも老いて縮んだのか。本人が年齢を明らかにしないのでどちらともわからない。たがその矍鑠かくしゃくとした体の動きと人を食ったものの言い方からは、あの世からのお迎えはまだまだ先だろうと思わせる。


「お嬢ちゃん、わしの贈った白テンの毛皮が役に立っているようで、嬉しい限りじゃ」


 萬姜によって袖も裾も短く切られて動きやすい羽織物となった赤い着物を少女は着ていた。


 その羽織物の衿まわりを老人から贈られた白テンの毛皮が取り囲んで飾っている。少女が寒くないようにと、萬姜が夜なべして彩楽堂の着物を仕立て直しそして毛皮を縫いつけたのだ。


 そのふわふわとした毛の中に、少女の短く切り揃えた白い髪と美しい顔が半分埋まっている。その様子はいかにも暖かそうでそして神々しくさえある。


 さきほどの彩楽堂の屋敷の前の見送りで、長身をかがめて身を寄せた彩楽堂は萬姜の耳元でささやいた。彼の視線の先には、荘本家の宗主に寵愛されているという少女を一目見ようという物見高い人々が集まっている。


「萬姜さん、次にいらっしゃる時には、あの人々は皆、喜蝶さまのお着物を真似たものを着ていることでしょう。ただ、庶民に白テンは高価で手が出ませんから、白いウサギで代用するしかありませんが」


 萬姜がちらりと彩楽堂の顔を窺うと、さきほどまで園剋のことで深刻な顔をしていたとは思えない楽しそうな表情が浮かんでいる。

 彼は言葉を続けた。


「慶央近辺にいる白いウサギには気の毒な災難となるでしょうね」

「まあ、彩楽堂さまったら……」


「萬姜、ぐずぐずするな。はやく馬車に乗れ」

 すでに馬にまたがっている家令から叱責が飛んできた。


 萬姜からさっと身を離した彩楽堂が大きな声で言う。

「萬姜さん、彩楽堂がよろしくと申していたと舜ご老人にお伝えください」


「あっ、はい」

 慌てた萬姜は小走りで馬車に駆けた。

 



※ ※ ※


 舜庭生の屋敷の奥から犬の吠える声がする。


 貴重な骨董品が収められている蔵が建ち並ぶ舜庭生の屋敷では、番をさせるために犬を何頭か飼っている。その吠え声だけで、犬の体の大きさと気性の荒さが想像できる。


 だがいまのそれは盗賊を威嚇する吠え声ではない。


 話すこともできず記憶も長く保てない少女だが、獣を馴らす術にたけていた。猫も犬も馬も彼女の前で足を揃え従順に頭を垂らす。犬たちは少女に逢えた喜びと早く撫でてもらいたい催促で吠えているのだ。



 犬の吠え声に喜蝶が楽しんでいることを確かめた允陶が、いつものように舜老人に請われて手慣れた所作で茶を淹れはじめた。


 茶器を温めるために柄杓から零される湯の音にかぶさって、この日のために初めて甕の封を切るという茶葉の由来を舜老人が語る。


「慶央より遠く西にある山高く霧深い村里でしか栽培できない」

 彼は言った。


 夏の初めの早緑色の新芽だけを摘んでじっくりと蒸されて丹念に揉まれ、そうやってできた茶葉の形が雀の舌に似て細くとがっているから、その名はなんとかかんとか……。


 そしてその値は、なんと金の重さと同等だ。


 そのことに驚いて、味やら効用やらの老人の蘊蓄は、萬姜の右の耳から左の耳に素通りしてしまった。


 ものすごく高価で、だからありがたいお茶だということは理解できた。しかし、肝心の味の違いについてはそもそもわかりようがないのだからしかたがない。着物談義ならなんとか会話に加われるが、茶葉談義は蚊帳の外だ。


 老人と家令の会話に加わることは諦めて、萬姜は頭をめぐらして部屋の設えを見た。茶の味はわからないが、彩楽堂の屋敷とはまた違った豪奢な部屋だということはわかる。


 ……なんだか、家令さまの部屋の雰囲気に似ている……


 そう気がついて改めて楽しそうに話している二人を見た。二人はその年齢も見た目もまるで違うが、気の合う仲の良い父子のようだ。


 彼ら二人は類まれな審美眼の持ち主だ。


 この屋敷に女や子どもの気配はないので、舜庭生は天涯孤独の身なのだろう。

 允陶もまた妻帯していないのでもちろん子はいない。彼らほどの審美眼の持ち主には、生身の人の美醜などには興味は湧かないのかも知れない。


……お嬢さまの人とは思えない美しさを、お二人はまるで貴重な壺か一幅の絵のように愛でておられ、汚され壊されることを怖れられている……


 人を骨董品のように思うなどとは……。

 舜老人の屋敷の雰囲気に呑まれてしまったのか。


 我ながら変なことを考えてしまった。しかしながら、当たらずとも遠からずだとも萬姜は思う。




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