第26話 舜庭生という老人


 ぞろぞろとついてくる物見高い野次馬を引き連れて、彩楽堂を後にした少女と允陶と萬姜たち一行だった。


 次に訪れたのは舜庭生の屋敷だ。


 昨夜の允陶の話では、かなりの老人である舜庭生の生業なりわいは古物商だとのこと。しかし、舜庭生は彩楽堂のように門に扁額をかかげ店を構えているのではない。口頭で客の注文受けてから、屋敷の蔵の中や中華大陸に散らばる伝手を頼りにその品を、あるいは客が満足するような替わりの品を探しだしてくる。


「舜ご老人にそのようなことができるのは、お若いときに中華大陸を歩きまわって、ご自分が美しいと思われる品々を、またはその情報を集めてこられたからだ。そしてお歳を召され足腰弱くなられたのち、慶央に屋敷を構えられて落ち着かれた。だが、いまだにご老人の頭はまったく耄碌もうろくされていない」


 彩楽堂については事前の説明などまったくなかった。

 しかし舜老人のことについては、家令は萬姜を相手にめずらしく饒舌に語った。舜老人の人となりを語る家令の口調に尊敬をこえて親愛の情すら感じられる。


 子どもの頃に失火で裕福な暮らしと家を失い、一家離散となり天涯孤独の身となった允陶だ。その後、荘本家で薪割りと水汲みの仕事から家令の地位まで昇りつめた苦労は、筆舌につくしがたいものがあっただろう。そのために、彼は自分の感情を押し殺して誰に対しても心を許さず慇懃無礼にふるまう。

 そんな彼が熱く語るのは珍しい。


「舜ご老人の審美眼は天下一品だ。本物を見抜く眼と豊富な知識に、荘本家もたびたび世話になっている。このたび喜蝶さまが慶央の街に出向かれるにあたって、舜ご老人にもお会いするようにとは、宗主のご意向だ。明日の朝は支度に忙しいだろう。自室に戻ってよい」


「かしこまりました」


 家令の言葉に頭をさげて後ずさりながら、萬姜は思う。


 ……家令さまは舜ご老人の審美眼をたいそうお褒めになったけれど。家令さまの身の回りの品々へのご趣味も素晴らしい。もしかしたらお二人の間に深い関係があるのかしら?……




 舜庭生の屋敷は彩楽堂の店のある大通りから外れた場所にひっそりと建っていた。


 彩楽堂と違って目立たぬ門構えの屋敷だ。

 だが、高い土塀越しに軒を連ねた蔵の屋根がのぞいている。


 開け放たれた門扉の前に男と女たちが立っていた。

 その中心にいる、頭巾をかぶった小柄な老人が舜庭生だろう。


「ご来訪をいまかいまかと待っておりました。通りを何度も見渡しておりましたので、首が鶴のように長くなりましたぞ」


 馬車を降りた少女が老人の前に立つと、彼は枯れ木のように骨ばった染みだらけの両手で少女の手をとり包みこんだ。

 感極まった老人の頬を涙が伝っている。


「なんとまあ、お美しいお姿でございましょうか。わたくしが中華大陸を放浪していた若いときに、お嬢さまのお噂は何度か耳にいたしました。それゆえに、いつかはお会いできると信じていたときもありましたが。老いて歩くことが難しくなり……。わたくしと同じようにあなた様を探し求めている荘興という男が住むこの慶央に屋敷を構えて、閉じこもる日々でございました。それがなんとまあ、我が命が終わろうかというときに、お会いできることが叶うとは。まるで夢のようでございます」


 不思議な雰囲気を漂わせた老人だが、その言うこともまた不思議だ。


 しかし允陶は老人の様子を見守っているだけで無言だ。

 〈熊〉たち護衛のものもあたりの様子に気をくばるだけで、目の前の出来事には見えもせず聞いてもいないという態度を貫いている。荘本家で起きることにたいして、彼らはそういう立場であるようにときびしく教え込まれている。


 喋れないが言葉の意味は理解できる少女だ。とつぜん、老いた男に手を握られて意味不明なことをまくしたてられたのだ。さぞ驚いているに違いない。


 こわがった少女が老人の手を振りほどき突き放したときに、どのように取り繕えばよいのかと考えながら萬姜は老人の言葉が終わるのを待っていた。しかし少女は微笑んで、老いて小さくなった老人をただ静かに見下ろしている。


「お爺ちゃんのお話は変だよ!」


 とつぜん、嬉児が叫んだ。

 梨佳が妹を後ろから抱きかかえるようにしてその口を塞いだが、もう遅い。幼い子どもの黄色い声は姉の両手の間から漏れ続ける。


「お爺ちゃんが若いときには、喜蝶お姉ちゃんはまだ生まれていないでしょう」


 我が子のもとに駆け寄りその口を抓るか、それともこの場に平伏してその不始末を謝るか……。しかし、萬姜の体が動く前に、〈熊〉の咆哮が響きわたった。


「黙れ、嬉児! 礼儀をわきまえろ!」


 一瞬にしてその場が凍りついた。


 その中で嬉児だけが機敏に動く。姉の手を振りほどくと萬姜の背後に駆け込んだ。そして肉付きのよい母の腰に抱きつくと、顔だけを覗かせてもう一度叫んだ。

 大人の理不尽に負けてなるものかと、その声は先ほどより甲高い。


「だって、ほんとうのことだもの!」


 ふたたび〈熊〉が吠える。


「子どもであっても、容赦はせぬ! その首根っこをつかまえて、地べたに這いつくばらせてやろう」


「ふぉ、ふぉ、ふぉ、……」


 それは抜けた歯の間から漏れる老人の笑い声だった。


「……、確かに、小さいお嬢ちゃんの言うとおりだ。わしは自分の歳を数え間違えたようだ。堂鉄さん、わしの耄碌に免じて、どうか、賢く勇気のあるお嬢ちゃんを許してやってくれ」


 老人の言葉に、意外にもあっさりと〈熊〉は引き下がった。

 一歩前に進み出ていた大きな体を、彼は拱手したまま後退させる。


「喜蝶さま、老人の迷い事でお騒がせしてしまいました。どうか、お許しください」


 舜庭生は名残り惜しそうに少女の手を離した。

 そして言葉を続ける。


「ささやかな昼餉の用意をいたしております。が、その前に我が屋敷の自慢の庭を、梨佳さんと嬉児ちゃんとともにお楽しみくださいませ。いつの日にかご覧になっていただきたいと、庭には中華大陸のあちらこちらの風景がしのばれるようにと、いろいろな仕掛けを施しております。

 それから允さんと萬姜さんのお二人は、こちらへ。茶を飲みながら、老人の繰り言につき合ってくださるかな?」





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