第25話 彩楽堂の秘めた想いを知る
彩楽堂に話を振られた允陶が、こうなれば仕方がないというふうに口を開く。
「しょせん、彩楽堂は商売人ということだ。転んでもただで起きないどころか、手に石の一つ草の一本を握って立つ。萬姜、おまえはいま彩楽堂の手に握られた石ころだ。いや……」
言葉を切った彼は、話の意味が理解出来なくてぽかんと口を開いている萬姜の体を上から下へと見下ろした。
「いや、石ころではないな。萬姜の後ろには喜蝶さまを大切に思う宗主がおられ、その宗主の後ろには荘本家がある。彩楽堂は宝玉を拾ったわけだ」
「鋭いご高察、痛み入ります。かねがね思っていたことですが、允さまには商いの才がおありかと。呉服商でも始められましたら、彩楽堂など赤子の手をひねるように潰されそうです」
「彩楽堂、世辞など必要ない。それにおれは商売には興味もない」
彩楽堂の言葉を即座に否定すると允陶は立ち上がった。
彩楽堂も立ち上がる。
「これはこれは、わたくしめの長々とした無駄話でお引止めいたしてしまいました。さぞや、舜ご老人さまが首を長くして、喜蝶さまをお待ちでございましょう」
そして二人に続いて慌てて立ちあがった萬姜に彼は言った。
「荷物になりましょうから、二つの針箱はこちらから荘本家にお届けしておきます。そして反物のほうは、こちらで仕立てて、後日にお届けしましょう」
「しかし、それはやはり……」
何かを言わねばと萬姜は焦ったが、すでに家令はすたすたと歩み去っている。その背中を追わねばと思うと、あとの言葉が続かなかった。
彩楽堂の前の大通りには人だかりが出来ていた。
その人の数は、萬姜たちが彩楽堂の門をくぐった時の倍に膨れ上がっている。
荘本家に囲われているという美しい少女を一目見ようと、待ち続けていたものたちだ。
彼らの囁き声が漏れ聞こえてくる。
「おい、見たか?」
「ああ、可愛らしい娘だった。髪が白く美しい女がほんとうにいたんだなあ」
「吹く笛の音もたいしたものだということだ」
「宗主さまの道楽が三十年かけて真実になるとは。不思議なこともあるもんだ」
女たちの声も混じる。
「ねえ、喜蝶さまのお着物を見た?」
「まるで男の子みたいな格好と思ったけれど、よく似合っていたわ。さすが彩楽堂のお着物ね」
「あたしも髪を短く切ろうかしらね」
「馬鹿ねえ。あんたが髪を切っても、喜蝶さまのように美しくなれるわけがないでしょう」
その光景を目を細めて見ていた彩楽堂がすっと体を萬姜に寄せてきた。
そしてその長躯を少し傾けて萬姜の耳元で囁く。
「萬姜さん、次回のご来訪をお待ちいたしております。その時はもちろん、萬姜さんとそして可愛らしいお二人のお嬢さんたちにも、我が店で誂えました着物をお召しくださるようお願いいたしますよ。楽しみにしています」
さきほどの彩楽堂の座敷での男たちの会話の意味が、まわりの見物人達の騒ぎで、やっと萬姜にも理解できた。彩楽堂の抜け目のない商売人ぶりに、彼女の胸が久しぶりに高鳴った。
新開の町で夫とともに小さな呉服屋を営んでいたとき、いかにして往来を歩く人の目を店に引きつけるか、あれこれと悩み工夫した。価格を抑えた古着を店先に吊るすのも当然ながら、季節に流行にと常に心を砕いたものだ。
いま彩楽堂は、萬姜と梨佳と嬉児に店先に吊るす古着になって客寄せをして欲しいと言ったのだ。彩楽堂の真意がわかれば気後れすることはない。新開の店に立っていたときと同じように、彼女の口はなめらかに動く。
「ええ、お任せください。次にお伺いするときには、あの反物で仕立ててくださったお着物で、母子三人、おもいっきりお洒落をしてまいります。でも……」
「でも?」
「お金持ちを相手に商売をなさっておられる彩楽堂さまに、私たち母子を利用する必要が? お嬢さまに美しい着物を着ていただくのはわかりますが……」
見上げていた男の細められていた目が少し開く。
「萬姜さんのいうお金持ちさまからは、もう十分に儲けさせていただきました」
「まあ、お金持ちさまだなんて」
「儲けた銭を蔵に仕舞い込んでいてもしかたがありません。その銭を、着物を商うものとしてお金持ちさまではない人たちの役に立てる方法はないものかと、わたしは考えています。そのために萬姜さんと梨佳さんと嬉児ちゃんに、彩楽堂で仕立てたお金持ちさま向きでないお着物を素敵に着こなしていただきたいのです」
「ああ、そのような訳が。彩楽堂さまの胸の内、知らなかったこととはいえ、勘ぐったことを言ってしまいました。そのような事情であれば、なおさらのことです。喜んでご協力いたします」
そこまで言い終えたとき、片方の頬にちりちりと焼けるような痛みを感じた。
人を射殺すほどの鋭い視線だ。
はっとなって見渡せば、〈熊〉がおそろしい形相でこちらを睨んでいる。
その横ではすでに家令は馬にまたがり、少女と嬉児が梨佳の手を借りて馬車に乗り込もうとしているところだった。
「まあ、あたしったら! お喋りに夢中で……」
萬姜は慌ててもつれる足で駆けだした。
「萬姜さん、次にお逢いできる日を楽しみにまっています」
もたもたと走る自分の太った後ろ姿を、優しい笑みを浮かべた彩楽堂が見送っていたとは、背中に目も耳もない彼女が気づくはずもなかった。
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