第19話 その手はなんですか?

 


 彩楽堂の前の大通りには人だかりが出来ていた。


 荘本家で庇護されている白い髪の少女を一目見ようと、待ち続けていたものたちだ。彼らの声が漏れ聞こえてくる。男たちがお互いの肘をつつきあいながら、声高に喋っている。


「おい、見たか?」

「ああ、髪が白く美しい少女がほんとうにいたんだなあ」

「吹く笛の音もたいしたものだということだ」

「宗主さまの道楽が三十年かけて真実になるとは。世の中には、不思議なこともあるものだ」


 男たちの声に、女たちの黄色い声も混じる。

「白麗さまのお着物を見た?」

「まるで男の子みたいと思ったけれど、よく似合っていたわ。さすが彩楽堂のお着物ね」

「あたしも髪を短く切ろうかしらね」

「馬鹿ねえ。あんたが髪を切っても、白麗さまのように美しくなれるわけがないでしょう」


 彼らの声を聞きながら馬車を待つ萬姜に、彩楽堂がすっと体を寄せてきた。長躯を傾けて萬姜の耳元で囁く。彼の心地よい声と息が耳朶をくすぐる。


「萬姜さん、次回のご来訪をお待ちいたしております。その時はさきほども申し上げましたように、萬姜さんとお二人のお嬢さんたちにも、我が店で誂えました着物をお召しくださるように、重ねてお願いいたします。楽しみにしていますよ」


 その言葉で、さきほどの座敷での家宰と彩楽堂の会話の意味が、やっと萬姜にも理解できた。


 新開の町で小さな呉服店を切り盛りしていたとき、いかにして往来を歩く人の目を店に引きつけるか、あれこれと悩み工夫したものだ。価格を抑えた古着を店先に吊るすのもその一つの手段だった。


 彩楽堂は、萬姜と梨佳と嬉児に彩楽堂の着物を着て、店先に吊るす古着になって客寄せをして欲しいと言ったのだ。彩楽堂の真意がわかれば遠慮することはない。


「ええ、お任せください。次にお伺いするときには、あの反物で仕立てていただいたお着物を母子で素敵に着つけてまいります」


 彩楽堂の抜け目ない商魂が、彼女は嫌いではない。商売人であった彼女の胸が久しぶりに高鳴った。しかしまだ、その豊満な胸の奥に疑問がないわけでもない。


「でも、彩楽堂さま……」


 見上げた萬姜にますます彩楽堂の体がよりそってくる。お互いの着物の袖と袖が触れ合うほどだ。だが、皆の目は、美しい少女と武装した護衛の男たちに集まっている。二人の親密な距離に気づくものはいない。


「でも……、とは?」


「お金持ちさまを相手に絹の着物を売って商売をなさっておられる彩楽堂さまに、木綿の着物を着たわたしたちが必要でございましょうか?」


 萬姜の問いに思うところがあるのか、見下ろしている男の細められた目が開く。その目からは、客に見せる当たり障りのない柔らかな色が消えていた。


「彩楽堂は六代続いた老舗です。萬姜さんのいうお金持ちさまからは、もう十分に儲けさせていただきました。しかし、その銭を蔵に仕舞い込んでいてもしかたがないと、最近のわたしは考えています。着物を商うものとして、お金持ちさまではない慶央の人たちの要望にも応える道を、いま、手探りで探しているところです。さきほどの萬姜さんの『着物は着る人に似合ってこそでございます。そして、そのお人に喜んで着てもらってこそでございます』という言葉、その言葉にわたくしは導かれる思いがしました」


「まあ、そのようなことをお考えでございましたか。それであればなおさらのこと、喜んで……」


 その時、触れ合った袖の下から男の手が伸びてきた。それはためらうことなく萬姜の手を探しあてて触れてくる。


「えっ?」


 驚いて男の顔を見上げると、彼の視線はすでに萬姜の顔から離れて、通りの向こうに群がっている物見高い人々を見つめていた。その端正な横顔は若い。


――老舗を背負う重圧で、上手にお歳を隠されているけれど、もしかしたら、三十路の私よりも、五つはお若いのでは?――


 上等な絹の着物を扱う男の手はよく手入れされていて、女の萬姜よりも滑らかで柔らかい。その指先が優しく彼女の手の甲を撫でた。


――まるで、わたしの手が上等な絹のお着物になったみたい……。まあ、わたしったら、なんてことを! 彩楽堂さまは、ただ、わたしの手に約束の証を求められているだけだというのに。ああ、わたしの馬鹿、馬鹿!――


 その時、射殺されるような視線が彼女の頬を刺し貫いた。はっとなってその視線の持ち主を探せば、熊がおそろしい形相でこちらを睨んでいる。彼の横ですでに家宰は馬にまたがり、少女と嬉児が乗り込んだ馬車の入口の垂れ幕を、梨佳が巻き降ろしているところだった。


「わたしったら、お喋りに夢中になってしまって。申し訳ありません!」


 袖の下で絡みあった彩楽堂の手を振り払うと、彼女はもつれる足で駆けだした。

 もたもたと走る自分の後ろ姿を、優し気な笑みを浮かべた彩楽堂が見送っていたとは、背中に目のない彼女は気づくはずもなかった。


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