第18話 宗主さまの道楽


「荘さま、あっ、いや。あたしたちは宗主さまとお呼びしているんだけどね」

 洗濯女はそう言って話し始めた。


 髪の白い少女の着物を縫い直すための糸や針を、萬姜は彼女から借りている。洗濯女たちはちょっとした繕い物も仕事のうちなのだ。それもあって、彼女のお喋りに嫌な顔はできない。


「下働きのあたしたちまで含めると、三千人はいると言われている大所帯の荘本家を、宗主さまは一代で創り上げられたんだよ。それもたった三十年の間にさ」


「まあ、そうなんですか!」


「そうともさ。それについてはちょっと面白い話があるんだよ。萬姜さん、そこに立ってないで、まあ、お座りよ。奥座敷で出されるものに比べたら美味しくもないものだろうけれど、おやつの饅頭もあるしさ」


 すかさず、別の女が薄い茶の入った茶碗を萬姜の前に置く。

 山のような洗濯ものが終わり、次の仕事に備えて洗濯女たちはつかの間の休みに入ったところだった。


「では、遠慮なく戴きます」


 少女の世話は梨佳がいる。

 少しの間ならここで油を売ってもよいだろう。


「十五歳だった宗主さまは都の咸陽で科挙の試験を受けるために、一人で旅立たれたんだよ。その頃は叔父の関さまも都でお役人をされていたからね。ところが何を思われたのか、お若い宗主さまの足は咸陽に向くことはなく、当てもなく青陵国を旅することになったんだと」


「そのようなことが」


「その放浪の旅を五年続けたあと、無事に慶央に戻られた宗主さまはお父上さまの口入れ家業を手伝い始めて、それをここまで大きくしたという訳さ」


 別の女が口を挟んできた。


「でも、ここから話は面白くなるんだよ。あたしたち慶央のものは、宗主さまの道楽って、陰で言っているのだけど。」


「宗主さまの道楽?」


「そうさね、青陵国を旅している時に、『この広い中華大陸を、天上界から落ちてきた不老不死で髪の白い少女がさまよっている』って、どこぞのお坊さんから聞いたのだとか。それを信じた宗主さまは、口入れ家業で仕事の世話をしたものたちに、『笛の名手で髪が真白く美しい少女を見かけるなり、その噂を聞くなりしたら、その者を連れてくるように。その真偽は問わず、じゅうぶんな謝礼を払う』と言い含めたのだよ」


「不思議な話ですね」


「みんな謝礼が欲しくてさ、いろんな人を見つけては連れてきたんだけど。笛は上手くとも男であったり、髪が真白くとも老婆であったり、美しい少女であっても髪は黒々としていたり……。それでも宗主さまは笑って謝礼を払い続けたんだ。そうしたら、いつのまにか、小さな口入れ家業がこんな大きな荘本家となったということだよ」


「まあ……」


「いま奥座敷におられる髪の白い喜蝶さまっていう少女は、遠く西の国から来たっていうことだけど。そのお人が果たして宗主さまが探している少女であるかどうか」


 ふたたび別の女が話のあとを継ぐ。


「宗主さまも直接に喜蝶さまに訊けばよいことなのだろうけれど、なんせ、喜蝶さまは言葉が不自由っていうじゃないか。それに記憶も長く保てないらしいとか」


「えっ、記憶が保てないとは?」


「おや、萬姜さんはまだ気がついていないのかい? 喜蝶さまは教えたことをなんでも片端から忘れてしまうと、ほら、家令さまに追い出された貞可さんがいつもこぼしていたよ。それが都合のよい芝居なのかどうかは、あたしたちにはわからないけどさ」


「芝居でもいいさね。あんなに可愛らしい顔をした女の子だ。大きくなったらどんなに美しくなることか。きっと、宗主さまは側室に迎えるにちがいない」


 お喋りが下世話な流れになったことに気づき、萬姜は慌てて立ち上がった。


「お饅頭、ありがとうね。それから針と糸も」


 空になった饅頭の皿を見て、女たちもまた次の仕事にとりかかる時間になったことに気づく。


「遠慮なく、またおいでよ」

「萬姜さんなら、あたしたちはいつでも大歓迎さ」


 洗濯女たちは口々に言った。




※ ※ ※


 荘興の家族について教えてくれたのは、広い台所で大勢のための食事を作る炊事女だった。


「萬姜さん、ちょっと味見していかないかい?」


 萬姜が通りかかると、彼女はそう言って呼び止めた。


「まあ、そんな……」


 口はそう答えるのだけど、彼女の足は止まる。

『水を飲んだだけで太る』といつも言い訳するのだが、本当は食べることが大好きなことを、彼女自身の胃袋が一番よく知っている。


 誘いの言葉とよい匂いにつられてふらふらと台所に入っていくと、一番奥の竈の側に置かれた樽に座らされて、出来上がったばかりの湯気の立つ総菜を載せた皿を押しつけられた。


「奥座敷の方たちが、あたしたちの作ったものを、何と言って召し上がっているのか知りたくてさ。とくにあの白い髪のお嬢さまがね」


「いつも美味しそうに召し上がっておられますよ」


「それを聞いて安心したよ。それで、今日の白湯ぱいたんの味は? 鶏肉に玉蜀黍と米が入っていて、腹持ちもいいはずだよ」


「ほんと、美味しいです」


「萬姜さんにそう言ってもらうとほっとするよ。お代わりもあるからね、たくさん食べてよ」


 そう言ったあと、大鍋をかき混ぜながらの炊事女のお喋りが始まるのだった。


 少しづつ聞かされた炊事女の話を繋ぎ合わせると、この屋敷の主人である荘興の妻の名前は園李香。


 荘興が放浪の旅をしていてたどり着いた、泗水の街で二人は知り合った。『若すぎる』と二人の婚姻に反対していた李香の父だったが、慶央に帰った荘興の名声が泗水まで届くようになると、彼は李香を連れて婚姻の申し込みにやってきた。


「お美しい奥さまなのだけどね。慶央の水が合わなかったのか、病がちでね。長男の健敬さまをお産みになって、そのあとずっと年の離れた康記さまをお産みになったあとは、城郭内ある本宅で、泗水からやってきた弟の園剋さまに助けられながら、寝たり起きたりの日々を過ごしておられる」


「すると、荘さまのお子さまは健敬さまと康記さまのお二人なのですか?」


「いや、そうでもなくてね。体の弱い李香さまを不憫に思われて、それに泗水の義父さまにも遠慮されたのかねえ。宗主さまは側室を持たなかったのだけど、実を言うと、奥さまではない女が産んだ行方知らずの男の子がいるんだよ。でもその子の話をすると長くなるからねえ。


 それよりかさ、萬姜さん。宗主さまはあの喜蝶さまをいずれ側室にお迎えになるんだろうね? あんなに可愛らしい顔をした子は初めて見たよ」


 またまた話の雲行きが怪しくなった。白湯のお代わりに後ろ髪を引かれる思いもしたが、萬姜は立ち上がった。


「ご馳走になりました」


「いや、いいんだよ。萬姜さんとは話していて楽しいからね。また寄っておくれ。大歓迎だよ」


 炊事女もまたそう言った。





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