第二章

初めての仕事は驚くことばかり

第17話 宗主さまは、ヤ・ク・〇の大親分?


「詮索をするな」と、家令の允陶は言った。


 しかし、慇懃無礼な彼がその表情のないネズミ顔で鋭く睨みを効かせていても、下働きの女たちの噂好きな口を閉じさせることはできない。


 とくに、奇異にも白い髪の美しい少女が、厳重な警護の下で奥座敷に囲われていると彼女たちが知っていれば。そしてその少女の侍女を、目の前を歩く人のよさそうなおデブな寡婦が仰せつかったと知っていれば。


 そしてもう一つ、下働きの女たちは知っている。


 慶央の街の老舗・彩楽堂で誂えた高価で美しい少女の着物に惜しげもなく鋏を入れて、このおデブな寡婦は縫い直していることを。彼女が縫い直した男の子のような着物は美しい少女に似合っていて、今までさんざんに仲間たちを手こずらせた我がままな少女が、満足げにその着物を着ていることを。


 彼女たちはいろいろな理由で萬姜を呼び止めた。


「萬姜さんは呉服屋の女将さんだったのだってね」


「あっ、いえ、女将さんだなんて。実家が古着も扱うような小さな呉服屋で、あたしは父や夫の手伝いをしていただけで……」


 南北に細長い青陵国の南の端にある慶央の街では、冬はゆっくりとやってくる。

 だが、秋も深まって汗ばむ季節は過ぎたというのに、小太りな萬姜は鼻の頭に玉の汗を吹いていた。


 彼女の一日はばたばたと忙しい。


 しかし人に話しかけられると、長年の客商売で身についてしまったせいか、丸い顔についつい笑みを浮かべてしまう。着物の話であればなおさらだ。


「呼び止めたのは、着物の縫い方を教えて欲しくてさ。この夏で、子どもの背が雨後の竹の子みたいに伸びちゃって、冬の着物が小さくなってね。手っ取り早く丈を出すのはどうしたらいいだろうかと悩んでいるんだよ」


「そう言うことでしたら、お手伝い出来きると思います。今度、その子の着物を見せてもらえますか」


「そうさせてもらうよ。ほんとに助かるわ。それにしても、忙しそうだね。あの言葉の喋れない我がままお嬢さまのお世話は、さぞかし大変なんだろうね」


「いえ、お嬢さまが我がままだなんて。素直でお優しいお方でございます」


「まあ、そう言うしかないだろうね。うっかりご機嫌を損ねたら、あの貞可さんみたいにひどくぶたれた上に追い出されると決まっているからね。萬姜さんには、心底、同情するよ」


 なんと答えてよいものかと困り顔の萬姜を見て、噂話を振ってきた女はそれ以上追及するのはやめる。


 子どもの着物のお直しで知恵を借りたいのは事実だし、それにあの怖ろしい家令の允さまに告げ口をされたら、自分も貞可の二の舞だ。白い髪の少女について聞き出すのは、これから長い時間をかけてのお楽しみにすればよいこと。


 そして噂話の好きな彼女たちは知っている。


 自分たちが情報を得るためには、自分たちの知っている情報をまずは相手に与えなければならないことを。


「それはそうとさ、萬姜さん、知っているかい?」


 そうやって、女同士の立ち話は始まる。




※ ※ ※

 

 幾人もの下働きの女たちの問わず語りの噂話をつなぎ合わせて、萬姜なりにいろいろと推察した。その結果、彼女が一番知りたかったこの屋敷の主人・荘興の仕事を知った。


 それは、三十年前に父親の口入れ家業を、荘興が継いだところから始まる。


 市場を統率する役人だった彼の父親は人の頼みごとを断れない性格だった。そのために、人助けと思い役人をやめて始めた口入れ家業だった。それを男の一生をかける生業として彼の一人息子・荘興は選んだ。


 蛙の子は蛙だ。

 荘興も父に似て、人を見抜く目を持っていた。

 適材適所に人を差配するのが上手かった。


 五年で、慶央の役人宅・豪族・商家・客桟・渡し場・妓楼などで働くものたちで、荘家親子の世話にならなかったものはいないとまで言われた。そのうちに、彼の下で、彼の手足となって働きたいという者が現れた。そういったものたちで、見どころがあるものを手元に置くようになった。


 荘興に働き口を見つけてもらったものたちは、彼に恩義を覚える。そして、その恩義を返そうと願う。


 その結果、雇われ先で小耳に挟んだ内密な話を彼のもとに寄せる。そういうものは、公にはできない面倒事が大半だ。


 彼のもとに身を寄せた知恵者や腕に覚えのあるものたちを使っては、荘興はその面倒事の解決にあたらせた。そのような解決には流血をともなう危険なものも少なくない。しかしそれで得る謝礼は、口入れ家業で得る儲けとは比べものにならないほどに大きい。


 父親の賢さと面倒見の良さに加えて、この生業をより発展させるために必要な知恵と度胸を、荘興は持ち合わせていたのだ。


 そして彼は縁あって慶央から北に離れた泗水という街の豪商の娘・李香を娶った。そのことで、彼は美しい妻と財力のある義父の後ろ盾を同時に得た。


 そしてまた科挙に合格し都で高位役人となっていた叔父の関景が甥の活躍を噂に聞いて、『役人の仕事より、面白そうではないか。手伝ってやろう』と、職を辞して慶央に戻ってきた。


 まつりごとの世界に詳しくまた繋がりもある関景の存在は、荘興の生業にとってまさしく鬼に金棒だ。


 才能にも運にも金にも、そして人の協力にも恵まれた。

 

 今では私兵も多数抱えて、彼は『慶央の街の陰の支配者』とまで言われている。都から派遣されてくる役人は、赴任中の業務をすべて荘興に任した形で数年を過ごして、また別の任地へと去っていく。


「荘本家の宗主さまといえば、慶央では泣く子も黙るお方だよ」

 雇い主の素性について、下働きの女の一人が言った。


「もしかして、それって、ヤ・ク・〇の大親分!」

 叫んでしまった自分の口を萬姜は慌てて押さえた。




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