第15話 縫い物は得意です


 萬姜たちが来るまで、少女の世話をする侍女は何人も替わったという。


 食事を運んでくる女たち、部屋を掃除する女たち、皆、少女の癇癪と允陶の怒りに触れるのを怖れて顔を伏せたままだ。


「喜蝶さまは素直なご気性の優しい方にございます」


 女たちがあまりにも少女を怖れるので、萬姜がそう否定すると、彼女たちは誰もが震えながら頭を激しく横に振った。仲良くなった掃除女の一人が教えてくれた。


「あの日は……、ええ、喜蝶さまがお屋敷を抜け出した日のことです。月の一度のお給金の日で、そのときの喜蝶さまの侍女となったばかりの貞珂さんは、給金を受けとりに来たわが子の顔を見たさに、部屋を出て裏門に行ったのです。でも、そのほんのちょっとの間に、喜蝶さまはお屋敷を出てしまって」


「まあ、あの日、そんなことが……」


「そうなのです。喜蝶さまがいないことを知った家令さまに激しくぶたれたうえに、貞珂さんはお屋敷を追い出されてしまって。荘家の仕事が仕事だから、ここの男たちは、皆、やることすること怖くて。でも、給金はとびっきりいいので、誰もここの仕事は失いたくありません」


「荘家のお仕事というのは?」


 今までお喋りに花を咲かせていた女は、急に、萬姜の質問に口を閉ざした。


「ああ、どうしましょう。荘家のことや奥座敷の様子をあれこれ噂することを、家令さまはひどく嫌われておられるのです」


「それは気がつかなくて、ごめんなさいね」

「ああ、いいのです。それよりも、あたしは何も言わなかったことにしてください」


 そして、掃除を終えた女はそそくさと部屋を出て行った。




 きれいに片付いた部屋を見渡し、萬姜は再び縫い物の続きにとりかかる。

 先日、萬姜は家令の允陶に申し出た。


「家令さま、差し出がましいお願いではありますが。お嬢さまのお着物に鋏を入れて、お嬢さまが望んでおられる形に縫い直したいのです」


「おまえの好きなようにしたらいい」


 意外にも、彼はあっさりと許した。少女の着替えに侍女たちが手こずっていたのは、彼の耳にも届いている。


「しかし、家令さま。お嬢さまのお着物はどれも素晴らしく高価なもののでございます。あたし……、いえわたしごときが鋏を入れて、縫い直すなどということをしてもよろしいのでしょうか?」


「聞こえなかったのか? おまえの好きなようにしたらいいと言ったのだ。どの着物でもよい。そして何枚でもよい」


「しかし、しかし……」


「どうせあのままでは、着てもらえぬ着物だ。毎朝、喜蝶さまに踏みつけられるよりは、縫い直してでも着てもらえたら、着物も喜ぶだろう」


「あっ、は……、はい。そのようにおっしゃってくださるのであれば…。ありがとうございます」


 萬姜は深く頭を下げた。そして後退って部屋を出たあと、ふと顔を上げる。遠い眼差しのネズミ顔の口角がかすかに上がっているが見えた。


 ……あら、家令さまが笑っておられる。いったい、何を思い出されたのかしら?……


 まったく崩れない姿勢に、まったく崩そうとしない表情。その彼が遠い眼差しで思い出し笑いをするとは。見てはならないものを見てしまった気がした。


 髪を切ってまでして屋敷を抜け出したお嬢さまといい、武装した恐ろしい〈熊〉のような男たちの存在といい、その男たちの生業を語ろうとしない下働きのものたちといい、いま見てしまった家令の思い出し笑いといい、ほんと、このお屋敷は謎に満ちている。




 ※ ※ ※


 その日から、すぐに、萬姜は少女の着物を縫い始めた。


 動きやすい着物が好きであるらしい少女の希望通りに、薄黄色の無地の着物を二つに切って、丈の短い上衣と裾を緩く絞ったズボンに、まずは縫い直した。元は袖も広く裾も長い着物だったので、布に不足することなく直すことができた。


 そしてもう一枚。

 これから肌寒くなることを考えて、袖なしの羽織物を縫い始めていた。


 これは絹の光沢のある鶯色の地に、色とりどりの絹の糸の刺繍で秋の花が美しく刺繍されている。これも袖口と袖丈は床に届くほどに広く長く、裾も引きずってなお余りある。仕立ても一流の職人の手によるものに違いない。


 これの袖を落として裾を短くしたものを先に縫った上衣と褲の上に羽織り、朱色も鮮やかな細い帯を締めたら、いまの季節にぴったりだ。そしてさぞや髪の白い少女に似合うことだろう。


 小さくはあるが呉服屋に生まれ育ったせいか、萬姜は着物を見立てることが好きだ。幼いころは着物を着せ替える人形遊びでしかなかったが、そのうちに店頭で着物選びに悩む客に似合うものを勧めるようになった。


「萬姜ちゃんに勧められた着物はなぜかよく似合うんだよね。まだ小さいのに、この子はしっかりしているよ」


 いつのまにか、萬姜の見立ては客の間で評判になった。それを見ていた父が彼女を積極的に店に出した。夫を迎えてもそれは変わらなかった。


「萬姜さんに、ちょっと見立ててもらいたくてね」

「どうだろう、これなんかあたしに似合うと思うかい、萬姜さん」


 彼女を名指しする客もいた。

 そして彼女は手先も器用だったので、自分でも着物を縫った。


「年のせいかねえ、似合わなくなったんだよ」

「最近、太ってしまってね」


 客の持ち込んでくる着物を、彼女が工夫して縫い直すと、再びそれは客の体に沿った似合ったものになる。


 また、あまり布で巾着を縫ったり髪飾りも作ったりした。

 それらを店の隅の棚に並べておくと、萬姜に着物を見立ててもらった客がついでにということで買ってくれる。


 彼女のすることは、店の売り上げから見るとたいした額にはならなかったが、店の活気には役に立った。何よりも三人の子どもを育てる楽しみと共に、彼女自身の生き甲斐ともなっていた。


 針を針山に戻して縫う手を休める。そしてその手で縫いかけていた着物をそっと撫でた。艶やかな絹のなめらかな手触りにうっとりする。


 最後にこのようなよい着物に触れられて幸せだ。


 いつまでも居候ではいることは出来ない。これを仕立て終わったら、自分から家令さまに暇を申し出よう。



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