第二章

彩楽堂と舜老人

第15話 美しい慶央の街並み



 慶央の街に行けば糸も布も買えると、洗濯女に教えてもらったその夜のこと。さっそくに萬姜は家宰に願い出た。


「わたしたち母子も買い物をしたいのですが、白麗お嬢さまもご一緒にと思います」

 初めて出会った日に、鬼子母神の縁日に並んでいた露店を、破れ笠の間から見ていた少女の姿を思い出す。

「きっと、お嬢さまのよい気晴らしになるかと……」

  

 突然の申し出だったが、まったく表情を変えることなく家宰は答えた。

「そのことについては、自分の一存で決められることではない。宗主にお伺いしなくてはならない。返事は、しばし待て」


 だが、思いのほか荘興の許しは早く出た。


 荘興にもわかってはいた。

 少女を屋敷内に閉じ込めておくと、再び抜け出されるかもしれないという危惧がある。閉じ込められかしずかれる暮しは、どうやら少女の気性にあっていないらしい。


『広い中華大陸をさまよっている髪の真白い不老不死の少女がいる』


 若い時の旅の途中で聞いた老僧の言葉。

 その日から三十年をかけて少女を探し求めた。そして、不思議な縁でやっと手もとにおくようになった。


 しかしこれからどうすればよいのか。

 そしてまた、荘興のもとに身を寄せている美しく髪の白い少女の噂はすでに慶央の人々の間に広まっていた。


「白麗さまの美しさは、天女のようだ」

「白麗さまの奏でる笛の音を聞けば万病も治る」


 人は目に見えないものに対して、勝手な想像を膨らませる生き物だ。このような噂をほうっておけば、どうなるのか。允陶から萬姜が少女を外に連れ出したいと言っていると聞かされて、彼は思った。


――木を隠すには森の中、人を隠すには人の中という。少女の姿を人目に触れさせるのも、よいのかもしれない――


 部屋の隅で頭を垂れていた萬姜に家宰は言った。


「宗主の許しは得た。おまえの望みとおり、白麗さまと梨佳と嬉児を伴って、慶央の街でしばしの買い物を楽しむがよかろう……。と、言いたいところだが、今回は、ぜひに白麗さまに引き合わせたいお人たちがおられる。まずはそのお人たちの屋敷に立ち寄って、そのあとにおまえの望むように、街で買い物を楽しめばよい。

 さればこれはその時のための銭だ。私は男ゆえに、そういった買い物にどのくらいの銭が必要なのかわからぬが、とりあえず渡しておこう。足りないようであれば言ってくれ」


「いえ、過分な給金をいただいたばかりにございます。受け取るわけにはいきません」


 畏れ多いと身を縮こまらせた萬姜に、家宰は言葉を続けた。


「銭はいくらあってもよいものだ。おまえの息子の範連はなかなかに利発そうではないか。勉学の道に進ませるとなれば、銭は入り用となる。またいずれ二人の娘たちも嫁入りさせねばなるまい。そちらにも銭は必要だ」


 荘本家の屋敷に母子共々拾われて命を長らえた喜びはある。しかしそれはそれとして、この先の子どもたちの将来のことを、女の身一つで考えなければならない。家宰の言葉をそれ以上拒むことは、彼女には出来なかった。


 街に出かける前日の夜、彩楽堂誂えの美しい着物に鋏を入れる前に、あまりの申し訳なさに手を合わせて詫びた。しかし、思い切って長い袖と裾も切ってしまえば、そのあとの萬姜の仕事は早い。燭台の灯りのもと、最後の一針を縫い終わった。糸を巻きつけた針を引き抜き玉結びを作る。そして余った糸を鋏で切り、針を針山に戻す。


 呉服屋に生まれ育ったせいか、萬姜は着物の柄を見立てることが好きだった。幼いころのそれは人形遊びで発揮されたが、そのうちに店頭で着物選びに悩む客の相談にのるようになった。


「萬姜ちゃんに勧められた着物はなぜかよく似合うんだよね。まだ小さいのに、この子はしっかりしているよ」


 彼女の見立ては客の間で評判になった。

 それを見た父が彼女を積極的に店に出した。


「萬姜ちゃんに、ちょっと見立ててもらいたくてね」

「どうだろうね、これなんかあたしに似合うと思うかい、萬姜ちゃん」


 彼女を名指しする客もいた。

 そのうちに自分でも着物が縫えるようになった。


「年のせいかねえ、似合わなくなったんだよ。衿をちょっと地味な布に替えたら、まだ着れると思うのだけど、どうだろうねえ」

「いやだねえ、最近、太ってしまってね。なんでもいいから、ちょっと布を足して、大きくしてくれないかい」


 そう言って持ち込まれる客の着物を、彼女が工夫して縫い直すと、再び着物は持ち主の体に似合ったものになる。


 店の売り上げから見ると、彼女のすることはたいした額ではなかったが、店の活気には役に立った。夫を迎えてもそれは変わらなかった。何よりも三人の子どもを育てる楽しみと共に、彼女自身の生き甲斐ともなっていた。


 縫いあがった着物を膝の上に広げそっと撫でる。艶やかな絹のなめらかな手触りに、しばしうっとりする。


――きっと、お嬢さまも喜んでお召しになってくれるはず。明日のお出かけに間にあってよかった……





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