第14話 お喋りな洗濯女たち



 元の真面目くさった顔に戻って、家宰は言う。


「そうだな、着物を切って縫い直すとなれば、裁縫道具とやらが必要だな。そういうものは洗濯場にある。洗濯以外に破れやほつれを直すのも、洗濯女たちの仕事だ。針や糸など、そこで分けてもらうとよい」


「そうします。そのついでに、お嬢さまが集められたものも返しておきます」


「そうしてくれると、こちらの手間も省ける。ただ……」


「ただ……?」

 今度は、萬姜が訊ねる番だった。


「洗濯場の女たちは、特別にお喋りだ。おまえの顔を見れば話しかけてきて、いろいろと知りたがることだろう。女からお喋りの楽しみを奪うことは、家宰という立場のわたしにも出来ない。おまえもお喋りの輪に加わって、いろいろと情報を得ればよい。ただ、宗主と白麗さまのことだけは軽々しく喋るな。噂というものは、すぐに尾びれ背びれがついて泳ぎ始める」


「家宰さまのお言葉、重々に肝に銘じます」


「白麗さまのご様子を知りたい。毎晩、この時刻に報告に来るように。もう、下がってよいぞ」


 両手を突き出した中に頭を深く埋めて、萬姜はあとずさった。生まれて初めて見よう見まねで揖礼というものをしてみたが、足がもつれた。



 

※ ※ ※


 洗濯場では、ちょうど朝一番の洗濯が終わったところだ。たくさんの布類が、張り巡らされた竿や紐に掛けられて、爽やかな秋風に揺れていた。その一枚がめくれて、一人の洗濯女の顔が覗く。


「萬姜さん、よいところに来たね。ひと休みしようと思っていたところさ。いっしょに白湯でも飲むかい?」

「糸をいただくお礼にと思い、お菓子を持ってきました」

「気を使わせてすまないね」


 二十人ほどの女たちが車座に座り、白湯が入った茶碗と萬姜が持ってきた菓子が配られる。女たちがいっせいに喋りはじめる。


「萬姜さん、屋敷でのお勤めには慣れた?」

「家宰さまは、やはり、おっかないかね?」

「あの言葉の喋れない我がままお嬢さまのお世話は、さぞかし大変なんだろうね?」


「いえ、お嬢さまが我がままだなんて。素直でお優しいお方でございます」


「まあ、そう言うしかないだろうね。うっかりご機嫌を損ねたら、あの貞可さんみたいに叩かれたうえに追い出されるからね。同情するよ」


「それにしても本当にいたんだね、髪が白くて笛を吹く美しい女の子が。そんな女の子を探す宗主さまのことをさ、あたしらはずっと宗主さまの道楽といって、信じちゃいなかったのにさ」


「でもやっぱり、不老不死なんていうのは眉唾ものだよ」


「まあ、あんなに可愛い顔立ちをしているんだ。そのうちにきっと美しい大人の女になるよ。そうしたら、宗主さまは妻になさるにちがいない。本宅の李香さまはもうあまりもたないっていう噂だ」


 家宰が教えてはくれないことが、ここでは座って聞き耳を立てているだけで知ることができる。


 十五歳の時に慶央を出奔した荘興が、五年間の放浪生活を経て戻って来た。それから親が営む口入れ屋家業をまじめに手伝い、三十年たったいまでは、荘本家三千人といわれる泣く子も黙るという任侠集団を作り上げた。


 その立身出世の動機が、なんと、白い髪の少女探しだと洗濯場の女たちは口々に言う。


 青陵国の南の都といわれる慶央は、萬姜が生まれ育った新開の町とは比べものにならないほどに、広くて住む人も多い。だからそんな面白い話もあるのだろうと萬姜は聞いていた。


 あっというまに、皆の腹の中に菓子はおさまり、お喋りの種も出尽くした。初めに萬姜に声をかけてきた女が立ち上がる。


「さあさあ、みんな、重い腰を上げるときがきたよ。秋の陽はすぐに暮れる。もうひと働きしておくれ」

 それからみなの動きにつられて立ち上がった萬姜を振りかえった。

「萬姜さん、糸がいるんだろう。あたしについておいで」




 繕い物専用の部屋には洗って乾いた着物や下着や布が、いくつもの山を作って積み重ねられていた。灰汁につけて、毎日毎日、棒で叩き足で踏むのだ。薄い布は破れ、縫い糸は切れる。洗濯して乾かしてやぶれと綻びをつくろう。その繰り返しの洗濯女ちの仕事に終わりはない。


 洗濯女は部屋の隅に置かれていた大きな木箱の蓋を開けた。中には、鋏や針や糸が整理されて入っていた。


「萬姜さんが何を縫っているのか知らないけれど。ここの者たちは絹の着物なんて着ないから。絹糸はあまりなくてね。そのうえに色も限られている」


 箱の中身は女の言う通りで、覗き込む萬姜の顔色も冴えない。赤色や桃色や黄色などの華やかな糸はすでに使い切ってしまった。家宰に頼んで彩楽堂から用達してもらう方法もあるが、自分の店で誂えた着物が切られて元の形を失うほどになると知れば、気持ちよく応じてもらえるかどうか。


「慶央の街に行けば、絹糸を売っている店もあるよ。どうだい、家宰さまに一日お暇をいただいて、買いに行くというのは」

 女の言葉に一筋の光明を見た思いがした。

「そうですよね! 考えてもみませんでした。もうすぐ初めてのお給金が出ますから、今夜にでも、家宰さまにお願いしてみます」


「なにも自分の銭で買うこともないだろうに。まあ、萬姜さんは律儀な人だから」

 そう言って笑う女の後ろに、雑に畳まれた男ものの着物が見える。

「あれって、前に来たときから、ずっとありますね」


「ああ、あれかい。魁さまの上衣なんだけど、洗濯したものの綻びが酷くてね。誰も直したがらないので、ずっとあのままなんだ。なんせ、魁さまは大男のうえに動きが荒っぽい。繕っても繕っても、すぐに破れちまってねえ」


「魁さまとは、あの熊のように大きな男の人?」

「そうだ、魁堂鉄かい・どうてつさまだ。その腕っぷしのお強いことといったら、慶央一、いや青陵国一だよ」


「ちょっと見せてもらえます?」


 床に男ものの上衣を広げる。女の言うように、袖付けや脇の縫い糸が切れてあちこちがほころんでいた。


「これは、お着物の布と縫い糸の撚りの強さがあっていないのでは。それですぐに糸が切れるのです」


「へえ、そうなんだ。さすが、呉服屋の看板娘だっただけはあるね」


 広げた指を尺取虫のように動かして、萬姜は着物の身幅を測る。


 ふと、この屋敷に初めてきたときに、彼に背負ってもらったことを思い出した。自分の太った体を、熊は軽々と背負った。心の中の不安も心配ごとも、何もかも安心して預けたくなるような広くて大きい背中だった。萬姜の体の芯が熱くなる。その変化に動揺したが、気取られないように冷静な声で言う。


「魁さまのお体には、この着物は幅が足りません」


 それを聞いた女が声を出して笑う。

「萬姜さん、どうせなら、持ち帰って、ゆっくりと眺めたらどうだい。萬姜さんの裁縫の腕で直してくれると、こちらとしてもありがたいのだけどさ」

 

 そう言って、熊の着物を彼女は手早く布で包むと萬姜の胸に押しつけた。



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