第14話 わたくしにお任せください!
振り返った少女を見て、萬姜は言葉を続けた。
「でも、着替える前に、その散切りになった
話しているうちに、こうなれば乗りかかった船だとだんだんと肝が据わってきた。
部屋の隅で青い顔をしてうなだれている侍女二人に、彼女は矢継ぎ早に指示をする。
「お嬢さまの御髪を揃えるための鋏を持って来てください。それから、お嬢さまの身支度を終えるころをみはからって、冷めた朝餉を温かいものと替えて、卓上に並べてくださいますか」
萬姜の言葉に、二人の侍女たちは安堵した顔を見合わせ、まるで脱兎のごとく素早く部屋から出て行く。
「梨佳、お母さまと嬉児はお嬢さまの御髪を整えますから、その間に、散らかったお着物を畳んで片づけてくださいね」
「はい、お母さま」
梨佳もまた母の言葉に素早く立ち上がる。
……さて、あのように短くお切りになったお嬢さまの御髪を、どのように整えて差し上げればよいものでしょう?……
そう思案しながら萬姜は部屋を見渡した。部屋の壁にそって並べられている豪奢な飾り棚。その上に手鏡とともにたくさんの髪飾りが並べられている。
……そうだわ、あれを使わせていただきましょう……
そんな彼女の働きぶりを、屋根つき渡り廊下に立った允陶が、腕を組んで見つめていた。しかしせわしくあれこれと思案を巡らせている萬姜は、自分の背中に注がれた男の視線に気づく余裕もない。
荘本家奥座敷にある少女の部屋の縁側。
深まった秋の朝の陽だまりの中。
向かい合わせに並べられた椅子に、白い髪の少女と嬉児が座っている。嬉児の手の中にある手鏡が、明るい朝の陽の光を集めてきらきらと水面のように輝いていた。
「嬉児、その鏡をもう少しこちらに向けて。そうそう、そのままで動かさないでね」
鋏を手にした萬姜は少女の後ろに立ち、その白い髪の頭を見下ろした。
屋敷から出るにあたって目立つ白い髪を隠すために、自分で適当に切ったのだろう。まだ櫛を入れてない短い髪が乱れ跳ねている。それにしても長めに切り残した髪ですら、少女の細いうなじを隠しきれていない。
……とりあえずは、形よく揃えるしかないわ。それから、頭の後ろに短い髪を集めて、赤い飾り紐で括くれば、少しは女の子らしくなるでしょう……
鏡に写った少女の顔だちを真剣に見定めつつ、萬姜は少女の白い髪を一房揃えて持つと、その先を揃えて鋏を入れた。
もう何年昔のことになるだろうか。縫い物をしていた萬姜の横で、鋏で遊んでいた幼い梨佳が誤って自分の髪を切り落としてしまった。怪我がなくてよかったものの、その日からしばらくは梨佳の髪を結うのに苦労したものだ。
あの時の大変さと似ている。
やればなんとかできる。
「お嬢さまの髪はとてもきれいですね。ほら、赤い飾り紐がとても似合っておられます」
そう言いながら、結いあがった小さな髷の根元に、飾り紐といっしょに選んだ銀の
「お姉ちゃん、きれい!」
すかさず嬉児が言い、その言葉につられて、少女も左右に首を傾げながら鏡の中の姿を確かめている。まんざらでもない様子だ。
「これで
萬姜の言葉に大きく頷いた少女は、ぱっと椅子から立ち上がった。そのまま梨佳が着物を片づけている部屋を通り越して、奥の寝台のある部屋へと駆け込んだ。
そして、なんと寝台の下に潜ってしまった。
寝台の下から這って出てきた時、昨日に着ていたのと同じ麻布を木の皮で染めた粗末な着物を、その手に抱えていた。
宗主と呼ばれる男が少女の足を洗いながら、『喜蝶さまに盗られて、そのものはたいそう困っているとか』と、少女の着ていたものについて言っていた。すると、これらも使用人から盗ったものなのか。
何と言ってよいものかと思案している萬姜におかまいなく、ふたたび少女は寝台の下に潜り、今度は笠や藁草履を手にして出てきた。この屋敷に来てから、何度驚いたことだろう。もう、驚くことに慣れてしまったような気がする。
……こんなことであたふたしていてはだめだわ。三人の子どもたちはもっといろいろと、あたしを驚かせてくれたはず……
こういう時は、子どものすることを否定したり叱ったりしてはならないことを、萬姜は経験として知っている。ゆっくりと息を吸って吐いて、まずは自分を落ち着かせる。彼女は慎重に言葉を選んだ。
「お嬢さまは、こういうお着物がお好きなのですね。ええ、袖も裾も短くて、動きやすいお着物だと、あたしも……、いえ、わたくしも思います」
萬姜は衣桁に広げて掛けられた美しい着物や、梨佳が畳んで片づけている着物を見回した。だが、どのように美しい着物でも、本人がそれを着たがらないのであればどうしようもない。
……でも、でも。宗主さまも允陶さまも、お嬢さまが下働きのものから盗った着物を着ることは望まれていないはず。さて、どうすればよいものかしら……
そのとき、着物を片づけていた梨佳がその手を休めて、畳んで積み上げた着物の下から一枚の着物を取り出して広げた。
「お母さま、お嬢さまのお望みに近い着物があります。これであれば、お嬢さまもお召しなってくださるかも知れません」
広げられたそれはここにある着物の中では、袖も裾も短い。そのぶん地味で、少女の望みに気づかない下女たちの目には入っていなかったに違いない。
「これだけのたくさんのお着物です。きっと
やっと少女の身支度が終わった。
少女の顔は不満げではある。しかし、ここで癇癪を起こせば、嬉児と遊べないとわかってはいるのだろう。だが、そのちょっとした膨れ面さえも可愛らしい。
「そのうちに、わたくしがお嬢さまに似合うように直して差し上げます。こう見えて、わたくしは呉服屋の娘でございましたから。人のお着物の見立てもお仕立ても得意なんですよ。お任せください」
言葉が通じたのかそれとも想いが通じたのか、少女がこくりと頷き笑った。
しかし少女の笑みを見て、それが果たせない約束であることを知っている萬姜の胸は痛んだ。鬼子母神の縁日で少女の窮地を救ったとしても、それを口実にいつまでもこの屋敷に居座ってはおられないという現実がある。
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