第13話 縫い物は得意です!


 

 その夜のこと。


 家宰の允陶いん・とうは彼の執務室で旺萬姜おう・まんきょうと向かい合っていた。宗主の客人である美しい少女の様子と、萬姜の初めての屋敷勤めのあれこれを聞くのは彼の家宰としての仕事だ。


 この屋敷で起きることであれば、なにごとにでも完璧に采配を振るう自信が允陶にはある。しかし、十二、三歳の少女、それも喋れなくて意志の疎通が難しいとなれば、さすがの彼にもいかんともしがたい。


 目の前の小太りの女は、体に合っていないお仕着せの衿もとをしきりに気にしながら、緊張に鼻の頭に汗を浮かべて言うべき言葉を必死で探していた。そんな女を見て、彼は思う。


――田舎町の呉服商の女主人としては存分にその腕を振るっていたのだろうが、屋敷勤めとなると勝手が違うのはいたしかたない。所作も言葉遣いも垢抜けていないが、そのうちにだんだんとさまになるだろう――


 ふと、彼は右手の平に痛みを感じて、女から自分の手に目を落とした。手の平には、激情にまかせて貞珂の頬を叩いた感触がまだ残っている。少女の世話を任せていた貞珂が、少女が喋れないことをよいことに無断で座敷を空けた。数日前の少女の失踪はその間に起きたことだ。


――この体に、あれほどの怒りが残っていたとは。自分でも驚きだ――


 允陶が生まれ育ったのは、慶央の城郭内にある米問屋だった。それなりに繁盛していた。大人になれば当然ながら自分はその店を引き継ぎ、米問屋の主人になるものだと思っていた。しかし失火で店は灰となり、そのうえに多数の死人まで出したので、父と母は獄につながれ一家離散となった。


 行く当てのない身を荘本家に拾われた。小さな体で水汲み・薪割り・掃除となんでもやった。しかし、一度覚えたことは忘れない生来の賢さが荘興に気にいられて、若いとまわりに危惧されながらも、十年前に家宰という重職に就いた。


 父母が獄死したと風の便りに聞いて、妻子を持つという人並みの幸せを捨てた。そのときに激情という感情もまた捨てた。荒くれ男たちや粗野な下働きの者たちから、自分の貧弱な容姿を揶揄して、ネズミと呼ばれていることは知っているが、腹も立たない。


 それが、美しい少女の失踪を知って、怒りが沸点に達した。自分にそのような感情があったのも驚きだ。


――白麗さまを屋敷から出させてしまったのは、取り返しのつかぬ失態だった。しかし白麗さまがこの女を連れて戻られたことは、そういう天の定めだったのか? 三十年をかけて宗主が白い髪の少女を探し求められたのも、西の果ての国からやってきた姉弟が宗主に白麗さまを託されたのも、すべてはこれもまた天の定めか? と、すれば……。いや、自分ごときが考えても、天の真意などわかる訳がない。今度、舜老人に会ってお伺いしてみよう――


 一日中、独楽ネズミのように働いている允陶の楽しみは、古物商・舜庭生しゅん・ていせいより美しい骨董品を買い求めることだ。堅物な彼には、そのくらいしか、溜まる一方の給金の使い道がない。ただ、その給金をもってしても手に入れることが出来ない品々が、舜老人の屋敷に立ち並ぶ蔵にあることを彼は知っている。


――この手で触れることができなくとも、美しいものが存在することを知っているだけで、わたしは満足だ。そしてこのわたしは、美しいものは守らなければ、すぐにその形が壊れることも知っている――


 允陶の沈黙が長い思案からきているとは知らない萬姜が、沈黙に耐えきれず叫ぶように言った。


「お嬢さまのお着物の袖と裾を切らせてください!」


 その声に、彼は物思いから覚め、女の言葉をオウム返しに繰りかえした。

「着物を切るとは?」


「はい、もったいないことですが。お嬢さまに着物をお召しいただくには、それしか方法がありません」


 一度でも頭の中に入った知識はそのままに溜め込まれ、いつでも自在に出し入れができる。それが荘本家三千人を内から束ねる家宰としての允陶の強みだった。萬姜の言葉を聞いて、允陶は膨大な知識で溢れる頭の中を探った。しかし、女の着物の袖や裾についての知識は無い。そのうえに「切らせて欲しい」とはどういう意味なのか。


 自分の知らぬことはまだまだあるのだと認めた男と、自分の言葉が足らなかったのだと知った女は、次に言うべき言葉を探してお互いに見つめ合った。允陶が口火を切る。


「すまぬが、萬姜。おまえが『着物を切る』という考えに至った経由について、わたしにもわかるように説明してくれるとありがたいのだが。どうやらおまえの心根は善良だが、ときに、思慮浅く突き進む性質のようだ」


 おまえは雛を守るために煩く騒ぎ立てる雌鶏に似ている――、その言葉は、かろうじて飲みこんだ。


「あの……、その……」

 自分の生まれ持った性格にまで言及されて、萬姜はますます口ごもる。


「頭の中に浮かんだことから言え。推測はわたしがする」


「ああ……、はい。寝台の下に、お嬢さまはたくさんの下働きの者たちの着物を溜め込んでおられました」


「盗まれたのは、ここを出るときだけのものではなかったということか」


「すべて洗濯されておりましたから、物干し竿にかかっていたものをお取りになっては、集められたようです」


「屋敷を抜け出るために必要であったとすれば、何枚も盗って隠す必要もなかったはず」


「さようにございます。お嬢さまは、うちの嬉児と同じです」


「白麗さまと嬉児に、他人のものが欲しくなる悪癖があると、おまえは言いたいのか?」


「あっ、いえ、とんでもないことです。お嬢さまも嬉児も窮屈で動きにくい着物が嫌いということです。たとえそのお着物がどのように美しくとも」


「ああ、そういうことか……。よくわかった。わたしは妻帯していないから、子どももいない。それゆえに、そこまで考えが及ばなかった。白麗さまに着物をお召しいただくには、袖も裾も短く動きやすいものがよいということだな。とすれば、そのようにすればよいではないか。おまえは呉服商の娘。そういうことは得意なはず」


「さようにございます。ただ……」


「ただ……?」


「お嬢さまのお着物はどれも豪奢で美しいものです。わたしごときが鋏を入れては、彩楽堂さまがお怒りになるかと」


 家宰が笑った。

 自分の言葉に家宰が笑ったことに萬姜は驚いた。


――慇懃無礼が着物を着て歩いていると思っていたのに。このお方も笑うことがあるのだわ――


 笑うと、尖ったネズミ顔に愛嬌が宿る。このお方は、見かけよりもずっとお若いのかも知れない。家宰となるまでは、いや、なったあとのいまでも大変な苦労を背負っておられるのだろうと、萬姜は思う。


「萬姜、その心配は無用だ。彩楽堂の数々の着物はいわくつきでな。白麗さまに踏みつけられようと、おまえに切り刻まれようと、あの男に文句は言えない」


「まあ……」


「彩楽堂の悔しがる顔が見えるようだ。これは愉快だ……。だが、いまその話をすれば長くなる。いずれ、おまえも知る時がくるだろう」




 

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