第13話 お嬢さまは超わがまま!?


 昨夜の萬姜たち母子四人は、湯浴みして垢を落とし、夕餉を久しぶりに腹いっぱいに食べた。その後に、柔らかで陽の匂いのする布団が敷かれた寝台に皆で倒れ込むと、彼らの上下の瞼はすぐに合わさった。


 それはまったく憂いのない深い眠りだった。悪夢にうなされることもなく、寝返りを打つことも忘れていたに違いない。そのために朝目覚めたとき、一瞬、萬姜は自分がどこにいるのかわからなかった。


 目覚めると、寝台の横には新しい着物が用意されていた。


 嬉児と範連のためにはそれぞれの身長にあわせたもの。下働きのものたちが着る質素なものであるが、今まで着ていたものを洗濯して乾くまでの間に合わせとおもえば十分だ。


 梨佳には、昨日、青い顔をして座っていた奥座敷仕えの女たちと同じ薄桃色の丈の長い上衣とお揃いの裙。その上に絹の細い白い帯を締めると、十七歳という年齢相応に女らしく輝いて見える。


 萬姜には、濃い鼠色の上衣と裙に臙脂色の帯。

 三十歳になったばかりの萬姜には寡婦といえども地味だ。


 内心の不満を隠して着てみてその理由がわかった。ふくよかな体形の彼女にはきっとこれしかなかったのだろう。長く仕舞い込まれていたらしく、虫よけの匂いが染みついている。太った老婆がこれを着て働いていたに違いない。


 卓上に並べられた湯気の立つ朝餉を食べ終えたころ、歩くことも辛かった足の痛みが消えていることに萬姜は気づいた。




 ※ ※ ※


「旺さん、よく眠れましたか? 長旅の疲れが、少しはとれていればよいのですが……」


 母子四人の身支度と食事が終わったころを見計らったように、昨日、この屋敷の主人に允陶と呼ばれていた男がやってきた。


 昨日、まるで石の像が着物を着ているようだと思った彼の印象は、日が改まっても変わることはない。呉服屋の娘として萬姜は多くの男を見てきたが、彼のように隙なく着物を着こなした男は初めて見た。着物の皺でさえ、そこにあって当然と思う。


 きっちりと結い上げて髷を小さな冠で覆った黒い髪に、後れ毛の一本もない。そして言葉遣いにもほころびがない。


「……、必要なものがあれば、なんでも、遠慮なく言ってください。すぐに用意いたしましょう」


 部屋でくつろいでいた萬姜たちをゆっくり見回して、彼は満足げに言葉を続けた。荘本家の奥内のことを任されている家令の立場として、客人の満足は彼の満足と同じだ。


「もったいないお言葉でございます。このように気をつかっていただき、お礼の言葉もありません」


 允陶の出現に慌てて椅子から立ち上がった萬姜は床に平伏しようとした。しかし允陶はそれをとめる。


「いやいや、そのように堅苦しくならなくともよい。実を言うと、このように早朝から来たのは、旺さんに頼みごとがあってのことです」


「まあ、あたし……、いえ、わたくしにできることでしたら、何でもいたします。それから、旺さんと呼ばれることには、あまりにも身のすくむ思いがします。 萬姜と呼び捨ててくださいませ」


 允陶は少し考え込んだ。


「旺さんはいまのところ喜蝶さまの恩人であり、当屋敷の大切な客人でもあられるので、萬姜と呼び捨てることはできません。しかし、それでは旺さんの気持ちが落ち着かないと言われるのであれば、萬姜さんと呼ばせてもらいましょう」


 同意を込めて、萬姜は激しく頭を縦に振った。


 萬姜たちが慌てて立ち上がって空いた椅子に、おもむろに允陶が座る。彼は筋張って細長い指を組み合わせて卓上に載せた。あかぎれもささくれもない女のように手入れの行き届いた美しい指だ。


 思わず萬姜は自分の荒れた手を恥じて、袖の中に引っ込めた。しかし、男は寡婦で三十路女の恥じらいには興味がないようだ。彼は萬姜を見上げて言う。


「萬姜さんも気づいてはおられるだろうが、喜蝶さまはこの屋敷での暮らしにご不満を持っておられる様子。しかし言葉が不自由なこともあって、我々は喜蝶さまのお心の内をさっするのに苦労している。


 昨日より、喜蝶さまのお世話をする下女を新しいものたちに替えたのだが。どうやら、今回もまたその二人をお気に召さないようだ。

 さきほどの報告では、起床されたものの喜蝶さまは朝餉も召し上がらず着替えもなさらずで、彼女たちはほとほと困り果てているとのこと」


「まあ、まだ朝餉も召し上がっておられないなんて!」


 思わず叫んだ萬姜の言葉に、今度は允陶が頷く。


「昨日から拝見していて思うに、萬姜さんは子どもの扱いに慣れておられる。どうだろうか、喜蝶さまのご機嫌をとって欲しいのだが」


 その言葉に萬姜の顔が明るく輝いた。彼女の心根は優しく、子どもと関わることが好きなのだ。


「わたくしに何が出来るかわかりませんが、すぐに、お嬢さまのお部屋にお伺いいたします。允陶さま、子どもたちも連れてまいりたいのですが、よろしいでしょうか?」


「おお、それがよいと思う。しかし、範連は十歳とはいえ男であるので、奥座敷への出入りは遠慮してもらわねばならない」


「それは当然でございます。しかし、遊ばせておくわけにもまいりません。範連にも、何か仕事を与えてくださいませ」


「そうだな、水汲みか薪割りのような仕事であればあると思うが。範連、出来るか?」


「はい! なんでもお申し付けください」

 賢そうな顔をあげて、範連が答えた。




※ ※ ※


 少女の部屋の入り口で平伏して萬姜は言った。


「お嬢さま、おはようございます。萬姜でございます。昨日は、鬼子母神の縁日で、わたくしども母子四人をお助けくださり……。ああ、なんとまあ……」


 しかし目の前の光景に驚いて、彼女はそのあとの言葉を飲みこんでしまった。


 豪華な家具調度品で、少女の部屋は飾り立てられていた。美しい着物が幾枚も衣桁に掛けられたり床に広げられている。


 そしてなんと、白い髪の少女はその広げられた着物を踏みつけて立っていた。


 真白い髪を散切りにした少女はまだ寝衣のままだ。だが、その華奢な肩は怒りでこわばっていた。顎をつんとあげてぷいとそむけた顔は、誰の言葉も聞き入れぬという固い決意に満ちている。


 二人の下女たちは部屋の隅で縮こまっていた。彼女たちの顔には、自分たちの何が少女の怒りをかったのか理解できないと書いてある。その様子に、萬姜は胸の中で呟いた。


 ……お困りのご様子の允陶さまに、安請け合いをしてしまったかもしれない……


 しかし、助け舟は彼女の背後にいた。

「おねえちゃん、遊ぼう!」


 嬉児の声に、今までの不機嫌はどこへやら、喜びに顔を輝かせた少女が振り返る。萬姜は立ち上がった。三人の子どもを育てている彼女は、いま言うべき言葉を知っている。


「お嬢さま、嬉児と楽しく遊ぶのは、着替えと朝食を済ませてからにいたしましょう」




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