第12話 わたしにお任せください!



 外から見て想像した以上に、実際の荘本家屋敷の中は広い。山を背にし高い塀に囲まれた広大な敷地に、何十棟もの建物がたっている。


 住居・厩舎・倉庫、そして何に使われているのか萬姜には見当もつかない形の建物が整然と並んでいて、その建物と建物の間を、多くの人と馬と荷車がせわしなく行き交っている。その行き交う者たちの中に混じって歩を進めていた萬姜は立ち止まった。何気なく見上げた秋深まった慶央の空は、どこまでも突き抜けるように蒼い。


――この空は、きっと、新開の町にまで続いているはず――


 そう独り言ちして、彼女は豊満な胸に抱いた布包みを持ちなおした。

 布包みの中は、洗濯女に無理を言ってわけてもらった針と糸と少しばかりの布。それからもう一つは押しつけられてしまった熊の、いや、魁堂鉄かい・どうてつという名の大男の破れた着物だ。



※ ※ ※


 先日、家宰の允陶から白い髪の少女の侍女となることを命じられた彼女は、さっそくに、梨佳と嬉児を連れて少女の部屋に出向いた。


「お嬢さま、おはようございます。旺萬姜でございます。先日は、鬼子母神の縁日で、わたしども母子四人をお助けくださり……。……。まあ、なんてことでしょう!」


 初めて見る少女の部屋の両側の壁には、赤い塗りも艶やかな螺鈿細工の引き出し付き家具と、美しい絵柄の壺がいくつも置かれた飾り棚がずらりと並んでいた。それから繊細な透かし彫りの卓と椅子と衝立、着物が広げられた衣桁もいくつか。


 天井から垂らした紗の布で仕切っている向こう側の部屋は寝室になっているようだ。天蓋で囲まれた寝台が見える。萬姜は見たこともないが、後宮に住む妃の部屋もこのようなものだろうかと思う。


 だが、萬姜が驚いたのは部屋の豪華な調度品の数々にではない。足の踏み場もないほどに散らかった部屋のありさまにだった。


 その真ん中で、散切り頭の白い髪の少女は着物を踏みつけて、白い寝衣のまま仁王立ちとなっている。そして部屋の隅では、二人の女がなすすべもなく、呆然と女主人を見上げたまま座り込んでいた。彼女たちの膝の上にも着てはもらえない着物やつけてはもらえない髪飾りがある。


――ああ、このありさまが、家宰さまが仰っておられた、慶央一の老舗といわれる彩楽堂で誂えたお着物を、お嬢さまが着るのを嫌がるという意味なんだわ。でも、でも、どうすれば……――


 その時、目の前の光景に立ちすくんだ彼女の横を、怖れを知らぬ嬉児が走りぬけ部屋の中に飛び込んだ。


「おねえちゃま、あたちがあそびにきてあげたよ!」


 嬉児の出現に、ふくれっ面だった少女の顔がほころび喜色に輝く。こういうときにすかさず言うべき言葉を、三人の子どもを育てた萬姜の体には染み込んでいる。口が勝手に動いた。


「お嬢さま、嬉児と楽しく遊ぶのは、着替えと朝食を済ませてからにいたしましょう」


 母の言葉に嬉児の足が止まり、その事情を察した少女が頷く。萬姜は後ろにいた梨佳に振り返って言葉を続けた。


「梨佳、あなたはお嬢さまの御髪を整えてさしあげなさい。わたしはその間に、部屋を片づけながら、お嬢さまに着ていただけるお着物を探します」


 自分たちはお役御免になったのだと、二人の女中たちは安堵した顔を見合わせた。彼女たちは膝の上の着物や髪飾りを投げ出すと、天邪鬼という名の小鬼が住んでいるとしか思えない部屋から揃って逃げ出した。




 手鏡を持たせた嬉児に向かい合うように少女を座らせ、鋏を持った梨佳はその後ろに立つ。彼女の視線の下では、まだ櫛を入れてない短い白い髪が乱れ跳ねている。


「嬉児、その鏡をもう少しこちらに向けて。そうそう、そのままで動かさないでね。これからお嬢さまの御髪を切って揃えますが、お嬢さまも動いてはなりませんよ」


 梨佳の言葉に、鏡の中の少女が頷く。


 想像するしかないが、あの日に屋敷から抜け出すのに、目立つ白い髪を隠すために自分で適当に切ったのだろうか。それにしても長めに切り残した髪ですら、少女の細いうなじを隠しきれていない。器用に鋏を使って、梨佳は少女の髪をまっすぐに切り揃えた。そして赤い紐を何本か白い髪に絡ませて飾りとした。


 部屋の片づけの手を止めて、少女の可愛らしさと梨佳の手際の良さを萬姜は褒めた。


「可愛らしく、お嬢さまの髪が整いましたね。では、次はお召し替えしていただきたいのですが……」

 しかし、嬉児が不満げに頬を膨らませたので、慌てて言葉を足す。

「ええ、嬉児。あなたのお手伝いも完璧でしたよ。……でも、肝心のお嬢さまのお着替えをどうしたらよいものでしょう」


 散らかった部屋を片付けるうちに、その答えは得られると思っていた。しかし、彩楽堂誂えの豪奢な着物が何枚も広げたままになっているのをみるにつけ、少女がなぜにそれを着ることを拒むのか、萬姜の頭の中で謎は深まるばかりだ。思案にくれる萬姜を助けたのはまたしても嬉児の言葉だ。


「おねえちゃまのおきがえがおわらないと、あそべないの?」


 その言葉の意味を理解した少女が、脱兎のごとく寝室に駆けこむ。慌ててそのあとを追いかけた萬姜母子の前で、四つん這いになった少女は寝台の下に潜りこんだ。そしてしばらくごそごそとして、何かを手に持ったままあとずさって出てきた。


 少女の手の中にあるものを見て、思わずぽんと一つ手を叩いた萬姜が納得の声をあげた。


「お嬢さまがどのようなお着物をお好きなのか、わかりました。 わたしにお任せください!」


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