第11話 萬姜、白麗お嬢さまの侍女となる


 萬姜母子四人が荘本家屋敷に世話になって、三日目。

 荘本家宗主の荘興が屋敷に戻って来た時は、すでに慶央の空から秋の陽は落ちていた。


 任侠集団の宗主である彼は、知命を目の前にしていながらその日々は忙しい。彼の顔もしくはそのひと声を必要とする揉め事が、慶央では絶えない。


 争いごとの真っただ中に飛び込んで体を張る仕事と、ひそかに情報を集める仕事は手下に任せても、最後は宗主の彼の出番となる。長男の健敬に家督を譲る話も出てはいるが、そのことを深く考える暇すらいまの彼にはない。


 汗を流して遅い夕食を取り、自室の机の上に山と積まれていた書状に荘興が目を通していた深夜、家宰の允陶いん・とうがやってきた。


 突き出した両手の中に頭を沈めたまま、彼は部屋の中に入ってきた。


 後れ毛の一筋もない結い上げた髪、朝に見たときと変わりのない乱れも皺もない着物。この男に体を休めるときなどあるのだろうかと荘興は思い、そのようなことを考えてもいたしかたのないことだといつものように思う。


「白麗さまのご様子は?」

「再び、屋敷を抜け出されることのないようにと、見張りの者を増やしました」

「それを聞いて、安心した。それで?」


 読み終えた文を巻き戻しながら、荘興は訊く。互いに忙しい主人と家宰の会話の始まりはそっけない。


「新開に早馬で行かせていた使いの者が、さきほど、帰ってまいりました。旺家の母子たちが新開の町に住んでいたことに間違いありません。大店とはいえないものの使用人も抱えて呉服屋を営んでいたこと、流行り病で父母と夫を同時に亡くしたあと、着の身着のまま新開を夜逃げ同然に出たことも、本人の言う通りにございます」


「苦労したのだな」


「さようにございます。近所の者たちの評判も上々で、それほどに困っていたのであれば相談してくれればよかったと、口々に申していたとか」


「口先だけで同情するものに頼るのは、簡単なことではない」


「梨佳は七つ違いの姉の忘れ形見ではありますが、実の娘として育てており、範連は十歳、嬉児は六歳というのも間違いございません。萬姜本人の性質は優しく世話好きで、三人の子どもたちも賢く元気なことは、報告を聞くこともなく、この三日間見てきたわたしの目に狂いはないと存じます」


「白麗さまのお世話を頼めば、旺さんは引き受けると思うのだな?」


「はい、それは間違いなく。この屋敷を出たところで、彼女たちには行く当てなどございませんでしょう」


「では、すべておまえに任せる。白麗さまが戻って来られたからこそよかったが、今回のような騒動は二度と起きてはならない」


「今回のことはすべてわたくしの不手際にございます。どのような処罰も覚悟しております」


「処罰? いや、違うな。白麗さまには戻ってくる意思があったということだ」


「不思議なお人でございます。まるで、萬姜母子を連れ帰るのが目的であったような」


「おまえもそう思うか? まあ、そのお胸のうちをどのように思案しても、我々には詮無きことではあろうが。もうよい、下がれ」


 部屋に入ってきたときと同じように両手を前に突き出し腰を曲げる。しかし、家宰は部屋を出て行く気配を見せない。そこで荘興は顔を上げて、戸口の前に佇む男をまじまじと見た。


「他に何用だ?」


「差し出がましいことではありますが、宗主、そろそろご本宅に戻られてはと。奥さまのお体のご様子は優れないままと、永先生からのご伝言でございます」


 荘興の本妻・李香の住む本宅はこの荘本家屋敷より離れた、慶央城郭内にある。病弱で引き籠ることの多い李香のために、金に飽かせて建てられた豪奢な屋敷だ。ときには血の臭いがする夫の仕事を嫌う彼女は、末子で十五歳の康記こうきと、彼女を頼って実家のある泗水の町より流れてきた腹違いの弟の園剋、そして多くの使用人に囲まれて住んでいる。


 しかしながら、荘興は答えることなく、もう用事は済んだと次の書状に手を伸ばした。彼ら夫婦の間に、会話も関係もなくなって久しい。




 翌朝。


 身に纏う着物の折り目よりぴしりと音が聞こえてくるかと思えるほどに、完璧に身支度を整えた家宰が萬姜母子の部屋に現れた。きっちりと結い上げた髷を小さな冠で覆った黒い髪に、後れ毛の一本もない。そして言葉遣いにもほころびがない。まるで石の像が着物を着ているようだと思った萬姜の彼への印象は、数日が過ぎても同じだ。


「旺さん、長旅の疲れはとれましたか? 必要なものがあれば、遠慮なく言ってください。すぐに用意させましょう」


「もったいないお言葉でございます。このように気をつかっていただき、お礼の言葉もありません」


 男の出現に慌てた萬姜は床に平伏しようとした。しかし彼はそれをとめて、部屋でくつろいでいた萬姜たちをゆっくり見回す。客人の満足は家宰である彼の満足だ。そしてもう一つ、隠された満足がある。目の前で見る旺家の母子四人の光景は、いまから言葉にする彼の企てにふさわしい。


「そのように堅苦しくならなくともよいのです。実を言うと、このように早朝からお邪魔するのは、旺さんに頼みごとがあってのことです」


「わたしにできることでしたら、何でもいたします」


「失礼ながら、この三日の間に、旺さんの身元を調べさせてもらいました。それを踏まえて言うのですが。この屋敷に住まわれて、白麗さまのお身の回りの世話をお願いしたいのです」


 その言葉に、萬姜の顔は驚きで赤くなり、自分たちの行く当てのないことを知られた恥ずかしさで青くなり、そして再び喜びで赤くなった。その顔色の変化に、自分の感情を隠すほど器用ではない彼女の胸の内と答えが出ていた。


「ではまず、萬姜」

 女の承諾の意志を知って、今までの家宰の口調が変化し、それは使用人に対するものとなる。


「白麗さま付きの侍女となったおまえの初仕事として、白麗さまの御髪を整えてもらいたい。屋敷から出られるときに、白麗さまは自らの白い御髪を短く散切りに切ってしまわれた。言葉の不自由な白麗さまからその理由を我々が訊くことは出来ぬが、散切りの御髪を整えてさしあげることは出来るだろう」


「それは梨佳にお任せください。毎朝、梨佳は家族の髪を結っておりました。手先が器用です」


 萬姜の言葉に彼は満足して頷く。


「それから、こちらのほうが難問となるのだが。おまえが初めて会ったときに白麗さまが使用人の着物を着ていたことからわかるように、宗主が用意された着物を、白麗さまはお好きではないらしい。毎朝、着替えの時間となると、女どもが苦労している。しかしながら、どの着物も慶央一の老舗『彩楽堂』で誂えたものだ。なぜに着替えることを拒まれるのか。それもまた、言葉の不自由な白麗さまに問うことは出来ない。幸いにもおまえの実家は新開で呉服屋であったはず。白麗さまのお気持ちを読めるに違いない」


「わたしに何が出来るかわかりませんが、すぐに、お嬢さまのお部屋にお伺いしたく思います。家宰さま、梨佳と嬉児も連れてまいりたいのですが、よろしいでしょうか?」


「わかった。だが、範連は十歳とはいえ男。白麗さまの部屋のある奥座敷への出入りは禁ずることとなる」


「それは当然でございます。でも、お屋敷に住まわせていただきながら遊ばせておくわけにはまいりません。範連にも、何か仕事を与えてくださいませ」


「水汲みか薪割りのような仕事であればあると思うが。範連、出来るか?」


「はい」


 母の後ろで答えた範連を見て、家宰は言葉を続けた。

「読み書きができるのであれば、そのうちにふさわしい仕事を見つけよう」


 そしてこの日から、白い髪の不思議な少女・白麗に仕える旺萬姜の日々が始まった。




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