第8話 荷車はガタガタと揺れる


 萬姜を乗せた荷車を範連が曳き、その後ろを梨佳が押す。


 彼らの先頭を手を繋いだ嬉児と破れ笠をかぶった少女が歩いていた。

 二人は繋いでいない手に、飴売りからもらった飴を持っていた。それを時々口に含んで舐めてはその減りようを見せ合って楽しそうに笑っている。


 そのあい間に嬉児が行き先を少女に訊くと、少女はその手をまっすぐに伸ばして、前方に見える小高い山を指さした。


 道の両側には民家が立ち並び、その後ろは黄金色の稲穂を垂れ始めた見渡すばかりの田んぼだ。夏の暑さも去って再び繁りを取り戻した葉物の緑と、冬野菜の植え付けを待つ黒々とした土の色も、田んぼの間には見える。


 道幅は広く行き交う人の数の多さから、この道は近隣の町と慶央を結ぶ街道となっているのだろう。


 痛む足を行儀悪く投げ出して、萬姜は荷車のうえに座っていた。

 力のかぎりに荷車を曳く範連と梨佳にすまないと思いつつも、彼女は通り過ぎていく景色を楽しんだ。


 これからまったく見知らずの他人の家に押しかけようとしているのに、彼女の心の中には不安のひとかけらもない。みんなで分け合って食べた饅頭は、不思議なことにいまだに胃袋を満たしている。そして彼女を幸せな気分にしてくれている。


「前から馬が来ます。道の端に、荷車を寄せましょう」


後ろを振り向いて萬姜と梨佳にそう言った範連は、「危ない」と、嬉児たちにも避けるようにと声をかけた。


 のどかな城郭外の景色のなかにまっすぐに伸びる道。

 行き交う人は多いが、その間を縫うように前から二騎の馬が走ってくる。


 騎乗している二人の男たちはいちおうに陽に焼けた赤黒い顔にたくましい体つきだ。上衣の袖口とずぼんの裾を動きやすいように革紐で縛り、皮鎧を着こんでいる。鞍にはいつでも引き抜けるように刀や槍を挿している。


 彼らの恰好は青陵国の正規兵士ではないが、ときには刀や槍をふりまわすことも辞さない命知らずなのか。二人はたくみに馬を操りながら、眼光鋭く左右を見渡していた。その様子から誰かを探していることは確かだ。


馬上の男と目が合った萬姜は、荷車の上でその豊満な体を縮こまらせて目をふせた。


……面倒事に巻きこまれるのはまっぴらごめんだわ……


 萬姜の想いが男に伝わったわけではない。

 だが、男は振り返ってもう一人の男と言葉を交わし合ったあと、馬の首をめぐらせて再び駆けていった。


 彼らが捜していたのが自分たちの連れの少女だったと萬姜が知るのは、このときよりずっとあとのことだ。


 そしてまた男たちも、自分たちが探している少女が、破れ笠をかぶり下働きの男の着物を着ているとは、想像の外のことだった。そのうえに、飴を舐めながら、薄汚れた家族の連れとして一緒に歩いているとは。


 男たちの主人である荘本家の宗主・荘興そう・こうが庇護していた少女が、今日の明け方より行き方知れずになった。


 猫の子一匹でさえ自由に出入りができぬほどに警備のきびしい荘本家の屋敷だ。屋敷内をくまなく探すのに手間どった。竿に干していた下働きの男の着物がない、台所で饅頭を盗んだものがいる。そのことに、警備の隙をついて、少女は外に出てしまったのかと思い当たるのが遅れた。


 少女を捜し出して連れて帰るようにと、何人もの男たちが荘興より命じられたのは、陽も高く昇ってからだ。


 しかしながら、男たちは肝心の少女の容貌を知らない。


 少女が客人として荘本家の奥座敷で暮し始めて、一か月。

 少女の顔を知っているのは、荘興は当然のこととして、あとは奥座敷勤めの女中と、奥座敷に出入りできる荘興の信任の厚い男幾人かだけだ。


 そのために探索にむかう男たちに与えられた少女の情報はわずかなものだった。


『名前は喜蝶さまといわれる。美しい少女の髪は白く、また話すことができない。必ず捜し出して連れ戻すように』


 家令の柳允陶りゅう・いんとうに彼らはそう言われた。


 そのために男たちが頭の中で創り上げた少女像は、白い髪を美しく結い上げて、金の簪で飾りたてていた。そして、色とりどりの鮮やかな刺繍に埋め尽くされた上衣と、その下には折り重ねた襞も軽やかな紅い絹のスカート


 荘本家の宗主に大切に庇護されている美しい少女と聞いて、彼らが想像できる姿はそのようなものだ。それが小汚い母子の中に紛れているとは、どう考えてもあり得ない。




 少女が指さした小高い山が近づくにつれ、道の両側に建つ民家が増えてきた。やがて山側に高く長い土塀が続き、道を隔てた向かい側には商家が目立つようになる。


 荷車は塀にそってガタガタとひどく揺れながら進んでいく。

 飴売りから譲り受けたときからすでに壊れかけていた荷車は、重い萬姜を乗せ長い距離を転がされて、いつ車輪が外れてもおかしくない状態だ。


 鬼子母神の再会門の下にいたときは頭上にあった陽が西に傾き始めている。夏の勢いをまだ残したそれは、萬姜たちの背中をじりじりと焼いた。


……まあ、なんて長く続く塀なんだろうね。山一つを囲んでいるじゃないか……


 塀の中は多くの僧房を持つ寺だろうかと萬姜は思った。


 荷車のうえで伸びをして、彼女は塀の向こうを見る。

 しかし、寺であればあるはずの伽藍や塔の屋根は見えない。そのうえに、塀の向こうは人の気配で騒がしく馬の嘶きまで聞こえてくる。寺の持つ静寂とはほど遠い。


……寺でなければ、お役所なのかねえ。ここは青陵国の南の都といわれる慶央なんだもの、もしかしたら、田舎もののあたしが想像できないような偉い人やお金持ちが住んでいるのかも……


 そこまで考えて、萬姜は視線を塀と向かい合って建ち並ぶ商家へと移した。


 度肝を抜かれるような大きな役所だか屋敷だかの恩恵を受けて、どの店も小商いで繁盛しているようだ。少女の家はこのなかにあるに違いない。さてどこだろうと見回していると、手放してしまった新開のお店を思い出して、萬姜は胸がしめつけられた。


 先頭を歩いていた少女と嬉児の足が止まる。正面は大きな屋敷に似合った大きく立派な正門だ。その両開きの扉は大きく開かれていたが、長槍を持った門番が左右に立っていた。


「みんなでここで待っていなさいって、お姉ちゃんが言ったよ」


 少女と繋いでいた手を外して、嬉児だけが荷車のところに戻ってきた。嬉児の頭を撫でてやりながら、萬姜は答えた。


「おやおや、嬉児。おまえはあのお嬢ちゃんの言いたいことがわかるのかい?」


「うん、お姉ちゃんとはずっとお喋りしていたよ」


「おまえは賢くて優しい子だから、お嬢ちゃんの心の中の声が聞こえるのだね……」


 しかし、少女が大きな屋敷の正門に向かって歩いていく後ろ姿に、萬姜は不安をおぼえた。


「……、でも、お嬢ちゃんの家はここではないと思うけれど」


 案の定、破れ笠をかぶったまま案内も請わず屋敷の中に入ろうとした少女を、門番の一人が止めた。門番の大きく乱暴な声は、離れて待つ萬姜たちにも聞こえてきた。





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