橋本愛理

 唇って不思議。


 必要も無いのになぜグミやライチみたいに柔らかくて、甘い果汁をたっぷり含んでそうな形なの?

子供の頃からずっと不思議だった。


 それは時として、その人の魅力の主役にもなり脇役にもなる。

美しい唇からこぼれる言葉は、時として刃物より凶暴な痛みを与え、時として毒入りの蜜にもなる。

不思議……


 でも、その不思議はある人との出会いで、あっけなく理解できた。


 新田結愛さん。

大学の演劇サークルで出会ったあなた。

 

 ねえ?

なんで唇ってあんなに柔らかいか分かる?

結愛さんの姿を浮かべながら、問いかける。


 それはきっと、好きな人の肌の感触をもっと沢山感じるため。

そして、お互いに脳がしびれるくらい気持ちよくなるため。

そして、そんなあなたの全てを私のものにするため。


 大学の演劇サークルで初めて結愛さんにあった時の第一印象は「竹のような人だな」だった。

真っ直ぐ太陽に向かって伸びていき、嵐にも負けずに真っ直ぐ伸びていく。


 これは決して褒め言葉では無く、そんなに伸びても竹細工程度にしか使い道が無い、と言う皮肉でもあった。


 両親にネグレクト同然の扱いを受け、施設に入って以後も1人で育ってきた私にとって、自分の可愛さは「幸福になるアイテム」では無く「生き残る武器」だった。


 そんな私にとって、分けへだて無く接して誰にでも愛情を注ぐ結愛さんの光は、まぶしくてチカチカしてしまう。

目が痛い。


 だから最初は、つかず離れずでやり過ごすつもりだったけど、彼女は何故かそんな私に関わってきた。


 うっとおしいな、と思いながらいつの間にか、彼女に施設の事や両親の事を話していた。


 結愛さんは、ずっと飽きることなくただ、じっと黙って聞いていた。

そんな彼女に驚き心の底からあきれた。

でも、いつの間にか私は泣きながら両親への怒りをぶちまけていた。


 誰にも話したことが無かったのに。


 色んな本や歌で愛だ恋だとエラそうに言ってるけど、そんな大層な事じゃない。

何のドラマも無く、気がついたら好きになっている。

その程度。


 でも、全てを暴力的に塗り替えられる。

訳分かんないそんな気持ち。

結愛さんに対しての恋の始まりだった。


 どんな天の配剤なのか、ある一時期から私を見る結愛さんの目に、不思議な揺らめきを感じるようになった。

何かを秘めているような……


 それはハムレットで私がオフィーリアを演じたときに確信を持った。

彼女の不思議な揺らめき……それは欲望だったのだ。

 

 そっか、この人は私が欲しいんだ。

じゃあ似たもの同士。

そんなあなたにお近づきの印。


 私は結愛さんに近づき「先輩がハムレットなら良かったのに」と、子供のような笑顔で言った。

その時の結愛さんの表情は、たまらなく気持ちよかった。


 好きな人を手の中に置く嗜虐的しぎゃくてきな喜びは言葉に出来ない。


 でも、人ってホントに難しい。

結愛さんは誰に対しても結愛さんだった。

私に見せた笑顔で、他の子にも笑う。

私に話した話題を他の子にも話す。

私の頭をポンポンしてくれた手で、他の子の頭もポンポン叩く。


 なんで?

あなたは私が欲しいんじゃ無いの?


 笑えるくらい頭にくる。


 女達の輪の中でヘラヘラ笑っている結愛さんの前に出て、思いっきり引っぱたいてやりたい。

何度も何度も叩いて、おもちゃを買ってもらえない子供のように泣きじゃくるあなたの顔を無理矢理上げて、強引にキスしてやりたいくらい頭にくる。


 唇に。鼻に。目に。おでこに。

その次は耳に。

そして喉に、首筋に。

そこから下に……

あなたの涙と汗の匂いを頭がどうにかなるくらい感じながら。

私の刻印を一生消えないくらい深く沢山刻み付けなら。


 そうして泣き続けるあなたの全てにキスして「好きです」と、声が枯れるくらい言わせてやりたい。


 そんな結愛さんは一足早く卒業した。

でも、私は無知で無邪気な後輩だから、そんな結愛さんにも食事や相談をよく持ちかけた。


 繋がりは切れさせない。

でも、つまんない。

もっと……彼女の人生が欲しい。


 私が欲しいんでしょ?

だったら、もっと必要として。

私をあなたの人生の一部にしてよ。


 雨の日のカフェ。

降り続ける雨は、結愛さんと私のための貴重な小道具。

カフェの中にいると、まるでそこは私と結愛さんのためだけの映画のセットのようだ。

他のエキストラなんて邪魔なだけ。


 私は傘を差さずに歩く。

ぬれた胸元を確認し、そしてあなたと向かい合う。

「こんな所で先輩に会えるなんてラッキーです。相談したいことがあって」


 結愛さんと同じ職場で仕事しながら、距離が近づくのを感じるのは嬉しい。

あの時、相談して良かった。


 私の方は同じ職場で結愛さんの邪魔な虫を追い払えるし、お金が入るようになると、メイク道具も良い物を買える。

服も結愛さんが好きそうな物を揃えられる。

何より彼女に「罪悪感」と言う最高のプレゼントを贈れた。

私たちの結婚指輪みたいなものなんだから。


 結愛さんと肌が触れそうなくらい近くで一緒にお風呂に入っていると、まるで恋人みたいに感じて嬉しい。


 彼女は頑張って「浴室の作りにばかり気を取られてる風」を演じてるけど、う~んいまいちかな。

ちょっと演技力不足。

そんな結愛さんへの罰として、ワザと肌を触れる。

そして、恥ずかしそうにあなたに微笑んで見せる。


 唇は好きな人の全てを感じるための物。

そして、その気持ちよさをあなたと残さず味わい尽くすための物。


 ねえ? もうすぐ教えてあげられるよ?


【完】

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