30.今の会話
レッドドラゴンを倒した一行は、「疲れた」と控えめに見積もっても三十回程度言いながら西の辺境の町に戻った。アルバンたちから譲ってもらった馬――譲ってもらったと思っているのはヴィルフリートだけだが――はギルドに預け、町中を歩く。
「あー疲れた。あと腹減った」
「ヴィル、あの定食屋行きたいんだよね?」
クリストフのぼやきにフェリクスが反応し、ヴィルフリートが「そうだな」と答える。
「もう行く? それとも明日?」
「フェリクスはどっちがいい?」
「え? 僕はどっちでもいいけど……昨日行ったばかりだし、今日は別の店がいいかな」
この日は町をよく知っているデニスが別の店を指定し、一旦宿に寄って焦げた服を着替えてから少し早めの夕食を済ませることになった。「祝杯を上げませんか」というデニスの提案は、「年寄りは疲れてる時に酒飲んだら動けなくなるんだよ」とヴィルフリートによって却下されてしまう。
「俺、地面に落ちた時、肩のあたり骨折してたと思う」
「骨折くらいなら、しょうがないでしょう」
「そうだな、打ちどころが悪ければ死んでただろうから」
「衝撃を和らげた私への感謝の言葉は、ないのかしら」
「へいへい、ありがとよ。しかし、無詠唱魔法ばかりだとあんなに戦闘のテンポが速くなるんだな」
「何が何だかわからないうちに、自分の出番が来ちゃったって感じだったよね。緊張する暇もなくて」
「ああ。何かが焼け焦げる匂いがまだ鼻にこびりついてる気がして、夢じゃなくて現実だったんだな、って実感するよ」
「わかるわかる」
年寄り連中は静かに食べているだけだが、デニスとガブリエラには、戦闘の冷めやらぬ興奮が続いているようだ。「飲んでもいいんだぞ」とヴィルフリートが言い出し、二人は酒を注文した。
「それにしても、二人ともよくやってくれたよ」
ガブリエラは少しずつグラスの酒を飲んでいるようだが、デニスは半分くらいを一気に飲み干した。そんな二人にヴィルフリートが
「私は最後の方ちょっとだけだったから、それほどは」
「そんなことはない、結界に入るだけでも十分勇敢だったと思うぞ。デニスも、崖から飛び降りるの怖かっただろ」
「怖かったけど、もしガブリエラが失敗しても、クリストフさんが受け止めてくれるかなと」
「さすがにデニスは無理だ」
朗らかさにほんの少しの苦みを混ぜて、クリストフが笑う。この人の表情はわかりやすいなと、デニスは酔いが回りつつある頭でぼんやり考えた。
「それは冗談ですけど……前にフェリクス様がレッドドラゴンを倒したいって言ってた時、それまで斜に構えてた自分が恥ずかしくなって……おまえは体だけデカくてだめなやつだって、子供の頃から言われてたんで」
「だめじゃない。そんなこと言う人は、見る目がないんだよ」
「フェリクス様、また悪口言ってる」
フェリクスがすかさず否定の言葉を忌々しげに吐き、へらりとデニスが笑う。酒の力とは恐ろしいもので、意図せずともすぐに表情が崩れてしまうのだ。
「女神様だってこれくらい許してくれるよ」
「はは、フェリクス様らしいな。……あの時、年寄りが熱くなってたらおかしいかって、聞いたでしょう。全然そんなことない、そういう本気は格好いいって思った。……俺、すごく、怖かったです。でも、少しでも……助けに……なりたかっ……」
「大成功だったよ、ありがとう。デニス格好よかった」
「……そうで、すか……」
デニスは眠くなったのか、椅子の背に体を預けて半分目を閉じている。
「あら、意外。デニスお酒弱いのね」
「気がゆるんだんだろう」
ガブリエラの軽い驚きを受けて、ヴィルフリートが微笑ましげにデニスに視線をやった。
**********
「辺境伯って、どんな人か知ってる? 会ったことあるような気がするんだけど、思い出せなくて」
「俺が会ったのは二十年以上前だが、良くも悪くも根っからの貴族って感じだったぞ。あれ、いつだったっけな……聖女探し成功おめでとうパーティーの時か?」
ヴィルフリート、クリストフ、フェリクスの三人は宿に着いて早々昼寝を貪ったせいで、深夜になっても目が冴えてしまっている。デニスとガブリエラは昼寝もせず普段通りの時刻に就寝したため、ヴィルフリートの部屋には三人だけが集まった。
「たぶんそれだ。ヴィルは目の敵にされてたな」
手に持った両手剣から目を離すことなく、クリストフが言った。
「えっ、そうなんだ。何で?」
「知らん。俺は何もしてなかったのに」
「じゃあ外見で判断されたのかな」
「あいつがまだ結婚してなかった頃だから、俺にミアというかわいくて素晴らしい妻がいることに、嫉妬でもしてたんだろう」
「う、うん、まあ、そうかも?」
クリストフは部屋の隅で両手剣の手入れをしている。会話は聞いているようだが、一度口を出したきり黙っているため、会話の内容より剣の方が大事なのだろう。
「……なあ、フェリクス」
「ん?」
「俺、気になってることがあるんだ……」
「……えっと、どんなこと?」
唐突に、ヴィルフリートが真顔で話を切り出そうとする。デニスとガブリエラが調達してくれた砂糖菓子をつまんで口に入れてから、フェリクスは恐る恐る尋ねた。
「……その、この年になると体臭が気になるんだよ。聖魔法で何とかならないか……?」
「あ、そういう? うーん……何とか……なるかも。試したことはないけど」
「本当か!? 教えてくれ!」
「う、うん……、いいけど、本来は清めのための……」
「地面に落ちたパンもきれいにできるんだろ!?」
「ちょっ、ヴィル、食いつきすぎ。教えてあげるから、その前のめりやめて」
「前のめりになる気持ちをわかってくれ!」
「わ、わかった、わかったってば」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ始める二人を横目で見ると、クリストフが小さくため息をついて呆れた顔で注意する。
「静かにしろ、深夜なんだぞ。フェリクス、早く教えてやれ」
「怒られた……」
しゅんとうなだれるフェリクスの目の前で、ヴィルフリートは尻尾を振りながら餌を待つ老犬のごとく、笑顔を見せて「教えて」と言っている。
「言っとくけど、ヴィルも怒られたんだからね。じゃ、詠唱文句言うよ。天界の守護者よ、我が身に宿りし聖なる力を以て清めん。聖なる光の輝きとともに我が魂を浄化せん。……
「……よし、覚えた」
「いつもながら早い」
「あーよかった、ありがとう。これで若返るな」
「悪いけど、さすがに若返るのは無理だと思うよ……」
**********
夜遅くまで起きていた年寄り三人は、翌朝、しょぼしょぼする目を懸命に見開きながら朝食を取った。
「上着とシャツ買わないと。焦げた、というか、焼かれたから」
「『焦げた』より『焼かれた』の方がしっくりくるよな」
今は三人とも、荷物に突っ込んでおいた古い上着を羽織っている。フェリクスとクリストフの話を聞き、ヴィルフリートは「よし、格好いいの買いに行こうぜ」と言い出した。
「お、おう。ええと、デニスとガブリエラも来るか?」
クリストフが尋ね、二人はうなずいた。どうやら他にすることもないようだ。
「フェリクス様、武器屋行きますよね? 俺もちょっと見に行こうかなと」
「うん、行く。僕のモーニングスター、再起不能になったからね……。いい相棒だったのに」
まだレッドドラゴンの死体のそばでめり込んだままであろう自身のモーニングスターに、フェリクスが思いを馳せる。
まずは大きめの服飾店を訪れ、五人それぞれが好みのものを見て回る。すると、奥の方から店員の話し声が聞こえてきた。
「ああ、いい布を使ってるね。ディアナの目利きはさすがだ」
「本当はもっと仕入れられればいいんだが、一人でやってるらしくてな」
「おや、ディアナ一人で? 娘は手伝わないのかい?」
「娘は『お母さんみたいにうまくできないから』って、定食屋で働き始めたんだよ」
途端、フェリクスの動きが止まった。隣で服を手に取っていたヴィルフリートが気付き、「フェリクス?」と声をかける。
「……ヴィル、今の会話……」
「今の? 俺にも聞こえてたが」
「前に話した女性の名前……、ディアナっていうんだ」
「えっ、それ……」
「珍しい名前じゃないから偶然かもしれないけど、布の仕入れって言ってたし……」
「わかった。このあと武器屋に行ったら、宿に戻ろう」
「うん。もし本人だったら謝らなくちゃ」
フェリクスは気丈に振る舞おうとするが、ブラウンの瞳がわずかに揺れている。
「大丈夫だ、きっと」
根拠のない慰めになってしまったヴィルフリートの言葉に、フェリクスはこくりと小さくうなずいた。
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