29.戦闘終了


 ヴィルフリートが神聖なる盾セイクリッド・シールドを再び出現させようとしたその時、三人の真ん中に立つフェリクスの体をレッドドラゴンは器用に右前足の長い爪でつかみ、高々と持ち上げた。


 フェリクスの持っていたモーニングスターが地面に落ち、レッドドラゴンがそれを後ろ足で踏み潰した。地面にめり込んだ鉄球や持ち手部分がめりめりと音を立てて変形する。


「うわああっ!」


「フェリクス! ……くっ、フェリクスがっ……!」


「そうだ、この匂いだ……あれと同じ」


 餌をつかんで自身の顔近くまで持っていき悦に入るレッドドラゴンは、すぐにフェリクスを殺す気はないようだ。おそらく、『うるさい虫』たちを退治したあとで生きたまま堪能しようとしているのだろう。フェリクスは懸命にもがいているが、その爪にがっしりとつかまれており、全く歯が立たない。


「きゃああ!! フェリクス様! 食べられちゃうっ……!」 


「作戦通りでいい! 僕のことは構わないで!」


「そんなわけにいくか! くそっ、どうしたら……!」


 ヴィルフリートがフェリクスを見上げながら苛立ちを見せていると、クリストフが「レイスの時と同じだな」と一言ぼそりとつぶやいた。


「レイスの時……しかし、あれは……」


「ああ、あの時と違って、今は時間がない。だからフェリクスに防御魔法をかけろ。あとは……同じだろ?」


 不敵な笑みを見せるクリストフに、ヴィルフリートは小さくうなずく。


「……よし、火炎盾ファイヤ・シールド! もひとつ、神聖なる盾セイクリッド・シールド! フェリクス、ちょっと我慢しろよ、あとで水飴買ってやるからなっ!」


「う、うんっ」


「ヴィル、まずはおまえの魔法だ。いけ!」


「最初は……凍結呪文フリージング・スペル!」


 フェリクスがつかまれているレッドドラゴンの右前足部分にのみ防御魔法を発動させると、ヴィルフリートは次の魔法を放った。しかし、これまでのものとは違い、派手な爆発や鋭い切っ先の攻撃ではないようだ。


「……何だ、あれ……レッドドラゴンの周りに薄い文字が……」


「効果ないんじゃないか? もっと攻撃力の高いものはないのかよ」


 自身の袖を貫いていたナイフを取り外したアルバンたちは、いつの間にか捕らえる対象だったヴィルフリートたちを応援している。


「さて、次は……氷剣アイス・セイバー!」


 東の空から高い位置まで昇りつつある太陽の光を受けてきらめくヴィルフリートの氷剣アイス・セイバーは、一瞬で三回発動された。そのうちの二回がレッドドラゴンの左脇腹に当たり、第二王子の匂いを堪能していたレッドドラゴンが苦しみ始める。


「グガッ……! 虫けらの分際で……!」


「俺らが鬱陶しい、でも炎は吐かない。そうだろ? フェリクスがそこにいるんじゃ、餌が黒焦げになるもんなぁ! 霜水晶棘フロスト・クリスタル・ソーン!」


 ヴィルフリートの声とともに無数の氷の棘が地面の魔法陣から湧き上がり、レッドドラゴンの鱗の隙間を縫って尾や足に刺さる。そんな時、凍結呪文フリージング・スペルの効果がじわじわと現れてきた。


「おっ、あの文字から足と尾が凍ってきてるのか」


「おおお……こういう魔法もあるんだな」


 アルバンたちは結界内で繰り広げられる壮絶な戦いから目を離すことなく、興味深そうに見守っている。


「クリス!」


「まかせろ」


 そう言ってクリストフは両手剣を構え直す。その隙を狙い、レッドドラゴンの左前足が襲った。大柄なクリストフが簡単になぎ倒され、ズザザッという摩擦音を響かせながら地面へと転がされる。その次の瞬間、レッドドラゴンの鋭利な爪の先がクリストフの腹をかすめた。


「爪にも気を……クリス!?」


「ぐふぅっ……!」


 ――地面に流れ始める真っ赤な血、何度呼びかけても倒れたまま動かない体、それを抱きかかえる自分――


 呻き声の方に視線をやったヴィルフリートの脳裏に過るのは、フェンリルに首元をやられたクリストフだ。再びあの時の記憶がまざまざと蘇り、ムカムカして激しい吐き気を催す。「うぐっ」という自分の声と、どくん、どくんという、何かを急かすような自身の胸の鼓動だけが聞こえる。それなのに、目に映るものは全てがゆっくり動いているように見え、胃のあたりの気持ち悪さに拍車をかける。


「……クリス……」


聖なる治癒ホーリー・ヒール!」


 ヴィルフリートが弱々しくクリストフの名を呼んだ直後、レッドドラゴンにつかまれたままのフェリクスの聖なる治癒ホーリー・ヒールが放たれ、クリストフは「ううっ」と苦しそうな声を出してはいるが、起き上がることができるようになった。


「クリス……! 死んでなかった……大丈夫か……?」


「ああ、問題ない。しかし完全に体に突き刺さったわけでもないのに、すごい威力だった」


「……俺、は、また、死んだかと……」


「フェリクスが、死なせないって言ってたからな」


 まだぼんやりとした表情のヴィルフリートに、クリストフはにかっと笑って言う。


「……そうだな……。っと、危ない」


 ヴィルフリートを狙ってレッドドラゴンの爪が襲いかかり、まだ吐き気が残る体を最小限の動きで移動させ、身軽に避ける。その後は左脇腹の傷が痛むのか、レッドドラゴンの動きが鈍くなり、爪や炎が襲ってくる気配はないようだ。


「動きが鈍くなってきたな。フェリクスが落とされるぞ……!」


 ヴィルフリートの予想通り、レッドドラゴンの爪がつかむ力が弱まって、フェリクスはずるずると爪の間を滑り始める。ヴィルフリートもその場に動いたが、ちょうど真下でクリストフが構えており、落下してくるフェリクスを見事に受け止めた。


「食べられるかと思った……クリス、ありがとう。輝ける慈悲ルミナス・ヒール!」


「うぇっ、まだ気持ち悪いぃ……おぇ……。でもここでやらないとな。デニス! ガブリエラ! おまえらの出番だ!」


「は、はい!」


「デニス! 大丈夫だから、思い切り落ちて!」


「おまえの『大丈夫』は、怖いんだよっ……!」


 ガブリエラに文句を言いながらも、デニスはキッとレッドドラゴンを見据え、「いくぞ!」と叫びながら崖の上を飛び出した。狙うは額の尖晶石スピネルだ。石の特徴として、結晶同士の境界があるとヴィルフリートが言っていた。そこにまっすぐに剣を当てられれば――


 崖から飛び降りたデニスには、手に持つ大剣がレッドドラゴンの額に届くまでの時間がとても長く感じられた。まだだ、まだ早い、あと少し、とタイミングを見計らいながら、大剣の位置や角度を調整する。


「ここだ!」


 最良と思われる箇所、レッドドラゴンの額から出っ張って尖っている先端部分を狙い、両手で渾身の力を込め、思い切り大剣を突き刺す。ヴィルフリートの理屈を信用すれば、これで尖晶石スピネルを壊すことができるはずだ。


 直後、ガキィイン!という甲高い衝撃音が響き、デニスの体は弾かれたように握りしめている大剣とともに空中を落下していく。そこへ、ガブリエラがすかさず風防御壁に守られている弱いつむじ風を展開させ、横風に煽られたデニスはズザザッという音を発しながら着地した。


「無詠唱で、できた……! デニス、大丈夫!?」


「グゥッ……! お、まえ、なんて、ことを……!」


 苦しみ始めたレッドドラゴンを見上げると、額の尖晶石スピネルの右側から亀裂が入っているのが見て取れる。


「ググゥウウッ……! グワァアアアアアアア!! グガガァアアアア!!」


聖なる治癒ホーリー・ヒール! やっぱりあれが弱点か。デニス、よくやった!」


「……ううっ、はい、何とか、できました」


「おかげで大成功だ。デニスとガブリエラはもう結界の外に出てろ。時間はかかったが、とうとう尖晶石スピネルにヒビを入れるところまでできた。今は俺の凍結呪文フリージング・スペルで足止めできている。だが、長くはもたない。……どうする?」


「それはもちろん」


「作戦通り、だよな」


 レッドドラゴンは足と尾を自由に動かすことができず、前足で額を隠すように「ググゥ……」と呻いている。左脇腹からは赤黒い血が流れ続けており、いかにも苦しそうな様相だ。


 三人は、結界の外にデニスとガブリエラが出たのを確認してから再び顔を見合わせてうなずいた。ヴィルフリートが土精の盾ノーム・シールドを発動させ、クリストフはレッドドラゴンの正面で両手を突き出して構えを取る。


「おそらく土精の盾ノーム・シールドはあまり効果がないだろう。ただ、衝撃が来るのを少しだけ遅らせることはできるはずだ。次の炎を待って……ぶっ放したら全力疾走だぞ」


「ああ」


「わかった」


「グアアアアアッ……! よくも、宝石に傷を……! 黒焦げでも構わぬ、我が最大の炎をくらうがいい!」


「クリス、来るぞ……! 神聖なる洪水ホーリー・フルード!」


紅炎爆風フレア・ブラスト!」


 そう叫ぶとヴィルフリートは神聖なる洪水ホーリー・フルードでレッドドラゴンの顔めがけて巨大な水の塊を出現させた。その大量の水はレッドドラゴンの口から吐かれる激しい炎とクリストフが繰り出す紅炎爆風フレア・ブラストの爆炎に挟まれ、耳をつんざく爆音とともに凄烈な爆発を引き起こす。


「グワァアアアアアアッ……! ギャアァァアアアアアア!!」


 レッドドラゴンの苦しそうな咆哮を聞きながら全力疾走で逃げる最中、フェリクスは輝ける慈悲ルミナス・ヒールを発動させ、土精の盾ノーム・シールドを軽々と破った爆発で火傷を負った三人の背中を癒やした。


 全員が無事に結界の外へ逃げて来られたことを確認してからヴィルフリートはレッドドラゴンの方を見るが、もうもうと水蒸気の煙が立ち上がり全く様子がわからない。唯一わかるのは、レッドドラゴンの咆哮が消えて静かになったということだけだ。


「……すごい威力だったな、あの爆発……」


「結界がなかったら、私たちも危なかったわね……」


 デニスとガブリエラが呆然としながら、結界の中を凝視している。


「これで、倒せてなかったら……」


「困るなぁ。すごく疲れたし、膝どころか全身がギシギシいってるし……」


「俺も腰が……。魔力の残りも少ないから、もう魔法発動は無理だ……」


 立ち尽くすヴィルフリートたち三人の後ろでアルバンと兵士が「あんたらすげえな……」「見ごたえあったよ」などと言っているが、誰の耳にも入っていない。結界内からはやがて煙が消えていき、レッドドラゴンが横向きに倒れているのが見えた。


「……やった、か……?」


「おい、クリス、それ東方の島国だと『しぼうふらぐ』っていう呪いの言葉らしいぞ。口にすると悪いことが起きるんだ」


「は? 何だそれ? 聞いたことないぞ」


 クリストフの疑問の言葉を背にヴィルフリートはレッドドラゴンに近付き、ダガーでつんつんと背中を突いてみた。何度突いても、その巨体が動く気配は全くない。


「動かないな。どれどれ、尖晶石スピネルは……おっ、見事に壊れてる、粉々だ」


「じゃあ、やっぱりやったんじゃねえか。何だよ、しぼ……ふ……とかいうの」


「だって商人が……呪いの言葉だって……」


 ヴィルフリートに追いついてきたクリストフとおかしな会話をしていると、その後ろでフェリクスがのろのろと歩きながら、「……生きてる……」とつぶやいた。


「僕、生きてる、よ」


「おう、俺ら五人でやっつけてやったからな。フェリクスも大活躍だったぞ。水飴と砂糖菓子買ってやるよ。これで俺の食う飯はこれからもうまいはずだ」


「うん。……うん、よかった、本当に……ありが……と……」


 ヴィルフリートの言葉に泣き出したフェリクスの後方で「いやぁ、あんたらすごいな! さすが双剣の氷月!」「勝利おめでとう!」などと二人が騒いでいるが、やはりヴィルフリートたちの耳には全く入らない。


「しかし腰がだる重い……」


「……ううっ、ぐすっ……僕も、あちこち……。あと背中が寒い……」


 クリストフの愚痴に、フェリクスが泣きながらもいつものように応答する。


「おまえらだけじゃないぞ、俺なんか首も肩も腰も……あっ、忘れてた、あいつら何やってる? ちゃんと見てたか?」


 ヴィルフリートの口からやっと自分たちのことが出てきて、アルバンと兵士は口々に話し始めた。


「み、見てましたよ。やっと気付いてくれた……」


「さっきから話しかけてたじゃないですかー!」


「そうか。さっき俺の格好いいセリフを邪魔した罰だ、徒歩で帰れ」


「……え?」


「馬を寄越せと言っている。クリストフ・モリーニの名前でギルドに預けておくから、あとで取りに行けよ。覚えたか? クリストフ・モリーニだ」


「俺かよ。まあいいけど」


「えっ、あっ、はい……どうぞ……」


 馬を二頭入手し満足げなヴィルフリートは、レッドドラゴンの死体はひとまず放置することにして、馬での移動を開始した。一頭にフェリクス、もう一頭にはガブリエラと荷物が乗っている。


「馬に乗れてよかった。体温がほんのり温かい、うれしい」


「それはよかった。ところで、気が抜けたせいか眠いんだが」


「ヴィルもか。年取ると朝早く目が覚めるのに、昼間に眠くなるんだよな。俺も眠い」


「……僕も……馬、あったかい……」


 相変わらず、話すことは老体の特徴についてだ。そんな会話を聞きながら、デニスとガブリエラは苦笑いを浮かべている。


「そうだ、あとでまたあの定食屋に行こう。今日でも、明日でも」


「えっ、いいけど、そんなに気に入ったの?」


「……んー、まあ、そんなところだ」


「宿の食堂でも川魚食べられるのに」


 歯切れの悪い返答をするヴィルフリートにフェリクスが首を傾げるが、会話はそこで終わった。


 むき出しの岩がごろごろと転がる平野の風は強くなり、空にかかっていた薄い雲を吹き飛ばしている。やっと顔を見せることができた太陽の光の中でそれぞれの思いを胸に、五人は辺境の町へと歩き続けた。

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