24.再会

 

 フェリクスたちが森の出口付近まで到達した昼過ぎ頃、空に重い雲が低く垂れ込めてきた。やがて風が強くなり、まばらに茂るだけになった頭上の葉を容赦なく揺らし始める。ざわざわと葉や枝が擦れる音が漠然とした不安を煽る様は、まるで占いの不吉な結果を伝えているようだ。


「デニス、一雨来そうだがどうする? 崖の洞穴にでも行くか?」


「詳しい場所はわかるか?」


「森を出て左手だな。そんなに遠くはないはずだ」


「わかった、そこにしよう」


 アルバンの案で、野営の場所は予定より手前になりそうだ。雨が降りそうなのは困るが、ヴィルフリートたちが追いつく可能性が高くなり、フェリクスは内心喜んだ。


 ガブリエラが言っていた通り、森を抜けた先は一面に広がる草原だった。アルバンの言う洞窟に到着すると、ひさしのように出っ張っている大きな木の下に馬を繋ぎ、木と木の間からかろうじて見える洞窟の入口を、潜り込むように入る。洞窟は思ったより大きく、入口の近くでは生暖かい風が入ってきてしまう。


「何だかまだ森にいるみたいだね」


「ここ、位置としては森の端なんです。木で隠れてるから、洞窟があるってわかりにくいですよね」


「ガブリエラは来たことがあるの?」


「ええ、演習で一度だけですが」


 薄暗い穴の中が気味悪く思え、フェリクスは入口付近で風に髪を揺らしていた。他の三人は、もう少し奥で壁を背にして座っている。


「僕、焚き火に使う木の枝拾って来ようかな」


「ああ、そうだ、忘れてた。雨が降りそうだから今のうちだな。俺が行く」


 フェリクスの言葉にデニスが乗ってきて、二人で腰を上げる。


「フェリクス様は行かなくていいのでは? デニスだけでも……」


 ガブリエラに引き止められるが、フェリクスは洞窟を出ながら「ううん、僕が言い出したことだし」と譲らない。


「それならデニスにくっついてないとだめですよ。まだ森の近くなので、魔物が出るかもしれません」


 注意事項を告げるガブリエラに向かってうなずき、先に外に出たデニスの跡を追う。少し早足で歩くと、彼は後ろを向いてフェリクスを待ってくれていた。


「フェリクス様、もしかして洞窟が怖いんですか?」


「ち、違うよ、怖くはないけど暗いのは嫌だし、外の方が明るくていいなって」


「暗いのが嫌って、つまり怖いってことでは? 子供みたいですね」


「怖くないよ! 気味が悪いってだけ!」


 フェリクスが怒ってみせると、デニスはまた笑い出した。一応抑えてはいるようだが、手で覆った顔からくつくつと笑いを漏らしている。


「……もう……また笑ってる……」


「すみません。おもしろくて、つい。早く拾っちゃいましょう」


「う、うん」


 納得いかない何かを感じるが、雨が降り出しそうなのは事実だ。フェリクスはデニスのあとに着いて森の入口の方に歩きながら、大きな木の下を探して適当な枝を拾い集める。


「ここらへんで探索魔法使ってもいい?」


「どうぞ」


 洞窟から離れた場所で、探索魔法を発動させる。すると、すぐそばに自分のアメジストのペンダントがあるということがわかった。


「あっ……近くに、いるみたい……!」


「えっ、近くに? ちょうどよか……」


「おい! おまえ、今何やった!?」


 デニスの言葉を遮るように後方から大きな声がかかり、二人が驚いて振り返ると、そこにはアルバンがいた。


「何で魔法陣なんか出せるんだよ……!」


「……えっ……」


 アルバンが顔を真っ赤にさせ、怒りながら歩いてくる。


「どこに隠してる!? 魔法媒体なんか持ってられちゃまずいんだ、よこせ!」


 ずかずかと大股で近付き、フェリクスの肩を両手でつかんで揺さぶるアルバンにデニスが「やめろよ」と制止するが、全く聞き入れられない。フェリクスが持っていた木の枝はばらばらと地面に落ち、アルバンがそれを踏み潰す。


「やめろって。別に持ってたっていいじゃないか、本来そこまでの指示はないんだ」


「指示がなければ、何でも許していいのか? こいつが突然攻撃魔法で俺たちを襲ったとしても?」


「これまでフェリクス様は、そんなことしてなかっただろう?」


「森の中だったからかもしれない。ここからなら、案内なしでも町に行けるんだぞ。デニス、何でそんなにこいつをかばうんだよ。……まさか……」


 アルバンの怒鳴り声と、その足を乗せられた木の枝がバキバキと折れる音が耳障りで鬱陶しく、フェリクスは耳を塞ぎたくなる。


「いや、それは今はいい、とにかく早くよこせ!」


「!! やめっ……!」


 アルバンに胸ぐらをつかまれそうになり、とっさに身を引きながら腕で左胸をかばうフェリクスに、彼はニヤリと笑う。


 次の瞬間、素早い動作でアルバンがフェリクスの上着の襟部分を乱暴につかんだ。デニスが押さえようとしたがほんの少しの差で間に合わず、留まっていた上着のボタンがちぎれ飛び、アルバンの手がバングルを取り出す。


「翡翠……これだな」


「そ、れはっ、大事なものなんだ! 返して!」


「そんなの知るか!」


 アルバンはフェリクスから離れると、バングルを草地の中へ思い切り投げた。


「ああっ……!」


「おまえ、ひどいことを……! フェリクス様の大事なものなんだ、いいじゃないか、あれくらい!」


「デニス、何でそんなにこいつの肩を持つんだ? 金でももらってんのか?」


「フェリクス様はそんなことしな……あっ、待て! そっちはだめだ!」


 フェリクスは、バングルが投げられた方へ走り出した。生い茂る背の高い草を低い姿勢でかき分けながら進むと、その姿は完全に隠されてしまう。ねちゃねちゃと泥が足に絡みつき思うように歩けないが、構っていられない。絶対になくせない大事なもの、ヴィルフリートが自分に託してくれたもの、クリストフと自分の命を助けてくれたものなのだ。


「フェリクス様! そっちは危ない!」


 デニスがフェリクスの背中に向かって叫ぶ。その時、二人の男が馬を連れて森の方面から走って来た。


「くっそ、風魔法があっても走るときつい……年寄りに何やらせるんだよ……。で、フェリクスが何だって? おまえら何かしたのか?」


 細身で背の高い男が、息を切らせながら言う。


「おい、フェリクスはどこだ? 名前が聞こえたから急いで来たのに、いねえじゃねえか」


 馬の手綱を持つ、デニスと同じくらい大きな体格の男が、きょろきょろと視線を動かしながら言う。


「フェリクス様が、バングルを取りにあっちへ……! あそこは湿地なんだ、足が取られて戻れなくなる!」


 この二人がフェリクスの旅仲間だということに、デニスはすぐに気が付いた。きっと助けてくれるはずだと、フェリクスが走って行った方を指差す。


「何であんなところにバングルが? いじめっ子でもいるのか?」


 ヴィルフリートがアルバンをじろりと睨みつけると、彼は大きな木が背に当たる場所まで後ずさりながら、「あいつが悪いんだ、あんなもの持ってるから!」と大声を出した。


「何だか知らないが、おまえがやったんだな。あとでじっくり話聞いてやるから、そこで大人しくしてろよ」


 言い終える前にヴィルフリートが腰の革袋からナイフを取り出す。ナイフは風切り音を立ててアルバンの上着の袖を貫通し、カカッという音とともに後ろの木に刺さった。手首を固定された格好になったアルバンが、「ひぃっ!」と悲鳴を上げる。


「おっ、二本ともうまく刺さった」


「ヴィル、喜んでるところ悪いが、すぐに雨が降り出すぞ。早くしないと。あと、おまえ……」


 クリストフがデニスの方を向くと、彼は「俺にも、何かできることがあれば……」と真剣な面持ちで言う。


「……わかった。ヴィル、探索魔法……いや、今はフェリクスの方が先か」


「ああ、まずフェリクスの居場所を確認しないと。フェリクス! 返事しろ! おーい!」


「ヴィルの声……!? バングルが、バングルが……っ!」


「そんなものほっといていいから! こっち来い!」


「だめだよ、大事なものなんだ! 探さないと……!」


 涙で潰れそうなフェリクスの声が耳に刺さり、「しょうがないな」とヴィルフリートがつぶやく。


「フェリクス、どこにいる!? まっすぐ立って手を上げろ!」


 ヴィルフリートの声に反応したフェリクスが言われた通り右手を上げると、草の中から指先が出るのが見えた。


「フェリクスがいるところは、大体だがわかった。土魔法で足場を……いや、うーん……。フェリクス、そこ動くなよ! 俺が何とかするから!」


 ヴィルフリートはそう叫ぶと、ぶつぶつ言いながら何かを考え始めた。


「あーそうだ、土魔法じゃなくて氷魔法にしよう。持続時間が長いからな……永久凍土ニヴルヘイムがいいか」


 ヴィルフリートの氷魔法で、辺り一帯の地面が凍りつく。滑りやすそうな地面ではあるが、少なくとも、助ける側も泥にはまって動けなくなることはなさそうだ。


「ええと、まず俺が行く。ひとまず待っててくれ」


「わかった、気を付けろよ」


 クリストフにうなずくと、ヴィルフリートは「おー、思ったより滑らないな」などと言いながら、凍った地面の上をフェリクスのいる方へと進む。


「フェリクス! 凍ってないか!?」


「凍ってないけど寒くて凍りそう……!」


「そのままそこにいろよ、動いたら凍縛フローズン・バインドで凍らせるぞ!」


「うう、それはやだ!」


「フェリクス、大声出せ! 何か言え!」


「ええー! えっと、えっと……寒いー!」


 声を頼りにヴィルフリートがフェリクスの元までたどり着くと、魔法で凍らせた地面の範囲外ぎりぎりに、彼はいた。膝近くまで泥にはまってしまい、足を出すこともできなくなっているようだ。


「ああ、やっと見つけた。こっち来い。靴はあきらめろよ」


 ヴィルフリートが凍った地面から手を差し出すが、フェリクスは首を横に振ってその手を取ろうとしない。


「何やってんだ、早く来いよ」


「まだ、見つかってないから……」


「バングルのことか? 場所は探索魔法でわかるが、すぐに雨が降り出す。止むまで探すのは無理だ。あとで探せばいいだろ?」


「うっ……ごめん……ごめん、ヴィル……」


「気にするな。ほら、行くぞ。クリスと、あいつ……名前は知らないが、でかいやつも待ってる」


「……デニス……っていうんだ、彼」


 そう言うと、フェリクスはヴィルフリートの方に手を伸ばした。ヴィルフリートのひんやりと冷たい左手に触れ、安心感から目に涙がにじむ。


 ヴィルフリートは、「クリスに頼めばよかった……」と言いながら差し出された手を両手で力強く握ると、フェリクスを泥から救出して肩に担いだ。


「えっ、ちょっ、自分で歩けるよ!」


「騒ぐな、暴れるな。靴脱げてるだろ、この地面は冷たいぞ。それに、魔法の効果があるうちにあっちに行かないといけないんだ」


「……そりゃ冷たいのは嫌だし、足の長さは違うけどさ……ううっ……」


 ヴィルフリートの足取りは、時々滑りそうになってはいるが、草をかき分けながらでもしっかりしている。「体重がある方が滑りにくいんだな……やっぱりクリスにやらせるべきだった……」というぼやき付きで運ばれるフェリクスは、「足の長さって残酷……」と嘆いている。


 二人がクリストフとデニスの元へ到着する前に、永久凍土ニヴルヘイムの効果は切れてしまった。泥の浅い部分を歩くだけで何とか靴は脱げずに済んだが、ヴィルフリートの足とフェリクスのズボンには粘着性の高い泥がこびりついている。


「うわ、すごい泥。靴洗うより、乾かして剥がす方がいいか」


 自分の足元を見たヴィルフリートが言うと、フェリクスが「ヴィル、下ろして!」と叫んだ。上半身がヴィルフリートの背中側にあるため背中を叩いてみるが、「靴ないだろ。いい子にしてろ」と言われるだけだ。


「フェリクス様、怪我はないですか?」


「怪我はないけど、今のこの格好自体が大怪我みたいに思えるよ……」


 デニスが心配してくれるのはわかるが、見られたくない格好二位あたりに急浮上した自分の姿が恥ずかしい。


「フェリクス、大丈夫か? ちょっとやつれたんじゃないか? ちゃんと食べさせてもらってなかったのか? 顔が赤くなってるが、熱があるんじゃないか? 体調はどうだ?」


 ヴィルフリートの肩に担がれたままのフェリクスを、クリストフがまじまじと見つめて矢継ぎ早に質問を投げる。


「顔が赤いのは、担がれてるからだよ……。体調は大丈夫、ありがとう、クリス」


「いい子にしてたら、ご褒美に町で水飴でも砂糖菓子でも買ってやるから」


 ヴィルフリートがいたずらっぽく笑って言う。


「……ヴィル、何でも甘いもので解決できるって思ってるよね……」


「思ってるが? いらないのか?」


「……いる」


 そんな三人のやり取りを見ていたデニスが、突然「ぶっ!」と吹き出した。


「やっぱり子供……!」


「子供じゃないから! デニスの倍以上生きてるから!」


「いや、だって、甘いものって」


 フェリクスは喉の奥で笑うデニスに反論するが、彼の笑いは止まる気配がない。


「デニス……笑いすぎだよ……」


「フェリクス、そいつと相性良さそうだな。ああ、ヴィル、俺が引き取ろうか?」


「そうだな、頼む。……よっこらせっと」


 むぅ、とフェリクスがむくれている間に、次の居場所が決まった。ヴィルフリートがフェリクスの足の汚れている部分を水で洗い流し、クリストフの背に移動させる。


「あ、雨が降ってきましたね。あっちに洞窟があるので、一緒に行きましょう。今日はそこで野営しようと思ってたんで」


「おー、いいね、行こう行こう」


 むくれているフェリクスは放っておかれ、ラースの手綱を持つヴィルフリートとデニスが先に歩き出す。少し遅れて、クリストフもその後ろを歩き始めた。


「ちょ……っと、あの、このナイフ、取ってくれないかなぁ……」


 洞窟を目指している一行の耳に、弱々しい声が届く。木に貼り付けられているアルバンだ。


「……あー、忘れてた……。自分で取れるのに」


 ヴィルフリートは面倒そうにラースの手綱をデニスに持たせてからアルバンの元へ行き、木に刺さっているナイフ二本を引き抜いた。


「で、何であんなところにバングルがあるのか、洞窟に行ったらじーっくり話してもらうからな」


 片方の口角だけを持ち上げてニヤリと悪い笑みを作るヴィルフリートに「ひっ」と小さく悲鳴を上げると、アルバンは洞窟とは逆方向へと逃げて行ってしまった。


「お、おい、アルバン!」


「あれ、逃げちゃった。あいつ大丈夫?」


「……はぁ……。もう、いいです。どうせ俺たちの任務は完遂しないし」


「任務、か。きみはまともそうなのに、何でこんなことしたんだ?」


「フェリクス様にも同じこと聞かれましたよ……」


 ヴィルフリートとデニスが話しながら歩くのを後方から見ているクリストフが、ぼそりとつぶやいた。


「……大変だったんだぞ」


「えっ?」


「ヴィルが、フェリクスがいなくなったのは俺のせいだって、すごい勢いで取り乱してな。あれはやばかった。仕方なく俺が平手打ちして、落ち着かせたんだ」


「……そう、だったんだ。ヴィルのせいなんかじゃないのに……」


 クリストフの背中から見るその後ろ姿は、相変わらず飄々としている。


「宿もしばらくは個室禁止になるだろ。もう黙っていなくなるなよ」


「うん……ごめん……」


「泣き虫」


「……ちょっと、鼻が詰まっただけ、だよ」


「そうか」


 クリストフが笑いを含んで短く答える。その背中がとても暖かくて、フェリクスの目からまた涙がこぼれた。

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