23.応用


 翌日の朝も、デニスは前日と同じように淡々と任務をこなすように動いた。ガブリエラとアルバンの様子も同様で、特に前日と変わったところは見受けられない。


「フェリクス様、携帯用食料は食べましたか?」


「あ、食べたよ。ありがとう」


 フードの下でにこっと微笑んで言うと、ガブリエラはふぅと息をついた。


「すぐに寝ちゃったから、心配しましたよ。では行きましょう」


「うん」


 『心配』と彼女は言ったが、自分の心配をしているわけではないと、フェリクスはわかっている。彼女自身の心配をしているだけ、要するに保身だ。


「ああ、今日は昨日より多めに休憩取るから」


「えっ? 大丈夫なの?」


「生きて連れて帰らないといけないんだ。衰弱されても困る」


 デニスが冷たい口ぶりで言い放つのを聞き、ガブリエラが「そう、わかったわ」と返答する。


「休憩が多くても、たぶん明日中には町に着くかと。けど、遅い時間になるかもしれません」


「ごめんね、僕のせいで……。早く帰りたいよね」


「気にしなくていいですよ。期限を決められているわけでもないので」


「優しいね、ガブリエラは」


「いえ、そんなことは……」


 今のフェリクスは、デニスが言うところの、猫をかぶっている状態だ。この会話は後方の彼には聞こえていないだろうが、もし聞いていたらきっとこっそり笑うだろう。


「森を抜けるとすぐに町があるの?」


「ええと、森を抜けるとこの川の源流の湖が左側にあるんですが、その辺りには草原が広がってるんです。その向こう側に町があります」


「へぇ、そうなんだ」


 草原と聞き、フェリクスはクストの町周辺を思い出した。わざわざ暗い時間帯に出向いて魔物との戦闘をした時のことや、単独行動中に暇になったからという軽い理由で足を運んだら血まみれのクリストフをヴィルフリートが抱えていた場面が、ありありと目に浮かぶ。まだそれほど日が経っているわけでもないのに懐かしさで涙が滲んできてしまい、慌てて目をこすった。


 一旦ぎゅっと目をつぶってから開けると、前方に魔物がいた。まだ朝だというのに……と、陰鬱な気分になる。


 デニスの指示で三人が魔物の始末を終え、再出発する。それを何度か繰り返していると木漏れ日が見えるようになり、辺りが明るくなってきた。


「よし、休憩だ」


 デニスの声で馬の歩みが止まり、休憩に入る。賢明な彼は、昨夜のフェリクスの言葉を信じた。今では、任務を完遂させても自分たちが切り捨てられる立場だとわかっている。


 フェリクスは大きな木の根本に腰を下ろし、葉の間から溢れる光がさらさらと流れるように動くのをぼんやりと眺めていた。深夜に話し込んであまり睡眠を取ることができなかったため、暖かい場所だと眠くなってしまう。


 少しうとうとしてからはっと顔を上げると、デニスがフェリクスの方を向いて座っており、他の二人は背を向けていた。これなら探索魔法を使えると、フェリクスは教わった風魔法を頭の中で展開させ、目を閉じる。が、やはり反応は返ってこない。まだ範囲内にアメジストのペンダントはないようだ。


 焦ってはいけないとわかってはいるが、ヴィルフリートとクリストフに早く会いたい、できることなら道を引き返したいとさえ思う。しかし、失敗は避けたい。味方も一人増えた。大事なのはこれからだ。


 ――絶対に、レッドドラゴンを倒す――


 改めてそう決意を固めると、フェリクスは背筋を伸ばして前を見た。



**********



 ヴィルフリートとクリストフは、フェリクスたちが休憩していた場所に到着した。座れる場所を探そうとヴィルフリートがふと地面を見ると、土に何かが書いてあるのが見える。


「……クリス、これ、見てみろよ」


「ん、なになに? 天空を駆ける……風の……って、風魔法? これ、ヴィルが詠唱してたのと同じ始まり文句だな」


「狭い範囲の探索魔法だ。フェリクスはきっと、バングルに気付いてる。でも、風魔法は使えなかったはず」


 詠唱文句が書かれている部分をよく見ようと、クリストフがしゃがみ込んだ。ヴィルフリートはそのすぐそばの切り株に腰を下ろす。


「誰かにうまいこと『風魔法教えてくれる?』とか言って書いてもらったか、自分で書いたんじゃねえか? さすがフェリクス、俺には真似できねえ」


 軽口を叩きながらも書かれている詠唱文句に目を細めるクリストフを見ていると、早く三人での行動に戻りたいと、気持ちが急いてしまう。


「……風魔法か。応用すれば……」


「応用?」


「持ってる荷物を少し軽くできる風魔法があるんだ。それの応用で、体重を軽くして足を速くできないかと。その代わり寒い」


「……ヴィルは本当に便利だなぁ……」


「試してみるか? ああ、魔法を使い続けることになるから、魔物への対応がちょっと遅れるかもしれないんだが」


「それは構わないが、もっと早く気付いていればよかったな」


「いや……、寒いから……、俺ら年寄りが何日もずっと使い続けるのは、ちょっと……」


「……そ、そうか……。まあ、今からでも」


 やはり馬で移動している者に徒歩で追い付くのは難しい。風魔法は寒さとの戦いになりそうだが、これで追い付くことができれば御の字だ。


「おう。じゃあやってみるぞ」


 そう言うと、ヴィルフリートは風魔法を展開させた。対象は荷物ではなく、自分自身だ。


「おっ……、これはけっこう……楽だな」


「二人にかけられるか?」


「いけるぞ。今度はクリスも」


 一旦魔法を解除してから、再び対象を自分とクリストフに定めてかけ直すと、クリストフがうれしそうに「本当だ、体が軽い」と言っている。


 木に繋いでいたラースの綱をクリストフが解き、出発する。思った通り、足元にひんやりした風の寒さを感じるが、早く歩けるのであれば我慢できるという程度だ。


「フェリクスはこの魔法嫌がりそうだな」


「ああ。クストで買い物した時、荷物軽くできる魔法があるって言ったんだが、寒いより重い方がいいって言ってたぞ」


「そうだろうなぁ」


 クリストフの表情が明るくなったことがうれしく思え、ヴィルフリートも口元をほころばせたが、すぐに真剣な表情になり、口を開いた。


「なあクリス、フェリクスに追い付けたらって前提だが、辺境伯に会いに行くのはすぐじゃなくていいよな?」


「……真面目な顔して何を言うかと思えば……。勅令だぞ?」


「辺境伯に三人で会えばいいだけだろ。レッドドラゴン倒してからでもいいんじゃないか?」


「そういうのを屁理屈って言うんだ。だが、その屁理屈がまかり通るとして、レッドドラゴンの居場所がわからないんじゃ……」


 少々呆れた様子で、ヴィルフリートの方を向いていたクリストフがまた前を向き直す。


「そうなんだよなぁ、そこがなぁ。まあ、案の一つってことで。レッドドラゴン倒しに行く前に、フェリクスと三人でしれっと会いに行くのも一興だ」


「そうだな。ところで、速く歩けるのはいいが、やっぱり寒い」


「風で寒いのはしょうがないんだよ……。全部解決したら、また三人でシーラスの湯につかりに行こう」


「ああ。フェリクスも喜ぶだろうしな」


 足を着地させても体重が全てかからないためとても歩きやすく、ヴィルフリートとクリストフは軽やかに歩を進める。そんな二人が話す近い未来には全て、フェリクスを含めた三人の姿が映っていた。



**********



 デニスの提案通り、休憩の間隔を短くしているため、まだ昼前だというのにフェリクスは二回目の休憩を取っていた。ちょうど日だまりができて暖かい場所に膝の高さほどの岩があり、ありがたいと思いながら腰掛ける。


 ガブリエラとアルバンは、「ちょっと先の方を見てくる」と言ってどこかへ行ってしまった。同じ岩のすぐ隣に座っているデニスに「探索魔法やってみるね」と言ってから、フェリクスは風魔法を発動させる。


「無詠唱でしたね、すごい」


「ヴィルフリートにしごかれたからね。……あっ……! 反応があった!」


「本当ですか!?」


「うん、でもまだ……範囲ぎりぎりに入ってる、ってくらい」


 慣れない魔法で範囲がどの程度なのかが不明だが、反応があったことがとてもうれしく、熱いものが込み上げてくる。


「……追いかけて、来てくれてるんだ……」


 あふれる涙で声が詰まり、みっともないと思いながらも、止めることができない。


「よかったですね。でも、そろそろあいつらが戻って来るかもしれないので……」


「……そうだね、ごめん」


「今日は森を出てから、湖の近くで野営になると思います。その時にできそうだったら、またやってみては?」


「うん」


 デニスの説明にうなずくと、フェリクスは乱暴に指で目をこする。


「ああ、あまり強くこするとよくないですよ。さっき馬に乗ってる時もやってたでしょう。フェリクス様、子供みたいですね」


「……それ、よく言われるんだけど……そんなに子供っぽい?」


「よく言われるんですか!? やっぱり……! くっくっくっ……」


「何でそこで笑うんだよ! デニスくらいの子供がいても全然おかしくない年齢なのに! あ、そういえばデニス、年いくつ?」


「……二十五、です」


 デニスは腹に手を当て、笑いをこらえながら年齢を言った。やはり笑顔になると表情がふにゃりと崩れ、かわいくなる。


「まだまだこれからだね!」


「何がですか」


「……人生……?」


「ぶっ! 人生って……! 子供が言ってる……ぶふっ……!」


「僕、デニスの二倍以上生きてるのに……。もう笑うのやめて……あの二人帰って来るよ……」


「わ、かってる、んですけどっ……やべえ、おもしろっ……」


 その後しばらくデニスの笑いが断続的に飛び出し、フェリクスが頬をふくらませるという時間が続いた。幸いアルバンとガブリエラには見られずに済んだが、二人が戻って来た時、デニスの機嫌はだいぶよくなっていた。


「……あれ? 何か、ちょっとおかしくない……? フェリクス様、何かありました?」


「え?」


「デニスの様子がおかしいな、と」


「……いや、特に何も……。もうすぐ帰れると思うと、うれしいのかもね」


「なるほど……? 鼻歌歌ってるところなんて初めて見たから、びっくりしちゃって」


 ガブリエラの驚きは理解できる。フェリクスも、落ち着きのあるタイプのデニスが、まさか鼻歌を歌い出すとは思わなかった。


「そっか。まあ、彼にもそういう時くらいあるんじゃないかな」


 「よく知らないけど」と付け足してから、馬に乗る。後ろにガブリエラが乗って出発すると、フェリクスは頭のフードを外し、日だまりで温まった頬に当たる涼しい風に、少しだけまぶたを閉じた。

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