22.賭け


 目を開けると、デニスが大きな背中を向けて座っているのが見えた。彼のダークブラウンの髪が焚き火の炎で赤く照らされている。他の二人は眠っているようだ。そこでフェリクスは風の探索魔法を使ってみることにした。


 頭の中の鍋の蓋を開け、入れたばかりの探索魔法を展開させる。魔法陣はフェリクスの体の下にほんの一瞬小さく現れただけで、すぐに消えた。目を閉じてアメジストのペンダントの位置を把握しようと試みるが、範囲内にはないようで、反応が返ってこない。残念だが仕方がない、また折を見てやってみようと思い、フェリクスは体を起こした。


「起きましたか」


「う、うん……勝手に寝ちゃってごめん……」


 衣擦れの音に気付いたデニスに起きたばかりの舌足らずの声で答えると、「気にしないでください」と言葉がかかる。


「……何で、抵抗もせず素直に着いてきたんですか? 命までは取られないって、わかってたとか?」


「……え?」


 デニスから質問をされ、フェリクスは少し戸惑った。何も知らないで罪を犯しているこの若者はどういう処遇になるのかと思うと、ざわりと胸が騒ぐ。


「俺たちが辺境伯の名を騙ってるだけって可能性もあるじゃないですか。少しは抵抗すると思ってました」


「……王族だから。誘拐されそうになっても口答えや抵抗はしないようにと、教育されてるんだ」


「へぇ」


「ただ、普通は自分は抵抗も何もしないで側近や近衛兵が対処するけど、僕の場合は一緒にいるのが旅仲間だったから……。迷惑をかけたくなくて。宿の受付の前で渡された紙の内容を読んで、宿は大部屋じゃなく個室にしてもらったんだよ」


「聖女探しの旅仲間、ですか」


「うん。……きみは、何でこの任務を引き受けたの?」


 彼はおそらく、頭がいい。先を見ようとする力も持っているはずだ。それなのに何故……という疑問が、どうしても湧いてくる。


「別に理由なんてないですよ。おまえが行けと言われて、拒むことなく引き受けただけです」


「ふぅん。何か、もったいないね」


「もったいない?」


「だって、汚れたカップをきれいにしてやれと言ったり、僕を馬のそばまで連れて行ってくれたり、ちゃんと食わせろって言ってくれたり……」


「ああ、そうだ、ちゃんと食っといてくださいよ。倒れられたら困るので」


「あっ、はい」


 フェリクスは慌てて背もたれにしている切り株の上の携帯用食料を手に取り、ぽりぽりと食べ始めた。


「この件の目的は何て聞いてるの?」


「特に何も」


「何も聞いてないのに、重罪になる貴族の誘拐を?」


 実際には、フェリクスは素直に彼らに着いて行き、拘束されたわけでもない。『誘拐』という言葉は当てはまらないだろう。だがあえて、その強い意味を持つ言葉を選ぶ。


「……何が、言いたいんですか」


「きみは頭の回転が速い。人に気を遣うこともできる。それなのにこんなことに手を染めるなんて、何か事情があるのかなと思って」


 言い終えると、また携帯用食料をぽりぽりとかじる。『この食感、ヴィルは嫌がってたな』などと思い出しながら。


「……軍の動ける人数が減ってるってのもあるけど……、指示通りにやってるだけですよ。ほめてもらえるのはありがたいんですが、俺は子供の頃から全然だめなやつでしてね。親にも、言われた通りにしなさいと何度叱られたことか。弟はしっかりできてるのに、妹もできるようになったわよ、何でおまえはできないの、図体だけ大きくても意味ないわ、言う通りにしていればいいのよ、なんてね」


 デニスは自嘲しながら、他の二人を起こさないように小声で話す。


「へぇ。見る目がない親だね」


「……は?」


「あ、ごめん、悪口言っちゃった。今のなし」


 ぺろっと舌を出していたずらっぽく笑うフェリクスに、デニスがふっと口元をゆるめた。


「この話すると、大体みんな納得するのに。変なやつ。……よく、そう言われるでしょう?」


「きみ……デニスだけだよ」


「嘘だ」


「嘘じゃないんだけどな」


 デニスはまだ笑った表情のままだ。体は大きくて立派だが、彼の笑う顔は幼く見えてかわいらしい。


 最初は淡々と任務をこなすだけで無気力のように見えたが、デニスの魔物との戦闘や周囲への接し方などを見ていると、大局を見通す目を持っていることがわかる。フェリクスは賭けに出るため、敵認定から外れかかっていた彼を、完全に認定外へと置き直した。賭けに負けたらきっと体を拘束されてしまうだろう。だが、今が好機なのだ。


「……で、誘拐を完遂させたあと、辺境伯は僕をどうすると思う? それが世間や王室にバレた時に、きみたちが勝手にやったことだと言われたら?」


「どうする、って……取引か何かに利用するだけでは……?」


「例えば、レッドドラゴンに食わせる、とか」


「……何、ですか、それ……」


 デニスの表情から笑みが消え何となく残念な気持ちになりながら、フェリクスは視線を合わせて話し始めた。


「今、このラングハイエン王国は、各地で多く出没する魔物のせいで兵力が削られてる。それに乗じて、西隣のキルニアード帝国が攻め込んでくる恐れがある。攻め込む理由は『レッドドラゴンの脅威が我が国にも及ぶのを防ぐため』と言っておけばいい。辺境伯は焦り、陛下に進言する。『生贄として王族をレッドドラゴンに差し出して眠らせましょう』と。だから、旅仲間を含めた僕たち三人に『辺境伯に会え』と勅令が届いた」


「……えっ……?」


「王族を差し出すことによって、対外的に『ちゃんと対策しましたよ』と主張することができる。辺境伯は、『部下が勝手にやったことだ、知らなかった、フェリクス・ベルツが勝手に一人で来たと思っていた』と言えばいい。きみたちはきっと、口封じに殺されるだろう」


「殺され……いや……、ちょっと待て。それが本当の話だとして、生贄は王族である必要が? というか、生贄捧げるだけで大人しくなるもんなのか?」


 驚くデニスの言葉から、完全に敬語が消えた。普通なら失礼な言い方に思えるのだろうが、彼の場合はかえってそれが微笑ましく映る。


「あ、そこ指摘する? やっぱり頭がいいね」


「ほめてもらえるのはいいんですが……答えは……?」


「きみたちがしていることが、答えだよ」


「……え……本当に……? な、んで……」


 視線を下に落とし、額に落ちてきた前髪をかき上げながら動揺するデニスに、フェリクスは言い募る。今が一番いい機会なのだ。彼なら理解してくれるだろう。


「もし勅令通りに動いていたら、旅仲間の二人は、きっと僕を生贄に捧げるなんてことは許そうとしないだろう。それを見越して、辺境伯はきみたちに僕を誘拐させたんじゃないかな。彼らを巻き込みたくなくて僕はのこのこ着いて来たわけだけど」


「それも『王族だから』ですか」


「そうだね。王族として生まれた僕は、物心つく前から民のために生きろと言われてきたんだ。戦争を回避できるのなら犠牲になるべきだと思ってた。でも……」


「……でも?」


「さすがに、ちょっと未練はある。できればレッドドラゴンを倒したいと思ってたから」


「倒すなんて、そんなこと、できるわけないですよ」


「僕もそう思ってたよ」


 誰もが、できるわけがないと思う。先人たちもそうだっただろう。でももう、フェリクスたちは希望を持ってしまった。


「思ってた、ということは、今は……? 旅仲間って一体……」


「すごく強い人たちだよ。一人は双剣の氷月って人でね」


「えっ、あの変わり者の? 旅をしてるってことは、まだ健在なのか。会ってみたいな」


 若い人が知っているわけないだろうと思いながらフェリクスがヴィルフリートの二つ名を言うと、デニスが食いついてきた。


「うわ、ヴィルってそんなに有名なの?」


「聞いた話では、前回の聖女探しの旅のあとに『俺には軍みたいなところは向いてないし、商売やらないといけないし、妻を愛してるから命の危険があることはしたくない』って、王立軍の誘いをあっさり断ったらしいです。いやいや、それより、まだ疑問があるんですけど」


「ああ、言いそうだなぁ……。で、疑問って?」


「何で陛下は三人に勅令を? 王族を差し出すようにと進言されて出した勅令なら、フェリクス様にだけ出せばいいと思うんですが」


「そう、そうなんだよね。三人に届いたんだよ。辺境伯は僕だけいればいいと思ってるのにね。どうせ使い捨てだと思ってるんだろうなぁ。三人ともジジイだし」


 彼の疑問は、的を射ている。その点はフェリクスも疑問に思っていた。最初から一人に勅令を発出すればよかったのに、と。すると意外にも、デニスがその疑問の答えを考えてくれた。


「……あの、俺の考えでは、ですけど、本当は陛下はフェリクス様を生贄になんてさせたくないのでは……。だって、弟でしょう? 俺だったら、弟や妹に生贄になんてなってほしくないです。強い旅仲間がいるなら、何とかしてくれるって思って三人に勅令を出すかも」


 てっきり同意する反応が返ってくると思っていたため、フェリクスは面食らった。一拍空いてから、ふわっと心が温かくなるのを感じる。もし的外れだったとしても、彼がきちんと考えて言ってくれたことが、何よりうれしい。


「……そうか。そうかもしれないね」


 フェリクスがゆるりと笑うと、デニスは何かを考え込むように目を伏せた。


 夜が深くなると、夜の鳥の声さえもほんの時々しか聞こえてこなくなる。焚き火の向こう側、少し離れた場所で寝ている他の二人は完全に熟睡しているようで、規則的に胸を上下させている。


「……絶対、演技だろうなと思ってました」


「ん?」


「俺たちと話す時、猫かぶって。今が、本当の姿ですよね」


「ああ、うん」


「こいつは調子に乗りやすいから、簡単にだませたでしょう」


 ガブリエラをあごで指すデニスの問いには答えず、フェリクスはただ柔らかく笑って「これ、見つけちゃったからね」と、シャツの胸ポケットからヴィルフリートのバングルをそっと取り出した。


「何ですか、それ? ……緑の……まさか、魔法媒体?」


「ヴィルフリート……双剣の氷月のもので、僕の上着にいつの間にか入ってたんだ。それに気付くまでは、犠牲になるつもりで生きる気力もなかったから、猫をかぶるなんてこともしてなかった。でも気付いてからは、どんな手を使ってでも生き延びようと思うようになったんだよ。おかげで、三人でレッドドラゴンを倒すって約束を破らずに済んだ。きっと彼は、これを元に探索魔法を使っているはず」


「……本気、なんだ……。本気で、レッドドラゴンを倒すつもりで……。そのためにフェリクス様を取り戻そうと?」


「僕は、仲間のヴィルフリートとクリストフが絶対に来てくれるって信じてる。こんな年寄りが熱くなってたら、おかしいかな?」


「……いえ、全然」


 デニスは真剣な表情で、首を横に振る。賭けに勝った、そう確信したフェリクスは、提案を一つ口にした。


「レッドドラゴンの居場所、知ってるよね? 僕の仲間たちと合流しようよ。きみだけでも」

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