21.野営


 木が生い茂る薄暗い森をしばらく進んでから、ガブリエラが二回目の休憩を取ろうと言い出した。他の二人も了承したため、フェリクスは馬から降りてしゃがみ込み、ガブリエラと話している。


「あの紙に書いてあった、『辺境伯がお呼びです。夜明け前に伺います』って字は、ガブリエラが書いたの?」


「ええ、そうです」


「やっぱり。きれいな字だったから、きっと書いた人もきれいなんだろうなと思ってたんだ」


「……そう、ですか」


 フェリクスの中で、もうこの三人は敵認定されている。最初の標的に決めたのはガブリエラだ。彼女はおそらく、食料を配布する役目を持っている。ご機嫌取りをしておいても損はないだろう。


「ね、もっと書いてみせてくれる? さっき教えてくれた魔法の詠唱文句とか」


「え、ええと、いいですけど、紙がないので……」


「ここでいいよ」


 フェリクスはガブリエラに落ちていた木の枝を渡して、柔らかそうな土を指差す。


「あ、はい、じゃあ書きますね」


 そう言うと、ガブリエラは一文字一文字丁寧に土を削り、字を書き始めた。それを見ながらふわりと微笑む紫の瞳の奥に、強い光が宿る。


「……はい、できました」


「ありがとう。本当にきれいな字だね、いいなぁ」


 ガブリエラが詠唱文句を地面の土に書き終わり、フェリクスは目を細めてほめ言葉を口にする。『これで詠唱文句の確認もできたし、ヴィルとクリスにもわかりやすくなった』と思いながら。


「何やってるんだ? もう行くぞ」


 大きな体格の男性に声をかけられ、しゃがんだ姿勢から立ち上がろうとした時、フェリクスは少しよろめいてしまい、すぐ左側にいた男性の腕をつかんだ。


「ご、ごめんなさい、立ちくらみが……」


「……おい、おまえがちゃんと食わせなかったからだろ。何やってんだよ」


「何よ、私のせい? 生きたまま連れて帰ればいいって言ってたのは誰?」


 男性がガブリエラに辛辣な言葉を吐き、彼女が口答えする。これは良い機会だとばかりに、フェリクスは聖人君子を装って彼女をかばうことにした。


「あ、あの、元はといえば、僕が彼女を無視してたせいだから……怒らないであげて……」


 「ね?」と小首を傾げ、眉尻を下げて男性の黒い目を見上げると、「……ちっ」という舌打ち付きではあるが、彼はフェリクスの腕を取って馬のそばまで連れて行ってくれた。


「ありがとう。優しいんだね」


「死なれたら困るんでね」


 男性がぷいっと顔をそむけて自分の馬へと飛び乗ったのを見てから、フェリクスはガブリエラに申し訳なさそうに言う。


「……ごめんね、僕のせいで嫌な思いを……」


「フェリクス様のせいではありませんよ。では、馬にお乗りください」


「うん。もっと話したかったけど……しょうがないね」


「ふふ。またすぐにお話できますよ」


「本当? ……あ、でも、早く辺境伯のところに行かないと……」


 フェリクスは沈んだ表情をしてみせ、馬に乗った。あまり時間を取らせてばかりでも良くないだろう、さじ加減が大事なのだ、と。


「そうですね。ただ、今日はもう少し行ったところで野営になるので」


 フェリクスに返答しながら、ガブリエラが後ろに乗る。やはり一日では着かないようだ。その方が辺境伯の元へ行く前にヴィルフリートとクリストフと再会できる可能性が高くなるが、自分の体力が心配になってくる。


「野営、か……」


「夜はずっと火を焚いておきます。それに、私たち三人のうち誰かが必ず起きているようにするので、魔物については心配ないですよ」


「うん、わかった」


 結界を張っておけば便利なのになどと思うが、魔法媒体を持っていないことになっているため、フェリクスは素直に肯定の返事をするしかない。


「ガブリエラは、どうしてこの仕事を始めたの? 女性兵士は珍しいよね」


「理由ですか? ええと……、私、背が高くて女らしくないって前からよく言われてたし、体を動かすのは好きので、それなら兵士になればいいかなって思ったんです」


「えっ、女らしくないなんて、そんなことないよ」


「そう、でしょうか」


「うん。……あっ、魔物だ」


 先頭を行くフェリクスの目の前に魔物が現れた。思念体のスペクターだ。神槍グングニルを見舞いたくなるが、ぐっと我慢する。


「全部で……三体。ちょっと始末してきます」


 ガブリエラが馬を下り、他の二人もそれに倣う。基本的に大柄な男性が指示役のようだ。細身の男性が炎魔法を使えるらしく、その指示に従って魔法を発動させる。ガブリエラの風魔法も一拍遅れて発動し、風で勢いを増した炎でスペクターは退治された。


「魔物が現れてもすぐに倒してるよね、すごいな。みんな強いんだね」


「アルバンは炎魔法が得意なので、彼がいれば私の風魔法がああいう魔物にも役に立つんです」


「そうか、なるほど。格好良かったよ」


 フェリクスの言葉に照れたように笑うと、ガブリエラは馬に乗る。


「そうそう、これからは携帯用食料になります。パンはもうないので。今度はちゃんと食べてくださいね」


「え、うん……」


 パンの話になっても、ガブリエラは自分が意地の悪い行為をしたことを謝ろうとせず、それどころか、フェリクスがわがままを言ってパンを食べなかったというような口ぶりで話す。まさか、自分が先に謝ったことであの嫌味な行為が正当化されたとでも思っているのだろうか、だとしたら相当残念な頭の持ち主だという感想しか出てこない。


 その後フェリクスは自分から口を開くことなく、これからのことについて思案に耽っていた。



**********



 野営の場所は、木が伐採されている平坦な場所に決まった。切り株に座って一息つくと、夜に活動する鳥の声が耳に入る。


「元気がないですね。疲れましたか?」


「うん……」


 焚き火に使う木の枝を抱えたガブリエラに問われ、フェリクスは正直に首を縦に振った。ずっと日の当たらない森にいたせいか、手足が冷たくなってしまい、体中に倦怠感を覚える。


「なあデニス、こいつ拘束しておかなくていいのか? 夜の間に逃げられでもしたら……」


 炎魔法を使っていたアルバンという細身の男性が、大柄な男性をデニスと呼んでいる。これでやっと三人の名前が判明した。


「拘束? いらないだろ。大体、どうやって逃げるんだよ。魔物に食われて終わりだぞ」


「だからだよ。魔物に食われでもしたら、任務が完遂しないじゃないか」


「夜の森を、一人で魔法媒体も武器もなしに移動するほど馬鹿だとは思えないが……。そんなに拘束したいなら、おまえがすればいい」


「……いや、それは……」


 男性二人が議論している横で、フェリクスは座っていた切り株から地面へと体をずるずると滑らせ、横たわった。疲れと倦怠感のせいで、何も考えられない。


「……この分じゃ、逃げられそうにないな。拘束する必要はない」


 デニスはフェリクスに視線を落としてそう言うと、魔法で小さな火を出して木の枝に移し、焚き火を起こした。体に当たる炎の暖かさを感じ、心の内でほっと息をつく。


「俺は言ったからな。何かあっても俺のせいじゃないぞ」


 アルバンという男性は、慎重派で自己保身に走りやすい性格なのだろう。信用はできそうにないと、フェリクスはあまり働かなくなった頭の隅に記録しておいた。


「フェリクス様、大丈夫ですか? 携帯用食料と水、ここに置いておきますね」


 ガブリエラが切り株の上に携帯用食料とカップの水を置き、焚き火のそばに座る。馬に乗っていて自分の足ではなかったとはいえ、年寄りにはかなりの強行軍だったと主張したいところだが、口を動かすのも億劫で言葉が出てこない。


 左向きで寝ている体の胸部分に、ヴィルフリートのバングルの硬さを感じる。それだけで安心感を覚え、フェリクスのまぶたはゆっくり閉じていった。


「……フェリクス様……? あら、寝ちゃったかしら……」


「まだ何も食わせてないのに、か?」


「そんなこと言われても。起こすのも悪いし……」


「目が覚めたら、食ってもらわないと。気を付けてろよ」


「ええ」


 デニスとガブリエラの会話を聞きながら、フェリクスはそのままの姿勢で眠りに落ちた。

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