20.風魔法
フェリクスが腰を下ろしている倒木が、突然ドカッと大きな音を立てて揺れた。三人の中の、細身の男性が蹴り飛ばしたのだ。ビクッと体を震わせるフェリクスを見下ろし、彼はニヤリと下卑た笑いを顔に浮かべた。
「行きますよ。早く乗ってください」
男性は、言葉こそ丁寧だが嫌味な口調で先を急かす。上着のフードの奥でこくりとうなずくと、フェリクスは
「フェリクス様、もしかして怒っていらっしゃいます?」
馬が歩き出すと、女性が頭のすぐ後ろから話しかけてきた。フェリクスは『当たり前だろう』という言葉を飲み込み、「ううん」と言いながら小さく首を横に振る。
「それはよかったです」
「……あの……、さっきは、ごめんなさい。痛くなかった?」
かぶっていたフードを外して濃いハニーブロンドの髪をあらわにし、心にもないことを口にすると、女性の手綱を持つ手が一瞬ぴくりと動いた。
「問題ありません」
「……無視したかった、わけじゃないんだ。その、女性と話すのが久し振りだったから、緊張して……」
「まあ、そうでしたか。お気になさらず」
女性の声のトーンが急に上がった。すぐに調子に乗るタイプなのかもしれないと、フェリクスは作戦を練り始める。
「……ただ馬に乗っているだけだと、暇だね」
「はい?」
「風魔法が得意なんだよね? ……ええと、もしよければ、何か教えてもらえないかな……?」
「でも、魔法媒体が」
「うん。ないから試したりはできないけど。だめ?」
「いえ……。何がいいですか? 防御魔法? それとも……」
後ろを振り返るように少し首を回して女性に問いかけると、意外にもすぐに良い返事をもらえた。
「珍しい魔法がいいな。風だと、例えば、探索とか」
「ああ、自分の持ち物の探索ですよね。風魔法のは、それほど範囲は広くないんです。聖魔法も混合で使うとかなり広くできるんですが」
「範囲は広くなくていいから、教えてもらえる?」
風魔法と聖魔法の混合であれば広い範囲を探索できると知り、フェリクスの心が明るくなる。きっと器用なヴィルフリートはこのバングルを元に探索魔法を使っているだろう、それなら時間稼ぎをしなくてはいけないと、気を引き締める。
「いいですよ。じゃあ詠唱文句言いますね。……天空を駆ける風の力よ、我に宿り給え。魂を結びつけし探索の道標を示し給え。我が手に宿る魔力よ、風により解き放たれん……
幸運にも、女性は一言一言はっきりと詠唱文句を教えてくれた。フェリクスは頭の中の鍋にその文句を全て入れると、蓋を閉じる。
「ありがとう。えっと、天空の風の力よ……」
「天空を駆ける風の力よ、です」
「あー、間違えた」
「ふふっ。そんなに早く覚えられる人はいないですよ」
『それがいるんだよね』という言葉を、フェリクスはまた飲み込んだ。それにしても、つい先程意地悪をしたばかりの相手によくここまで親しげに接することができるなと、変に感心してしまう。
「そうだね。でも、珍しい魔法を教えてもらえてうれしいな。ありがとう」
また後ろを振り返るようにしてにこりと微笑むと「前を向いててください」と叱られ、慌てて前を向き直す。
「……ごめん、馴れ馴れしかったね……」
「いえ、その、危ないので」
「……うん」
乗っている馬は軍馬のようで、一人は女性とはいえ、大人二人を乗せてもしっかりした足取りで進んでいる。ラースと同じで、かなりの力持ちなのだろう。ああそうか、ラースは怖がりだから軍馬として用いられなかったのかもしれないと気付き、フェリクスは密かに目を細める。
「……の、名前は……」
「んっ?」
「ガブリエラです」
「馬の名前?」
馬のことを考えていたため、ついそう尋ねてしまい、「いえ、私の名前です」と否定が入った。
「ああ、ごめん」
「いえ。ガブリエラ・エンデと申します」
「三大天使の一人の、女性名だね。素敵な名前だ」
フェリクスが金髪を揺らしながら「ね?」と振り返ると、また「危ないです、前を見ていてください」と叱られる。
「馬の上だと、ガブリエラの顔を見ながら話せないから、寂しいな……」
「またどこかで休憩を入れましょう」
「本当に? よかった、そうしてもらえるとうれしいよ」
これで少しは時間稼ぎになるはずだ。今後もこのやり方でいこうと、フェリクスは作り笑顔を消して前を見据えた。
**********
ヴィルフリートとクリストフは、大きな木にラースを繋ぎ、休憩を取ることにした。森の中にしては多少開けている場所で座りやすそうな倒木に腰を下ろすと、クリストフが「足跡があるな」と言い、数え始める。
「……二、三……いや、四人分か?」
「フェリクス以外に三人いる、と」
「別人のものかも……。でも、ドラゴンが現れたって噂がもう出回ってるから、西への行き来をする人間なんて他にいねえか」
ヴィルフリートは「ああ」と返答すると、うなだれた姿勢で一度大きくため息をついた。
「疲れたか?」
「疲れた、というわけではないんだが……追いつけなくて、最悪の事態になったらどうしようかと……」
もし隣国のキルニアード帝国が絡んでいれば、辺境伯はなるべく早くレッドドラゴンを眠らせたいと思っていることだろう。現在、ラングハイエン王国の兵力は衰えている。国境付近で暴れるレッドドラゴンをなかなか討伐、もしくは封印できないとなると、それを大義名分にして攻め込まれる恐れだってあるのだ。ヴィルフリートはこの暗く重い考えを、捨てることができずにいる。
「珍しいな、おまえがそんなこと考えるなんて。もう一度探索してみたらどうだ?」
「……やってみるか」
ヴィルフリートは再び探索魔法を発動させ、目を閉じた。バングルの持ち主は休憩中のようで、向かい合う人物の、女性と思われる下半身が見える。正確な方角は北西で、やはり西の辺境への道を進んでいるようだ。
「……女性と一緒、か……? 顔はわからないが、腰から下が見えた。休憩中なのかもしれない。座って何か話しているような雰囲気で」
「女性?」
「ああ、女性だと思う。冒険者……のような、ギルドの依頼遂行中って感じの服装だ。辺境軍とわかるような格好は、さすがにしないか」
ヴィルフリートが魔法で見た人物について詳しく伝えると、クリストフが何ともいえない複雑な表情を浮かべ、「たらし込んでそうだな」とぼそりとつぶやいた。
「たらし……フェリクスは罪作りだな」
「でも、別にいいんじゃねえか? 本人たちは雇い主の辺境伯の言うことを聞いてるだけのつもりなんだろうが、実際にはほぼ誘拐だろ。しかも貴族であり王族でもある人物の。普通なら重罪だ。フェリクスがたらし込んで何が悪い」
「おう、そうだな。フェリクスには思い切りたらし込んでもらおう」
ヴィルフリートが冗談めかして言うと、クリストフは何かを考え込み、少し経ってから口を開いた。
「……もしかして、バングルに気付いたのかもしれないぞ。フェリクスは仲間内以外には厳しいから、普通ならそんな連中とは馴れ合ったりしないんじゃないか? なのに、休憩中に座って何か話してるんだろ。俺らが追ってるってわかって、時間稼ぎしてるとか?」
「なるほど、たらし込んで時間稼ぎか。『僕、きみとたくさん話したいな』とか何とか、優しく微笑んだりして」
「言いそうだな、それ」
「よし、フェリクス、そのままがんばれ。俺らが追いついて助けてやる」
探索魔法で少しだけ垣間見えた光景から推測するには無理があると、頭ではわかっていても、フェリクスは時間稼ぎをしているだろうという希望は捨てられない。
「それにしても、クリスもフェリクスも、よくついてきてたよな。俺の漠然とした魔法の説明に」
「おまえに教わった時のことか。説明がどうのというより、やっぱり自分には魔法は向いてないと思ったよ」
「向き不向きってのは、どうしてもあるもんな。本当によくがんばってたと思う」
『もしフェリクスを取り戻せたら』という考えが行き着く先は、レッドドラゴンとの戦闘になる。ヴィルフリートは、クリストフとフェリクスに魔法のコツについて教えた時のことを思い出していた。
◇◇
「
「へぇ、おもしろいね。でも普通は、その袋に入れるのが大変なんだけど」
「とにかく最初から最後まで袋に突っ込め。理屈はいらない、突っ込むだけだ」
「あ、うん、わかった。そこはけっこう乱暴なんだ……」
「薬草の説明みたいに、紙に書いたものを頭の中で思い出して読むって方法じゃいけないのか?」
「薬草の説明なら紙の方がいいが、魔法の詠唱文句に関しては声の方が重要なんだ。でも、それも人によって違うかもしれない。クリス、その詠唱文句の紙を頭の中に思い描いて読み上げてみろよ」
「うーん、そうだな……。俺の場合は、紙に書いたものの方がいいかもしれない。ちょっとやってみるよ」
◇◇
「無詠唱っていっても、詠唱文句は頭の中に常に置いてある。俺の場合は、やっぱりこれも袋の中に入ってて、必要な時に突っついて外に出すって感じだ。そうすると即座に頭の中に広がって、次の瞬間、魔法が発動される。慣れてないとなかなかこれが広がらない。が、うまくできれば当然、口で詠唱するよりも断然早い」
「袋かぁ。僕は鍋かな」
「俺は蓋付きの瓶がいい」
「鍋でも瓶でもいい。それをうまいこと、こう、突っついて……じゃなくて蓋を開けて、いざという時にすぐに出せるようにしておかないといけない」
「ヴィルはそれが上手なんだよな。フェリクスはどうだ? うまくできそうか?」
「うーん……相当練習すれば、たぶん……」
「俺は瓶が一つしかないから、まあ、何とか」
◇◇
魔法は生まれ持った才能が重要で、貴族学園ではその才能を磨く方法や、それほど才能を持たない者でも限定的に一つの魔法のみを大きく発動させる方法などを教わることができるが、二人は学園には通っていなかった。フェリクスがいた神殿でも、学園より教育の質は劣っていただろう。しかも、若い頃ならともかく、五十二歳で新しいことを覚えるという苦労をさせていたのだ。
「でも楽しかったぞ。この年になって、そんな楽しさを味わえるとは思ってなかった」
「それならよかったよ。……俺らを使い捨てしようとしたことを、後悔させてやろう」
「ああ」
水色の瞳に宿った鋭い光を西の方へ向け、ヴィルフリートはギリッと奥歯を噛み締めた。
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