19.手厚い迎え
落ち着きを取り戻したヴィルフリートは、意外にもクリストフより多い量の朝食を食べた。
「俺、けっこういけるんじゃ……? まだ若いってことだよな?」
「……うん、まあ、そういうことにしといてやるよ。で、このあとすぐに出るか?」
二人が話しているのは、ヴィルフリートの部屋だ。
「出発の前に、ちょっと試したいことがあるんだ」
「何を?」
「ビアンカに教わった、探索魔法」
「そんなのがあるのか!」
「子供たちが小さい頃、よく使ってたんだ。ただ、自分のものじゃないと探せない。昨日、フェリクスの上着のポケットに俺のバングルを入れておいた。バングルがまだ上着に入っていれば……」
「……おまえは本当に抜け目な……じゃなくて、便利だなぁ……」
「久し振りだから詠唱するか。……天空を駆ける風の力よ、我に宿り給え。輝きを纏いし星の結晶よ、我が意思に従い、光の支配者とならん。異次元の扉を開き、魂を結びつけし探索の道標を示し給え。我が手に宿る魔力よ、風と光により解き放たれん……
目を閉じて詠唱を終えたヴィルフリートの瞼の裏に、バングルが映し出される。まだフェリクスの上着の内ポケットに入っているようで、持ち主が見ている景色は宿から見て西北西、薄暗い森の中、川が進行方向に向かって左に蛇行している箇所で大きな橋の手前、馬に乗っているらしい、ということまでわかった。やはり西の辺境の町に向かっているようだ。『嫌な考え』が当たっているということになる。
クリストフに見えた景色を伝え、宿を出る準備をする。馬のラースは馬車と一緒にギルドに預けて行くつもりだったが、急がないといけなくなったため、荷物持ちとして連れて行くことに決めた。
「クリスが手綱持ってろよ」
「ああ、わかってるよ。そろそろヴィルにも慣れてほしいところだが……、元々の性格もあるからな……」
「うーん、しょうがない、俺が魔法使う時はクリスが目隠ししてやってくれ」
「できるか不安だが、まあ、何とかがんばるよ」
かぽかぽと蹄を響かせて、ラースはクリストフの横をのんびり歩いている。
「よろしく頼むよ、ラース」
ヴィルフリートが一言声をかけると、ラースはぶるぶると首を大きく横に振った。
**********
ベルクレンの町を出て西へ向かう道は聞いていた通り、でこぼこが多いうえに狭くて歩きづらい。だが、そんなことを気にしている場合ではない。馬に乗って移動しているフェリクスに追いつくことはできないが、なるべく早く行かないと、フェリクスが命を落としてしまう。
「なあ、ヴィル、一つ疑問があるんだが」
「何だ?」
「陛下は、何で勅令を俺ら三人に下したんだろう。フェリクス一人だけでもよかったんじゃないか」
進む足を止めることなく、クリストフがもっともな疑問を口にする。
「それは俺も疑問だった。最初はフェリクスに逃げられないようにそうしたのかと思ってたんだが、本当にフェリクスを生贄に差し出すつもりなら、俺とクリスに『フェリクスが逃げないようこっそり見張れ』って勅令を別途出せばいいんだよな。どうせ俺らは使い捨て扱いだし、従うしかないんだから」
「ああ、確かに」
「だが実際の勅令の内容は、『三人で辺境伯に会え』だ。『辺境伯の指示に従え』でもなく。……推測だが、生贄の件は主に辺境伯が進めたがっているんだろう。下手に誰かを戦わせて複数の犠牲者が出るより、フェリクス一人だけで済むならその方がいいってな」
「ということは、陛下と辺境伯の考えにはズレがある、と。それに気付いた辺境伯が、フェリクスだけを連れ出した……」
クリストフが真剣な表情であごを触った。もう片方の手は、荷物を運ぶラースの手綱を持っている。どうやらラースは山道で機嫌が悪くなったりはしていないようだ。
「弟に生贄になんて、なってほしくはないだろ」
「……何にしろ、まずは辺境伯に会わないと……。推測ばかり増えてもな」
「そうだな」と答えながら、ヴィルフリートは子供たちのことを思い浮かべた。もし弟のルキウスか妹のエリザベートが生贄にされると知ったら、長男のクラウスは、おそらく彼の持てる力全てを使って阻止しようとするだろう。社交で培った人脈、商売で積み上げた社会での信頼、資産、そして己の知力と体力。時には運を味方に付けることも考えるかもしれない。しかしそれは、下位貴族の若い子息だからできることだ。上位貴族や王族は、様々なしがらみで自由に動くことができない場合が多い。
「……キルニアード帝国が、関わっている可能性は……」
「西の隣国か? もしそうなら、辺境伯がよけい躍起になるぞ」
「そうじゃないことを祈るしかないな」
その後しばらく、二人は黙り込んでただ前へ前へと歩き続けた。
**********
急な流れの川に沿う道を行くフェリクスは、馬に乗せられて運ばれているだけというのはつまらないものだなと飽き飽きしていた。
「また魔物だ」
後方で名前も知らない誰かが言うと、馬の歩みが止まる。それから、別の誰かが馬から降りて機械的に魔物を始末した。『誰か』は三人の若者で、冒険者風の動きやすそうな服を着ている。一人の男性はクリストフと同じような大剣を振るい、もう一人の男性は炎魔法、唯一の女性は風魔法を使うようだ。もうすぐ死ぬ人間に三人も、ずいぶん手厚い迎えが来たものだと、フェリクスは思う。もしかしたら彼らは自分の行く末を聞かされていないのかもしれない、とも。
「終わったようですね」
逃げられないようにという意図からか、背の高い女性が後ろからフェリクスの体を抱えるようにして馬の手綱を握っている。他の二人は後ろを馬に乗って着いて来ており、フェリクスは先頭を進んでいるということになる。
「魔法媒体も武器もないと不安ですよね。でも大丈夫ですよ、私たちがいますから」
夜明け前に突然宿の部屋の扉を開け、魔法媒体と武器を置いて一緒に来いと言ったのはきみたちだろうという言葉が出かかるが、今のフェリクスにそんなことを口に出す気力はない。
「怖いですか? だいぶ森が深くなってきましたからね……」
女性のこの言葉で、フェリクスは自分が震えていることに気付いた。恐怖を感じているのか、ただ寒いだけなのか自分でもわからないが、どちらにしろ、体がまだ生きようとしている証拠だ。心の中では完全にあきらめているというのに皮肉なものだと、気取られないよう小さくため息をつく。
「ここで休憩だ」
森の中にしては広く開けている広場のような場所で『誰か』の一人が言い、彼らはてきぱきと休憩の準備を始めた。「こちらへ」と言われるがまま大きな倒木の上に腰を下ろすと、馬に同乗していた女性がフェリクスに水の入ったカップを手渡す。だが、女性がもう片方の手に持っていたパンは、「これもどうぞ」という言葉の直後、目の前の地面に転がされた。フェリクスは土や腐った葉がついたパンをのろのろと拾い、特に言葉を発することなく、うつむき気味にぼんやりと地面を見つめる。
「フェリクス様……? お熱でもあるのかしら?」
反応のないフェリクスに、まるで子供相手に言うような口調がわざとらしく、嫌悪を覚える。直後、女性の手がフェリクスの目の前に迫り、パシッという軽い音のあと、カップが水をぶちまけながらころころと地面を転がった。深めにかぶっている上着のフードを触ろうとする手にぞわりと鳥肌が立ち、とっさに払い除けたのだ。自分にまだこんなことをする力が残っていたのかと、フェリクスは内心驚いていた。
「放っておけよ、生きたまま連れて帰ればいいだけなんだから」
大柄な男性の言葉を聞いてから、女性は肩をすくめながらフェリクスが落としたカップを拾う。
「申し訳ありませんでした」
口先だけの謝罪とともに再び渡されたカップは、パン同様、土や葉が付いていてとても使えそうにない。すると、彼は眉根を寄せ、低い声で女性に向かって苦言を発した。
「意地が悪いな。パンは無理だろうが、せめてカップくらい川で洗ってやればいいのに」
「だって、話しかけても無視されてばかりなんだもの。私なんかより、もっと美人の方がよかったんじゃないかしら」
「王族なんてそんなもんだ。俺らみたいな平民とは、話したくねえんだろうよ」
細身の男性の言葉で、女性が笑いを漏らす。そんな中、フェリクスは懐かしい気持ちになっていた。神殿に入った当初もよく似たようなことを言われ、意地悪をされていた。汚れた食べ物を渡されたこともあった。あの頃と同じような状況だ、と。
――確かあの時は、最初に覚えた聖魔法を使って――
フェリクスは頭の中で鍋の蓋を開けて詠唱文句を取り出し、口には出さずに聖魔法を発動させる。簡単な魔法ではあるが、魔法媒体がないうえに久し振りなため、失敗するかもしれないと思いながら。すると、上着の胸のあたりと、手に持つパンとカップがほんのり光を帯び、土や葉など最初から付いていなかったかのようにきれいになった。
「えっ……?」
思わず声が漏れたが、話し込んでいる三人には気付かれていないようだ。上着の内ポケットに手を入れ、指に当たった硬いものをそっと取り出して見てみると、それは翡翠がはめ込まれているヴィルフリートのバングルだった。
「!? ……なん、で……」
フェリクスにとっては見慣れた、ヴィルフリートの左腕を飾るバングル。翡翠は妻の目の色だと言っていた、新たに購入した翡翠のペンダントがあるとはいえそんな大事なものを……きっと昨夜、部屋を訪れて来た時に入れたのだろう、そう思うと胸の奥が熱くなり、フェリクスはバングルを両手で握りしめて下唇を噛んだ。
子供の頃に見た絵本の結末は、主人公の第二王子を食べたドラゴンが満足して千年の眠りにつくというものだった。フェリクスがなかなか思い出せなかったのは、無意識のうちに主人公と自分を重ねて記憶を閉ざしていたからかもしれない。
レッドドラゴンが目を覚ましたのが、現聖女が祈りを捧げることができなくなりフェリクスが聖女探しの旅に出たあとだとしたら、兄王アーデルベルトと辺境伯にとっては僥倖だっただろう。たまたま西へ向かっている自分を生贄として使えばいいと思い立つのも当然だと、フェリクスは考えている。
王位継承権などとっくの昔に放棄しているのに、それでも、自分にできることは何なのかと考えながら生きてきた。幼少時の王室での教育の賜物なのか、神殿の教えに染まったためか。
あとは朽ちていくだけというこの年齢で聖女探しの旅を命じられた時はさすがに断りたくなったが、民のためにと思い、フェリクスは文句も言わず受け入れた。だが蓋を開けてみれば、その旅は楽しいものだった。本気で、三人でレッドドラゴンを倒したいと思っていた。無詠唱魔法の訓練もした。だが自分が生贄になりレッドドラゴンを眠らせれば、ヴィルフリートとクリストフの身に危険が及ぶことはなくなる。二人の帰りを待つ人がいることを、フェリクスは知っている。
フェリクスはヴィルフリートとクリストフに置き手紙を残すこともなく、夜明け前に三人の若者たちとベルクレンの町を出た。一人欠けたところであの二人なら問題はない、もしかしたら城で政務を担っている現第二王子など、誰かが代わりに入ることになるかもしれない、と。
――代わり、か。二番目に生まれたというだけで――
そこまで考えてはっと我に返り、フェリクスは慌ててきょろきょろと辺りを見回す。三人は全く違う方を見ておしゃべりに興じているようだ。「何で俺がこんなこと……めんどくせえ」「何に利用するおつもりなのかしらね」「一応王族だ、色々使い道はあるんだろ」などと話しているのが聞こえてくる。
ほっと息をつくと、フェリクスはバングルをシャツの胸ポケットに移し入れ、後方を流れる川に水を汲みに行ってからパンを食べ始めた。噛みちぎり、咀嚼し、飲み込むという動作を繰り返しているだけだが、今は必要なのだと自分に言い聞かせる。水を飲み干したカップには、地面の土を付けておいた。
「もし食欲がなくても、食事はちゃんと取るように」
ヴィルフリートの声が頭の中で蘇る。
「死なないでいてくれてよかった」
クリストフの声も。
そして、クリストフの蘇生を助けた翡翠と銀のバングルは、「あきらめるな」と言っている気がした。
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