25.おやすみ
「ガブリエラ、任務失敗だ。フェリクス様だけを連れて行くことは、もうできない」
「……え? 何それ……?」
「追いつかれたんだよ、この人たちに」
洞窟に戻ってすぐ、冷静に現状を伝えるデニスの後ろから、ヴィルフリートとクリストフが現れる。クリストフはまだフェリクスを背負ったままで、「奥に行かせてもらうぞ」と言ってガブリエラの前を通り過ぎた。
「追いつかれた……? 何で!?」
「ああ、もうアルバンは逃げたぞ」
「はぁ? 逃げたって、何なのあいつ!」
「悪いね。魔法で速く歩けるようにしたから、追いついちゃった。でも、きみたちが先に手出してきたんだからな」
さっさと洞窟の奥側に座ったヴィルフリートが、
「貴族の誘拐や軟禁は重罪なのに、よく手を出したもんだ。もしおまえらを殺したとしても、たぶん俺らはお咎めなしだぞ。寝覚めが悪いから殺しはしないが」
フェリクスを背中から下ろし、ヴィルフリートの目の前に座りながら、クリストフが言う。
「でもさ、任務完遂させていても、きみたちは切り捨てられてたと思うよ。辺境伯みたいな上位貴族には、後ろ暗いことをするために部下を利用する人もいるからね。とかげの尻尾切りってやつだな」
「後ろ暗いことって……そんなこと、突然、言われても……」
日が落ちて下がり始めた気温以上に、細く降る雨が寒さを感じさせる。唖然としているガブリエラの方を見ようともせず、むき出しの足を手で擦りながらフェリクスが口を挟んだ。
「往生際が悪いね。突然じゃないよ、ちょっと考えればわかることだろう。ヴィルの言葉を借りると、こんな後ろ暗いこと……『王族の一人だけ連れて来い』と命じられるなんて、普通は疑問に思うはずだ。目的が何なのか全く考えてなかったんだよね? だから、『突然』なんて言葉が出てくる」
「そ、そんな、私は、ただ……言われた通り……」
「『言われた通り』で誘拐なんていう犯罪を? 辺境伯に僕ら三人で会えって陛下からの勅令もあるのに、それを邪魔したってことになるんだけど。これ、どういう意味かわかる?」
「勅令!? そんなの、知らなかった!」
「……ちょっと待て、フェリクス、落ち着け。やけに辛辣だな。ええと、ガブリエラだっけ? きみ、フェリクスに何かした?」
ガブリエラに対するフェリクスの口撃が止まらない。見かねたヴィルフリートがフェリクスを制止し、尋ねる。
「べ、別に何も……一緒の馬に乗ってただけで……」
「へぇ、何も、ね。最初に僕に意地悪したのはきみだったのに?」
「意地悪!? フェリクスに!? ……具体的に何を……?」
「だから、別に何も……」
フェリクスは、何もしていないという主張を貫こうとするガブリエラに、大きなため息をつく。
「僕の目の前にパンを投げたじゃないか。土まみれになったから、こっそり魔法できれいにして食べたけどね。ああ、そうだ、その時にヴィルのバングルが上着の内ポケットに入ってることに気付いたんだ。その点では、感謝しないといけないかな」
「うわ……度胸あるなぁ……」
感心するようにヴィルフリートがつぶやくと、ガブリエラが言い訳を始めた。
「で、でもそれは、フェリクス様が、自分が悪かったって! だから……」
「……はぁ……。そんなこと、本気で言うわけないだろう。きみが食料配布係みたいだったから、食いっぱぐれないようにご機嫌取ってただけだよ。まあ、そこらへんはデニスが気を遣ってくれてたから、必要なかったかもしれないけど」
「ま、まあまあ、とりあえずさ、死なずに済みそうでよかったよな、きみもデニスも」
「し、死なずに……?」
「さっき言ったこと聞いてなかったのか? 切り捨てるってそういう意味だぞ。辺境伯の目的は、フェリクスをレッドドラゴンに食わせることだ。任務完遂したら、きみらも食われるか炎に焼かれるかだったと思う。口封じってやつだな」
ヴィルフリートの直接的な物言いで、ガブリエラは「嘘……」と言ったきり、黙ってしまった。デニスも、ガブリエラほどではないが多少衝撃を受けているようだ。大きな体がしょんぼりと肩を落とす姿が、かえって若々しいという印象を与える。
「寒い……。デニス、焚き火の木の枝持って来てない、よね?」
「あ、そうですね……すみません」
「ううん、しょうがないよ」
「……あの……、バングル、明日俺が探しに行きますよ。俺、アルバンが投げるのを止められなかったので」
デニスが出した小さな炎が、フェリクスの目の前にふよふよと泳いで来た。暖を取るには足りない大きさだが、「ありがとう」と小声で言う。
「デニスのせいじゃないよ。どうせ靴もないし、僕が行く。あー、明日は靴なしで裸足かぁ、久し振りだな」
「俺も子供の頃はよく裸足で草原駆け回ったりしてましたけど、王宮でもできるんですね」
「……う、うん、まあ」
本当のことを言えず、フェリクスはうつむいて曖昧に返事をする。十三歳で神殿に入った頃に靴や服を汚されたり隠されたりしていたからだと言えば、気を遣わせてしまう。
「あの湿地、ヒルはいるのか?」
よけいなことをしゃべってしまったと反省していたところにクリストフから質問が飛んできて、フェリクスは胸をなでおろした。もしかしたら何かを察したのかもしれない。彼はそういう気遣いが得意なのだ。
「ヒル、いるかもしれません。もしいたら、皮膚に貼り付かれて噛まれると思います。あいつら血を吸って産卵して増えるから、噛まれたら炎で焼かないといけないんですよね」
「こわっ! でも行かなきゃ」
「フェリクス、そんな目に遭ってまで行くことないぞ。もうかなり古いものだし、今はフェリクスが選んでくれた翡翠があるしな」
ヴィルフリートが心配そうな表情で言うが、フェリクスはどうしても見つけたいと思っている。大事にシャツの胸ポケットに入れておいたものを無理やり取り出されたという思い出付きで後悔するなんて、嫌なのだ。
「……あれがなかったら、明日あたりレッドドラゴンに食べられてたかもしれないし……、クリスと僕の命を助けてくれたものだから、探したいんだ」
「そうか……、わかった。他に何かいい手はないか考えてみるよ」
「うん、ごめんね」
「湿地……湿地か……どうするかな……。森に近い方だったよな……」
「そうそう、森の入口の近く。そういえば、何で上着に入れてくれたの? 僕、そんなに誘拐されそうだった?」
ぶつぶつ言いながらいい方法がないか考え始めたヴィルフリートに、フェリクスはふと気になったことを尋ねた。
「ん? ああ、いや、あの時フェリクスぼんやりしてたから、ベルクレンの町中で迷子になりそうだなと思って」
「そういう理由!?」
「子供たちが小さい頃によくやったんだよ。こっそり自分のもの入れておいて探索魔法で探し出すと、リズなんか『お父様、何でわかったの? すごいわ!』って言ってくれたりして。かわいいだろ? あ、リズって娘なんだけど」
へらへら笑うヴィルフリートには答えずデニスの方を見ると、思った通り肩が震えている。膝に顔を埋めて笑いをこらえているようだ。
「……また笑ってる……」
「……くくっ……、申し訳ないとは思うんですが、子供扱いされてるのがおもしろくて。お詫びに俺が湿地行きますよ。ヒルなんて慣れてるので」
「え、そんなの悪いよ」
「デニスに任せればいいんじゃないか? フェリクスより効率よく探してくれそうだぞ」
言い終えるとクリストフがデニスと同じように小さな炎を出し、少しだけ温かさが増した。似ている二人に言われたらうなずくしかないと、フェリクスは「……うん、じゃあ……」と小さな声で言う。
「ああ、そろそろ夕食を……携帯用食料しかないですけど。ガブリエラ、出してくれないか?」
デニスがガブリエラに話しかけるが、彼女は壁の方を向いて横になったまま動かない。
「……勝手に出すぞ」
デニスが荷物をごそごそと漁り、ヴィルフリートとクリストフも自分の荷物から携帯用食料を出して、夕食の時間になった。ガブリエラは寝てしまったのか全く動こうとしないため、男四人で堅い乾物をぼりぼりかじる音だけが響く時間がしばらく過ぎていく。
「……あの、言い方が悪いかもしれませんが……、フェリクス様一人で済むならその方が、って考えたりとかは……」
「ないね」
不意にデニスが質問を放ち、ヴィルフリートが即答した。
「……何で、ですか?」
「そんなことしたら、飯がまずくなる。旅の最中に食ったものは色々あるが、この先同じものを食うたびに、フェリクスのことを思い出しそうだからな。悲しい気分で食う飯はまずい」
「ヴィルらしい言い方」
低い声のヴィルフリートの答えに、フェリクスが少しだけ口元をゆるめる。
「三人で倒すんだ。作戦も考えてある。俺らは捨て駒として呼ばれてるはずだから、見返してやりたい。年寄り馬鹿にしやがって……目にもの見せてくれるわ」
「だから、それは悪役っぽいからやめなって」
「あ、あの、そのこと……陛下が何で三人に勅令を出したかなんですけど、俺が言うのもおかしいかもしれませんが、その……、弟を死なせたくないからじゃないかな、と」
「的外れかな」とぼそっと言いながら頭をがしがしと掻くデニスに、ヴィルフリートが「お、クリスと同じこと考えてるな」とうれしそうに言う。
「何せ、勅令は『三人で辺境伯に会え』だからな。『辺境伯の指示に従え』ではない」
「一国の王ともなると俺らみたいに自由に動ける立場じゃないから、そうせざるを得なかったんじゃないか。ヴィルの受け売りだが」
三人の話で心が軽くなるのがわかり、フェリクスは涙ぐむ。現時点では推測の域を出ないが、全員がそう考えてくれていたという事実がとてもうれしい。
「……そう、なのかな。僕はもう……いらないのかな、って……。最期を国の安寧のために迎えるなら、それでいいのかも、って……思ってた……」
ただの『代わり』として歩んで来た人生だった。十三歳までは、国王になる予定の兄の代わりだった。世俗から離れた神殿に行かされても、兄が玉座に着くまでは、暗黙の了解のように『代わり』の任が解かれることはなかった。そうして年を取ると、今度は王立軍を率いる多忙な弟の代わりとして聖女探しの旅を命じられた。
勅令を受け取り、自分はもう不要なのかと思った。これで気軽に行動できるようになったと喜びはしたが、やはり寂しさはあった。フェリクス自身は兄弟のことを大事に思っていたのだ。
「泣き虫」
「ちょっと鼻が詰まっただけ」
クリストフに返答すると、感情の起伏が激しい一日で疲れたためだろう、強烈な眠気がフェリクスを襲う。ぐすっと鼻を鳴らしてから隣に座るクリストフにもたれかかり、フェリクスは目を閉じた。
「クリスは……あったか……い、ね……」
「おやすみ」と誰が言ったのかは、眠りに落ちる寸前のフェリクスにはわからなかった。
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