17.震える瞳
翌朝、宿で朝食を取ってすぐに三人はシーラスの町を出発した。御者はやはりクリストフが務めることになり、ヴィルフリートとフェリクスが馬車の中で話し始める。
「次はベルクレンだっけ?」
「そうそう。ベルクレンのギルドか馬屋に馬車とラースを預けないと。そこから西は川沿いの山道が続く。広い道もあるらしいんだが、そっちはかなり遠回りだって宿で聞いたんだ」
「徒歩か……僕が一番体力ないだろうから、迷惑かけそうだな……」
「いやぁ、俺も体力には自信がない……」
フェリクスの言葉にヴィルフリートが答えると、二人揃って「はぁ……」と長いため息をつく。
「でも、早く行かないといけないもんね」
「そうなんだよな。ま、あとでクリスにも相談して、今後の予定を決めよう」
「うん」
フェリクスがこくりとうなずくと、馬車が停止した。少し待ってから、馬車の外から「倒したから出発するぞ」としわがれた声が聞こえてくる。
ヴィルフリートはクリストフに「ありがとな」と返事をし、「クリスが御者だとやっぱり安心だな」とフェリクスに話しかける。
「心強いよね。一番戦闘に慣れてるし」
「そうだな……あ、でもあいつ、たまにドジなんだ。前の聖女探しの時に何でだか崖から落ちそうになって、慌ててレオンと二人で助けたことがあったんだぞ」
「ええっ!? それ、ドジ通り越してるよ!」
「だよな? でも本人は『ちょっとドジっただけだ』って言うんだ」
そんな話で笑いながら、また馬車の揺れに身を任せる。しばらく穏やかな時間が過ぎていたが、突然フェリクスがはっと何かに気付いたように表情を硬くした。
「どうした?」
「思い出した……! 絵本のドラゴンと戦ってた主人公は、崖の上にいたんだ。そこから剣で額の宝石を狙って……」
「へぇ、なるほど、それいいな」
レッドドラゴンがいるあたりの地形によってはそういうやり方もあるのかと思うと、ヴィルフリートの胸が踊った。だが、それに反するようにうつむき気味のフェリクスの顔がどんどん青ざめていく。
「……フェリクス?」
両手でぎゅっと握られたフェリクスの服にしわが寄るのを目にしたヴィルフリートが問いかけるが、本人からの答えはなく、小刻みに震える瞳と唇が正常な状態ではないと示していることしかわからない。
「フェリクス、どうした? ……おーい、クリス! 馬車停めてくれ!」
ヴィルフリートが前方に向かって大声を出すと、フェリクスははっと顔を上げて「ごめん、何でもない」と弱々しく言う。
「……いや……、何でもないことないだろ、震えてるぞ。具合でも悪いんじゃないか?」
「……そんなことない、よ」
「何かあったか?」
馬車はすぐに停まり、フェリクスが答えたのとほぼ同時に、扉が開いてクリストフの声がかかった。
「フェリクスが具合悪そうなんだ。……ちょっと結界張ってくる」
そう言うとヴィルフリートは馬車を降りた。残されたクリストフは「本当だ、顔色悪いぞ。大丈夫か?」と問いかけるが、フェリクスからの返答はない。
「よし、結界張ってきた。ひとまず休憩だ。……フェリクス、熱でもあるんじゃないか?」
ヴィルフリートはフェリクスの額に手の平を当ててみるが、反応はなく、ただぼんやりしているだけだ。
「熱くはないようだが……どうする? 引き返すか?」
「そうだな、シーラスに引き返そう」
「えっ……、だ、だめだよ、引き返すなんて。このまま行こう」
突然フェリクスが我に返り、引きつった笑顔で頑なに「大丈夫だから」と繰り返す。その瞳は先程のように震えてはいないが、きょろきょろと落ち着きがないように見える。
「いや、でも……」
「心配かけてごめん、先に進んでも大丈夫だよ」
「……そうか? それならいいが……。もし具合悪くなったらすぐに言えよ」
「うん、わかった」
フェリクスは素直に首を縦に振るが、顔色は悪いままだ。ベルクレンの宿では個室ではなく大部屋でもいいかもしれないなどと考えながら、ヴィルフリートはクリストフに話しかける。
「そうだ、クリス。さっきフェリクスが言ってたんだが、絵本の主人公は、崖の上からドラゴンの額の宝石を剣で狙ったらしいぞ」
「ほう、崖の上からか。おもしろい。ただ、実際の地形がわからないから、できるかどうかが……」
「そこは辺境伯に確認しないとな。あ、そうだ、確かクストで買ったものの中に毛布があったはず……」
言いながらヴィルフリートは大量の荷物をごそごそと漁る。途中ぽとりと何かが落ちたが、気にせずに毛布を取り出した。
「あったあった。フェリクス、これにくるまってろよ」
「あ、うん、ありがとう」
「ん? 小型ナイフ……? ヴィル、これ何だ? ……三、四……八本もあるぞ」
すると、落ちたものをクリストフが手に取った。「そういえばクリスは買い物した時にいなかったな」と言ってから、ヴィルフリートは説明する。
「ナイフ投げ用にクストで買ったんだ。まだ練習はしてないんだが。ああ、ちょうどいい、ここで試してみるか」
ヴィルフリートは腰にナイフ用の革袋を装着し、ナイフを入れて馬車から降りた。
「お、大きな木がある。クリス、ちょっとそこに立ってろよ」
「俺に投げようとするな」
「大丈夫だって、風も強くなさそうだし。当たったら
「そういう問題じゃねえ。俺は馬車にいるから、一人で練習してろ」
「ええー……しょうがないな」
馬車の扉を閉めて木に向かってナイフを投げてみると、うまい具合に全てが木に刺さった。
「もしかして俺、才能ある……? よし、もう一回」
ヴィルフリートが調子に乗ってナイフを投げては回収し、投げては回収し、と、何度かやっているうちに馬のラースの様子がおかしくなってきた。ヴィルフリートから顔をそむけ、プルプルと震えている。
「クリス、ラースがおかしいんだが」
扉の外から声をかけるとすぐにクリストフが出てきたが、その顔は呆れ気味だ。
「おまえなぁ……、何度怯えさせれば……。今日はもう終わりにしろ。今度からラースの見えないところでやれよ」
「ええー……俺のせい? ラースが怖がりなだけだよなぁ……」
ヴィルフリートは小声で文句を言いながらも、大人しく馬車に乗り込む。
「フェリクスは大丈夫そうだ。出発するぞ」
「ああ、頼む」
馬車に戻ってフェリクスをちらりと見ると、元気とは言えないまでも、顔色は戻ってきているのがわかった。ぼんやりと一点を見つめているのは気になるが、熱などの病気に繋がりそうな症状もなく、本人が大丈夫と言うなら信じるしかない。
「ベルクレンまでの辛抱だからな。ああ、宿は大部屋でもいいか?」
「え、大部屋……? ああ、うん、いいよ、気にしないよ」
「そうか、よかった」
それきり会話はなくなり、馬車は沈黙を運ぶ。ラースの蹄の音と車輪のガタガタという音、荷物が揺れでこすれる音、時折強く吹き付ける風の音だけが、二人の耳を支配していた。
**********
その後フェリクスの体調が悪くなることはなく、ベルクレンの町へは予定通りに到着した。
「ここのギルドでも馬車を預けられてよかった。あとは紹介された宿へ行って……それから夕飯だな」
「ああ、ありがとう、クリス。携帯用食料ばかりだと気が滅入るから楽しみだよ」
ヴィルフリートとクリストフが話しながら歩く後ろを、フェリクスは黙って着いて来る。宿に到着し、受付で手続きをする段階でヴィルフリートは後ろを向き、二人に「大部屋でもいいか?」と尋ねた。
「俺は構わないが、フェリクスは?」
「ああ、フェリクスは大部屋でも……」
「あっ、ご、ごめん、ええと……、やっぱり個室がいいな」
「え、個室? 別にいいけど、具合悪くなってもすぐに助けてやれないぞ?」
「うん、大丈夫」
「……そうか、それなら……」
腑に落ちないものを感じながら、ヴィルフリートは手続きを済ませた。階段を上がって二階の部屋に入り、椅子に腰を落ち着けて考えを巡らせる。
「何かが、おかしいんだよな……」
独り言をつぶやき、長いため息をついているとクリストフが扉を開けて入って来た。
「今日はクリスだけか」
「フェリクス、元気ないよな?」
「ああ、明らかに元気がない。本当はあまり一人にさせたくないんだが……本人が個室がいいって言うなら、仕方ない」
「……まあな。夕飯はここの食堂でいいか。フェリクスも呼んで行こう」
一階の食堂はもう開いているようで、賑やかな声が二階まで聞こえてくる。ヴィルフリートとクリストフはフェリクスの部屋を訪ね、三人で食堂へ下りて行った。
「メニューに魚がない……うう……。じゃあ、鶏肉ときのこの柔らか煮込みとパンにしよう……」
「ここは海が遠いからな。俺もそれでいい。……フェリクスは?」
「……えっ?」
「ソーセージと野菜のポトフあるぞ、これがいいんじゃないか?」
「あ、うん、じゃあそれで」
クリストフが話しかけるが、フェリクスの反応が鈍い。そのぼんやり具合に、ヴィルフリートの眉間のしわが一本増える。
「ここから先は徒歩だから、ちゃんと食わないと。谷間に入って、森の中を通る川沿いの狭い道になるらしいぞ」
「馬車は無理でも、ラースだけ連れて行けないかと思ってるんだが……」
「うーん……、水辺は霊体や思念体の魔物が多いから、どうしても魔法での戦闘が中心になるだろ? ラースが怖がりじゃなければいいんだが……」
「ああ、確かに。じゃあしょうがないな」
クリストフの言うようにラースだけ連れて行くことができれば、荷物持ちとして役に立ってくれるだろう。しかしあまり無理をさせてはいけないという思いから、ヴィルフリートはラースを連れて行くことはあきらめている。
「体だけでかくて気が小さいんだよ、あいつ」
「……ヴィル……、そういう悪口を言うから懐かれないんだぞ。ラースは力持ちだし体力もあるから、十分役に立ってくれてるじゃないか」
「いいなぁ、体力あって。あいつまだ若いもんな」
「本当にな……」
しばらく年寄り特有の体の話に花が咲き、食事を終えると各自の部屋へ戻る。そうしてそろそろ寝ようという頃、ヴィルフリートはフェリクスの部屋を訪れ、扉をノックした。
「フェリクス、起きてるか?」
「あ、うん、起きてるよ」
フェリクスの返答を確認し、「入るぞ。体調はどうだ?」と言いながら扉を開ける。ベッドには上着が放り出してあり、その横にフェリクスは座っていた。
「何ともないよ、大丈夫」
「そうか? どれどれ……うん、熱はなさそうだな」
初めて会った頃より少し伸びた前髪をどけて額に手を当ててみるが、やはり特に熱いわけではない。
「喉の痛みとかもないか?」
「うん、平気平気」
「今更だが、やはり同じ部屋の方が……」
「大丈夫だって」
「……本当に、大丈夫か?」
髪と目の色を元に戻しているフェリクスの左頬には、暖炉の炎の光が当たっている。「うん。ありがとう」と言いながらヴィルフリートに向かって作った笑顔は、これまでに見たことのないくらい、きれいな笑い方だった。そよ風が吹いたら散ってしまいそうな、透き通った美しさの、儚い笑顔。
「……早く寝ろよ。おやすみ」
「おやすみ」
ヴィルフリートが廊下に出て扉を閉めると、フェリクスは大きなため息をつく。
「……最初から、僕だけでよかったんじゃないか……」
握りしめた拳を見ながら悔しそうに漏らした言葉は、自身の耳に、やけに大きく響いて聞こえる。フェリクスは手の中の紙切れをくしゃりと丸めると、憎々しげに暖炉に投げ入れた。
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