16.大浴場
「……で、結局、俺が御者か」
「ごめん、クリス……」
「俺はフェリクスほど怖くないぞ」
「ええー……」
昼食のために一旦馬車を停めて、時々首をブルブルと横に振る仕草をしてから道端の草をむしゃむしゃと食べるラースを見ながら、三人で携帯用食料をぼりぼりとかじる。ラースは、つい先程までにこにこ笑いながら魔物をモーニングスターでぶっ潰すフェリクスに怯えていたとは思えないほどの落ち着きようだ。周囲にはのんびりとした空気が漂っている。
「俺からすると、どっちも同じくらい怖いが……まあそれはいい。ここらへんで連携やっとくか?」
「そうだな。食べ終わってから、まずはそれぞれ従来の型でやってみよう。あ、馬車から離れたところの方がいいよな。フェリクス、悪いが馬車のある場所に結界張ってくれ」
フェリクスがごくんと携帯用食料を飲み込んでから詠唱を完了させると、大きな木の下に停めてある馬車とラースを銀色の淡い光が覆った。
「昼の明るい時に見てもきれいだな。俺、この光好きだわ」
「そう言われるとうれしいよ」
クリストフの言葉にフェリクスが照れたように笑う。その背後の空から鳥と蛇を足したような魔物のコカトリス一体が現れ、頭上を旋回し始めた。
「コカトリスだ! 炎吐くぞ、気を付けろ!」
そう言うが早いか、ヴィルフリートは
「そうか、ラースを狙って……」
「くっそ、俺の剣は届かねえ」
「……天界の守護者よ、我が身に加護を授け、星碧の矢と光明の奏鳴を導き給え! ……
フェリクスが聖魔法で光の矢を出現させ翼を攻撃すると、コカトリスは体を震わせながら地面へと落ちた。すかさず駆け寄ったクリストフが両手剣でその頭部を叩き切り、コカトリスの命を断つ。
「いい具合に連携できたな。俺の
「飛んでる魔物には
「いいじゃねえか、一撃だったら俺の活躍の場がなかったんだぞ」
そう朗らかに笑うクリストフに、フェリクスは「そうだね」と言って安心したように表情を崩す。
「よし、じゃあ次はフェリクス、無詠唱でやってみろよ。まずは自分なりの方法で」
「無詠唱……自信ない……」
「そのあとに俺が無詠唱の広範囲治癒魔法……えーと、
「……僕は遠慮しとくよ……」
「……俺も……」
「……協力体制がなってないな……」
**********
クストの町から西の辺境の町へは、途中の小さな町を経由しなくても馬車で大体十日ほどかかる。ヴィルフリートたちはクストの町を出発して三日ほどで着いたシーラスの町に立ち寄り、ギルドに馬車を預けた。
「ラース、次の出発まで大人しく待っててくれよ」
「ううっ、ここも寒いね……」
「フェリクス、大丈夫か? もう日が落ちる時間帯だもんな。まず宿に行こう」
クリストフがラースの首をなでている横で寒さに震えているフェリクスを気遣い、ヴィルフリートが提案した。
「うん、早く行こう」
「フェリクスのためにも自分のためにも、温風を出せるように魔法を……」
「ヴィル、そんなこと考えてるのか? ああ、でも、適温の湯を出せるくらいだからなぁ」
『温風』という言葉に驚いたクリストフがヴィルフリートの言葉尻を奪い、尋ねる。
「長生きするためには、快適な環境も必要だと思わないか? 俺は思うぞ」
「確かにそうだが、目的に疑問を持ってるんじゃねえよ、手段に疑問を持ってるんだよ。湯みたいに魔法でできるのか?」
クリストフは自分の問いに「使うなら風魔法と炎魔法か」という意味を含ませたつもりだったのだが、ヴィルフリートの返答がおかしな方向からだったため、指摘せざるを得ない。
「そうだな、温風だから風と炎だ。難しそうだが」
「なら、最初からそう答えろよ。よけいなこと言った俺も悪かったが、フェリクスが待たされて怒ってるぞ、ほら」
「…………」
「ああ、フェリクス、悪かったよ。ひとまず宿だな」
クストの町で声が枯れた時に一日中口をつぐんでいたおかげで無言の怒りを示すことができるようになったフェリクスが、寒くて口も開けたくないのか、ここでも無言で怒り始めた。
「悪かったって。あとで水飴買ってやるから」
「…………」
ヴィルフリートに向かってこくりとうなずいてから歩き出すフェリクスに「こど……」とクリストフが言いかけるが、フェリクスに睨まれて口を閉ざし、共に無言でギルドをあとにすることになった。
**********
「ふぅ……、寒さで体が縮こまってたから、肩が痛い……」
「フェリクスもか。俺は肩も腰も痛い」
「フェリクスとクリスだけじゃないぞ。俺は肩も腰も首も膝も痛い……もうだめだ、死にそう……」
「フェリクスが蘇生魔法使えるから安心しろ」
いつものようにクリストフとフェリクスがヴィルフリートの部屋に陣取り、年寄り特有の体の痛みについて話していると、宿の従業員が扉をノックした。
「はーい」
「あの、夕食はここの食堂で取りますか?」
「あ、はい、そのつもりです」
「そうですか、それなら夕食前にお風呂に行くといいですよ。ここから町の奥の方に行くと、右側に大浴場があるので。ちょうど食堂が開く頃に戻れると思います」
扉を開けたヴィルフリートに、従業員の男性は愛想よく言う。
「大浴場……! 噂には聞いていたが、この町にあるなんて!」
「利用したことないですか?」
「ないです!」
「じゃあきっと感動しますよ。大きな浴槽で体を伸ばして温まるのは気持ちがいいですからね。あ、浴槽に入る前には必ずかけ湯を……」
明るい調子で大浴場の流儀を説明してくれた男性に礼を言って扉を閉めると、ヴィルフリートは大喜びで大浴場に行く準備を始めた。
「クリスもフェリクスも、いつまでもここにいないで自分の部屋で準備してこいよ」
「大浴場、って、みんなで裸になって湯につかるところだよね? うーん、何か恥ずかしいなぁ」
裸で大浴場に入ることを躊躇するフェリクスに、ヴィルフリートは一番効果的と思われる言葉を投げた。
「全身を温めると体の痛みに効くぞ」
「行く」
「現金だな。クリスは?」
「痛みに効くなら、俺も行く」
「……おまえら、仲いいよな……。じゃあ準備してこいよ。さっさと行くぞ」
こうして夕食前に大浴場に行くことになった三人は、宿を出て風呂屋へ向かった。あまり雨が降ることがなく乾燥している西方地域では水が貴重だと思っていたのもあり、ヴィルフリートの喜びようは凄まじい。
「ヴィル、脱ぐの早い」
「一応こいつ、貴族なんだよな。そう見えないからよく忘れるが」
「俺は引退間近で、今は息子が代理を務めている。いや、そんなことはどうでもいい。王族だろうが貴族だろうが平民だろうが、大浴場では全員裸なんだぞ。つまり平等だ、気にするな」
「全裸で威張られても。寒いから早く入ろうよ」
フェリクスに急かされて脱衣所から続く大浴場の扉を開けると、目の前には大人の男性でも四十人くらいは優に入れそうなくらい巨大な浴槽が鎮座していた。ヴィルフリートたちは宿の従業員の男性に教わった流儀をしっかり行い、湯につかって首から下を包む温かさを堪能する。
「ふぅ、気持ちいいな。……あれ、フェリクスは……ああ、いたいた」
「湯気もあるから、視界が狭いよな」
「そういえば最近、視界が霞んでよく見えなくなってきてて……クリスはどうだ?」
「俺もだ。困るんだよな、あれ」
「だよなぁ。特に遠近感が……」
「経験と勘で剣振ってるって自覚はある」
大浴場には、混雑というほどでもないが、他にも客がいる。そのため、浴槽につかりながら話す内容に気を遣うとやはり体のことが中心になってしまう。そこへフェリクスが湯の中を泳ぐように寄ってきて、「気持ちいいね」と話しかけた。
「大浴場、いいだろ?」
「うん、来てよかったよ。裸でももう全然恥ずかしくないし。あ、この町にもあとで結界張るね」
「ああ、そうだな、頼むよ。風呂屋が魔物に襲われないように」
「あれは夜見ると特にきれいだからなぁ。俺がいる前でやってくれよ」
結界魔法の銀色の淡い光を気に入っているクリストフに、「もちろん」とフェリクスが返事をした。
「そうだ、今日は俺に教えてやらせてくれないか? もし失敗したらフェリクスに任せればいいし」
「ヴィルならできると思うよ。じゃあ、ここ出たら教えるね」
「おまえ、どんどん聖魔法使えるようになってるな」
浴場内で声がほわんと響くのも楽しく、三人の口数は普段より多くなっている。
「……俺はな」
「ん? 何?」
「クリスとフェリクスと俺の、三人で倒したいんだ」
「できるだろ。やろうぜ」
「うん。できるよ、やろう」
唐突なヴィルフリートの決意表明に、クリストフとフェリクスが即答した。そのことに気を良くしたヴィルフリートの口が、これまで以上によく回るようになる。
「そうだよな。こっちがおとなしくしてりゃあ、年寄りだからって捨て駒扱いしやがって。どうせ安い矢と同じだとか思ってるんだろ。目にもの見せてくれるわ」
「……ヴィル……それ、悪役っぽいから言うのやめた方がいいよ……」
「ああ。しかも、下っ端より一段階偉い程度の中途半端なやつが言うセリフじゃないか。相変わらずヴィルが選ぶ言葉は……」
「おかしいよね」
「しょうがないんだよ、天然由来だから」
「……おまえら、やっぱり仲いいな……」
**********
「じゃ、言うよ。天界の守護者よ、
「ちょっと待て。今、フェリクスの声で覚えてるところだ」
「声だって」
風呂屋を出て宿へ向かう途中、眉間のしわを深くしてヴィルフリートが詠唱文句を覚えているそばで、フェリクスがこそこそとクリストフに言う。
「声が大事なのかもな」
同じように小さな声でクリストフが返答した直後、ヴィルフリートが「よし、覚えた」とつぶやいてから詠唱し、結界魔法を展開させる。すると、フェリクスが行った時と同じように空が銀色の淡い光で埋め尽くされた。
「成功した……よかった……フェリクス、ありがとうな」
「僕は一回教えただけだよ。ヴィルはすごいね」
「ああ、きれいだ。これもそのうち無詠唱でできるようになるんだろ、ヴィルのことだから」
「あー、そうだね」
和やかに談笑しながら宿へと向かう三人の上空では、結界魔法の輝きが消えたあとも美しい星が夜を彩っていた。
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