10.優しい声


「おかえりなさい。魔物は出ましたか?」


 ギルドで二人を迎えた受付の女性は、ヴィルフリートとクリストフを見てほっとした表情を見せた。


「ああ。でも弱いのばかりだったから」


「そうでしたか、よかったです。わぁ、カゴいっぱいですね。お昼食べてからまた行きますか?」


「そうだな」


「では、食べ終わったらカゴとハサミを取りに来てください」


 ヴィルフリートは何もしゃべらず、全てクリストフに対応させている。あの女性が話したいのはクリストフの方なのだ。


 クリストフはそんなヴィルフリートに気付かず、「じゃ、またあとでな」と明るく言うとギルドの扉を開けた。


「あの人の名前も思い出したか?」


「思い出したぞ。リーゼロッテだ」


「リーゼロッテ……リーゼちゃん。何で名前呼ばないんだよ」


「ちゃんはいらないだろ……。何でって、別に必要ないからだが」


「ふーん、かわいいのに」


「確かにかわいいが、関係あるのか……?」


 空は曇ったままで朝と変わらず気温が低い。「老体には寒さがつらい」などと言いながら定食屋に入ると、フェリクスが既に席に着いていた。


「おっ、フェリクスも来てたのか」


「あっ、ヴィル、クリス。寒いからここのスープが恋しくなっちゃってね」


 「そうだよな」と言いながらヴィルフリートがフェリクスのテーブルに着くとクリストフもそれに倣い、そばを通った店員に注文を伝える。そうして早速別行動の間の話が始まった。


「魔物出た?」


「ああ、だが弱いのばかりだった。薬草収集はちゃんとできたぞ」


 クリストフが答え、フェリクスは安心したように笑顔を見せた。


「それはよかった。でも、気を付けてないとね。ところで聞き込みしてみたんだけど……」


「どうだった?」


「全然情報が集まらないんだ。都会だからなのかな、通行人との会話も無味乾燥で。みんな『魔法を突然使えるようになった人がいるという噂を聞いたことはあるけど、詳しくは知らない』としか言わないんだよ」


「そうか……。ありがとうな、一人で大変だっただろ」


「大丈夫、そんなに大変じゃなかったよ」


 ヴィルフリートが礼を言うとフェリクスは優しげに目を細めて笑い、返答する。


「……フェリクスはいいなぁ」


「? クリス、突然どうしたの?」


「ああ、いや、何でもないよ。俺の飯はまだかな」


「もう耄碌もうろくしたのか。さっき注文したばかりだろ」


 「そうだったな」とクリストフは笑って言うが、その目が少々泳いでいる。


「あっ、そうか、フェリクスにだけ礼言ったのが気に入らなかったんだな。クリス、いつもありがとう」


 ヴィルフリートがわざと茶化して言うと、「そうじゃねえよ」とクリストフが明るく笑い飛ばした。


「怖い顔に生まれたのはもうあきらめてたが、フェリクスが笑うのを見てたら急にうらやましくなったんだよ」


「へぇ……?」


「おっ、来た来た。昨日の卵とじもうまかったが、これもうまそうだ」


 そう言うとクリストフはフォークを手に取り、運ばれてきたプレーンオムレツを食べ始めた。ヴィルフリートも同じように食べ始めるが、クリストフの言動が気になり、食べる手が進まない。


「ヴィル、食欲なさそうだな。大丈夫か?」


「あ、ああ、大丈夫だよ」


 ヴィルフリートは心配そうに視線を送るクリストフに答え、大げさにブロックベーコンををかじってみせる。


「ところで、まだ半分しか依頼やってないのに腰が痛いんだが……」


「風が冷たくて寒いからね。僕も膝がちょっと痛い……」


「俺ら、何したってジジイなのかな。死ぬ前に一花咲かせてもいいと思うんだが」


 クリストフが腰痛のことを持ち出し、フェリクスがそれに乗る。そんな会話が何となく寂しく思え、ヴィルフリートは口を挟んだ。


「一花咲かせるって何だよ。聖女見つけるだけでも花は咲くと思うぞ」


「いや、王命はこの際置いといて……花、つまり恋だよ」


「……は? 妻帯者が何言ってんだ?」


「俺じゃない。フェリクスとクリスのことだ」


 ヴィルフリートの言葉に二人からの返答はない。賑わう昼時間帯を過ぎ、落ち着きを取り戻している店内でただ時が静かに刻まれていくのみの沈黙を破ったのは、フェリクスだった。


「……そろそろ、いいのかもしれない。これまでは、その、自分の結婚や子供が争いの種になりそうっていうのがあって……」


「フェリクスの場合、根が深そうだよな……」


「うん、まあ、そうかな。クリスはどう?」


 急に水を向けられ「なっ、えっ?」と慌てるクリストフを見て、「フェリクスじゃなくてクリスのことだぞ」とヴィルフリートが注釈を入れる。


「……いや……、俺はそういうのに一番縁がないんだが……」


「そうでもない。ただクリスが鈍感なだけだ」


「うん。そうでもないし、鈍感だと思う」


 「フェリクスまで何を……」と口ごもると、クリストフは黙ってしまった。何を考えているのかはわからないが、二人は追及したりはせず、見守るだけだ。


 ヴィルフリートが料理の最後の一口を食べ終えてフォークを置いた音をきっかけに、「じゃあ僕はそろそろ行くかな」とフェリクスが席を立った。


「あまり根詰めなくていいからな。寂しかったら草原に来いよ」


「うん、無理しない程度にやるよ」


 新たに購入したのであろう暖かそうな上着の大きなフードを頭にかぶせ、ヴィルフリートの言葉に微笑んでから出て行くフェリクスに、クリストフも手を上げて送り出す。


「さて、俺らも行かないとな。で、えーと次は……蔓の茎を集めるんだったか?」


「森のすぐ南側の草原に生えている薬草で、根の近くの太い茎が薬用として使用される。青みを帯びた丸い葉と六枚の白い花弁が集まる花、蔓が伸びて木に……」


「絡みつく様が特徴、だろ? わかったから、もういいぞ」


「せっかく頭の中の説明書読み上げてたのに」


 クリストフに言葉尻を捕らえられ、むっとした表情でヴィルフリートが反論する。


「読み上げ……なるほど、そういう作りなのか、おまえの頭は」


「みんなそうだろ」


「違うと思うが。まあいい、行くぞ」


「違うのか……そうか……」


 ヴィルフリートとクリストフは店を出るとまた草原へと向かう。頭上の雲は低く垂れ込め、太陽を隠したまま頑固にそこに居座っていた。



**********



「……よし、ヴィルが持ってるのを入れたらカゴいっぱいだ」


「ああ、これで町に戻れる。だがその前に……」


「……戦闘、だな」


 森の脇の草原にいる二人の目の前には狼の魔物の群れが迫り、明らかにヴィルフリートたちに狙いを定めている。またウォーグのようだ。それなら数が多くても広範囲魔法で何とかなると、カゴを足元に置くクリストフの横で、ヴィルフリートは思考を巡らせる。


「魔物多すぎだろ、鬱陶しい。今度は十体」


 ダガーを手に持ち、対峙する魔物たちを睨みつけて今にも広範囲魔法を繰り出しそうなヴィルフリートの横で、クリストフが大声を上げた。


「待て、こいつらただのウォーグじゃねえ、ハイウォーグだ! 牙の数が違う!」


「ハイウォーグ? なら攻撃魔法は効きづらいか。しょうがない、物理攻撃だ」


 言い終えるのとほぼ同時に、ヴィルフリートの凍縛フローズン・バインドが発動する。ハイウォーグの足元に凍てつく氷が広がりその四本の足にまとわりつこうとするが、半数以上が素早い動きでそれを避け、両手剣を持つクリストフに向かって突進し始めた。


「くそっ、やっぱり足止めはだめか!」


 クリストフはハイウォーグの牙や爪での攻撃を避けながらダメージを与えてはいるが、少しずつ傷が増えているせいでシャツの袖が赤く染まり始めている。その時、クリストフの剣が腹にヒットした個体が「キャイン!」と鳴き、死体になった。


「やっと一体。こいつら体力あるから持久戦に持ち込まれたら厄介だ」


「ヴィルのダガーに毒でも塗っておけばよかったな」


「ああ、だが今更だ」


 魔法はあきらめ、双手にダガーを構えたヴィルフリートが言う。


「クリス、死にそうになったら言えよ。聖なる治癒ホーリー・ヒール飛ばしてやるから」


「なんねえよ……っ!」


 飛びかかろうとするハイウォーグの腹に重い斬撃を繰り出し「これで二体目」と言うクリストフが、ヴィルフリートの目に頼もしく映る。自身も襲いかかってくるハイウォーグにダガーで応戦するが、致命傷を与えることができない。


「あー、疲れてきた。もう年だな……めんどくせえ、効かなくてもいいから得意なやつぶっ放すわ」


「ああ、頼むぜ」


 ハイウォーグの群れから離れようとするクリストフの返答を聞くとヴィルフリートは胸の前で両手をかざし、氷柱フローズン・スティーリアで鋭い切っ先の氷を二十本ほど出現させてクリストフと自身のいる場所とハイウォーグの群れの間の地面にグサグサと刺した。


「魔物の数が多いとこれが面倒なんだよな。クリス、そこ動くなよ」


「おう」


 クリストフの返事を確認してから、ヴィルフリートは左手を高く掲げて氷雪の嵐アイス・テンペストをハイウォーグに向かって放った。立ち並ぶ氷柱の向こうに広範囲に渡って魔法陣が敷かれ、直後、激しく宙を舞う氷と雪の渦がハイウォーグたちを襲う。壮烈な暴風雪のゴオオオという音の中から何度か「キャイン!」と鳴き声が聞こえ、やがて嵐は静まった。


「どうだ? 効いてるか?」


「ああ、ヴィルがダメージ与えておいたから、残ったのは一体だけだな。よし、俺がやってくるわ」


「悪いな、よろしく」


 残る一体に向かって行くクリストフに念のため聖なる治癒ホーリー・ヒールを飛ばし、傷を癒やしておく。「やれやれ」と疲れた体を休めるためにヴィルフリートが草の上に腰を下ろすと、草原脇の森の中に何やら白っぽい毛が見えた。


「……白い……狼か?」


 もう一度立ち上がり、目を凝らしてよく見ると、速度を上げてヴィルフリートたちの方に近付いてきているようだ。


「……何だ、あれは……? おい、クリス! 何か来るぞ! 右手の森からだ!」


「何かって何だ?」


 最後のハイウォーグを倒したクリストフが左後ろのヴィルフリートの方を向くと、その死角を狙ってか、巨大な体を持つ白狼フェンリルが突然現れてクリストフの右側から首元に飛びかかろうとする。


「速い! クリス!」


 慌てて氷煙アイス・プルームを発動させクリストフの姿を隠すと、間髪入れず氷壁アイス・ブライニクルで防御を施した。


「フェンリルだ! 速いぞ、気を付けろ!」


「フェンリル!? くっそ、ハイウォーグの呪いかよ!」


 クリストフはフェンリルの姿を目で追おうとするが、速すぎて追いかけることができていないようで、左後ろのヴィルフリートの方を振り返った。ヴィルフリートが地面に刺した氷柱フローズン・スティーリアはもう消えている。氷壁アイス・ブライニクルも、いつまでもつかわからない。


「……銀塵の氷帝よ、冷たき刃となりて、我に力を与えん。輝きを纏いし星の結晶よ、我が意思に従い、光の支配者とならん。我が声に応え、我が魔法を顕現させん。……新星爆氷晶クリスタル・フロスト・ノヴァ!」


 迷う暇はなかった。フェンリルは頭がいいため氷壁アイス・ブライニクルがすぐに消えることもわかっているはずだと、ヴィルフリートは自身が可能な最大の氷魔法と聖魔法を併せて詠唱し発動させた。直後、ドオオオンという激しい爆音と眩しい光とともに、氷飛沫こおりしぶきが視界いっぱいに広がる。が、フェンリルがクリストフの喉元を噛みちぎるのとどちらが早かったのかはわからない。ヴィルフリートはその場から動けず、高く飛び散る氷飛沫を見つめていた。


「……クリス! クリス!」


 真っ白な氷飛沫に向かってクリストフの名を呼ぶが、反応はない。代わりに、フェンリルの巨大な体が崩れ落ちるドサッという音が聞こえた。氷飛沫が消えてもピクリとも動かないため、どうやら事切れたようだ。


「クリス!? フェンリルは倒したぞ、クリス!」


 ヴィルフリートが駆け寄ると、クリストフはフェンリルの向こう側に倒れていた。名を呼んでも、その体が動くことはない。


「クリス! 何やってんだよ、もういいって!」


 聖なる治癒ホーリー・ヒールをクリストフ目がけて発動させるが、彼は首から流した血の中で身じろぎ一つせず、横向きで倒れたままだ。


「クリス……!? クリス!!」


 ヴィルフリートが何度クリストフの名を呼んでも返事はない。彼の胸に手を当ててみるが、その心臓は鼓動を感じさせてくれない。


「…………嘘、だろ……? 何やってんだよ……! 俺、蘇生魔法は、使えな……」


 かすれた声でクリストフに向かって話しかけていると、大声で叫びすぎたからか、胃のあたりがムカムカして吐きそうになる。血がべったりついた手で腹を押さえて咳き込むヴィルフリートの脳内に、ある記憶が蘇ってきた。


 ――そうだ、フェリクスに馬車の中で蘇生魔法を教わった。……何て詠唱していた? フェリクスの声を思い出せ! 詠唱していた声さえ思い出せば……彼は穏やかな優しい声でゆっくりと……『聖なる光』から、始めていた――


「…………聖なる光よ、我に力を与えたまえ。我が魂の叫びを聞け。闇に包まれた運命の糸を手繰り寄せ、再び生命の輝きを取り戻さん。異界より魂の軌跡を辿り、生者の世界へと還帰させん。……神聖なる蘇生ホーリー・リザレクション!」


 左手を上げたヴィルフリートがかすれ声のまま蘇生魔法詠唱を完了させると、手首のバングルの翡翠が鋭く光り、無数の銀色の光の粒がふわふわと舞ってクリストフの体を包み込む。光の粒はやがて消え、それからどのくらい待っただろうか、抱きしめているクリストフの体に温かさが戻ったのを感じるようになった。


「クリス? おい、クリス!」


 顔に手をかざしてみると、呼吸をしていることがわかり、ほっとする。胸に手を当て、心臓が脈打つのも確認できた。だが、いくら聖なる治癒ホーリー・ヒールで回復を試みてもクリストフが意識を取り戻すことはなく、眠ったように目を閉じている。


「……クリス、目を、覚ましてくれ……」


 フェンリルを倒した魔法の詠唱で時間がかかったせいだと思うと、自責の念で気が狂いそうになる。すると、町の方から誰かが歩いて来るのが見えた。


「た、助けてくれ! 頼む、クリスが……!」


 鈍色の曇天の下、ヴィルフリートのかすれた叫びがあたりに響き渡った。

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