5.娼館


 ギルドの案内所で紹介された宿まで歩いている最中、フェリクスは道の真ん中で「ここらへんで結界張るね」と立ち止まり、髪と目の色を変える魔法を解いてから詠唱を始めた。


「天界の守護者よ、無謬むびゅうなる力を以って時空の糸で織り成す境界を描き出さん。闇の力を拒絶し、善悪の判断を下し、この世界の調和を守れ。天の加護よ、我に力を! ……神聖なる領域ディヴァイン・エリア!」


「これも初めて見た……! すげえ、空全体が光って……きれいなもんだな」


「ああ。俺も聖魔法はある程度教わったが、これはできない」


「本当は各町に結界張ればいいんだけど、神殿にもできる人が少ないんだよね。この町は、しばらくは大丈夫。あとはあいつらに会ったら痛めつけ……」


「わかった、わかったから、痛めつけていいから。宿に行くぞ」


 淡い銀色に染まった空を見上げていたクリストフが視線を落として先を促し、フェリクスがだるそうに髪と目の色をブラウンに変える。


「フェリクス、大活躍だったから疲れただろ」


「魔力はすぐに回復するんだけど、体がね。だるいくらいじゃ聖なる治癒ホーリー・ヒールは効かないし、年齢には抗えないよ」


「陛下もよくまあこんな年の者を集めたものだ」


「本当に。馬もね」


 ヴィルフリートの軽口に付き合うフェリクスのモーニングスターをクリストフが持ってやると、フェリクスが大きな目を細めてうれしそうに「ありがとう」と言う。その穏やかな立ち姿に、ヴィルフリートは声をかけた。


「あのさ、フェリクスってさ」


「うん?」


「仲間内以外に厳しいタイプ?」


「んー……、そうかも……?」


「……仲間でよかった……」


 ヴィルフリートのつぶやきに、クリストフが大きくうなずく。結界の淡い銀色は消え無数の星が瞬く夜空の下、三人は再び宿へと歩き始めた。



**********



 翌日の朝から、ヴィルフリートたちは町中で情報収集という名の聞き込みを始めた。聖魔法を突然使えるようになった女性を探すためだ。


 町の中心地で様々な人に聞いて回るが、出歩く人が少ないせいか、有力な情報は得られない。町長にも聞いてみたが、偽物とでも思われたのだろうか、わざわざ自宅を訪ねたというのに鼻持ちならない横柄な態度で「私は知りませんね」と言われただけだった。王族もいるのにいいのだろうかとヴィルフリートは思ったが、教えてやる義理はないと、そのまま町長宅を後にした。


「二十五年前はどうしてたっけな……片っ端から水晶玉に手をかざせってのもやりにくいし」


「五日も経てば聖女探しに来てるやつらがいるという噂が広まるからって、その間滞在してた気がする」


 三人は町の中心地の広場にある噴水の縁に座り、今後のことを相談する。クリストフの問いにヴィルフリートが答えると、フェリクスが「それが良さそうだね」と同意した。


「本当は、早く見つけて早く帰りたいんだが」


「ヴィルは家族がいるもんね。僕は独り身だから気楽だけど」


「俺もだ。結婚したことねえ」


 大口を開けてクリストフが笑う。そこへ、通りすがりの人たちの「あそこの女将の魔法すげえよな」という言葉がヴィルフリートの耳に入った。


「あの、すみません、今話してた『おかみ』ってどこの人ですか?」


「え? ああ、女将? そこの裏手にある娼館だよ。女将っていっても、代替わりしたばかりでまだ二十代だったかな。仕事で付き合いがあってね」


 ヴィルフリートが立ち上がり、気になる話題を出していた男性に話しかけてみたところ、彼は素直に返答してくれた。


「魔法が上手な人なんでしょうか?」


「それが、難しい魔法も急に上手にできるようになったらしい。女の子たちを守るのにちょうどいいって、うれしそうに言ってたよ」


「急に……そうですか、ありがとうございました。突然話しかけてすみませんでした」


 ヴィルフリートが礼を言うと、彼らはさっと手を上げて挨拶し、立ち去って行った。


「ヴィル、今の会話は完璧だったぞ。何で時々おかしくなるんだ? 知らない人に礼言われた時なんか特に。昔はそうでもなかったのになぁ」


「そんなにおかしいか? 自分ではわからないんだが」


「まあそれはともかく、娼館か……まだ早い時間だから開いてるだろうけど、どうする? 行くか?」


 クリストフが尋ねると、二人は軽くうなずいてから裏手の道の方に視線を移した。



**********



「フェリクスの出番だな」


「うん、フェリクスの出番だ」


 娼館の前まで来たというのに、ヴィルフリートとクリストフは及び腰だ。


「……いいけど、何でそんなに嫌がるの?」


「俺、ちょっと、その、色っぽい女性が苦手で」


「俺も……」


 ヴィルフリートの言い訳に、クリストフが乗ってくる。


「二人とも? しょうがないな、じゃあ一人で行くね」


 フェリクスが渋々一人で娼館の入口をくぐるのを見ながら、ヴィルフリートとクリストフは大きくため息をついた。


「……本当は、苦手ではないんだが……」


「ヴィルも俺も、どちらかというと好きな方だよな」


「いや、でもさ、絶対誘われるだろ? クリス、フラフラしない自信あるか?」


「あるわけねえだろ。フラフラのあとに金も体力も何もかも、残らず搾り取られるわ」


「だよなぁ。俺はミア一筋だけどさ……、この年になっても、その、こう、本能ってもんがあるだろ? ……そっちの専門家には、やっぱりかなわないからさ……」


 クリストフが腕組みしながらうんうんとうなずく。


「にしても、神殿って謎めいた部分多いよな。ビアンカとは疎遠になったから、どういう生活なのかわからないんだが……クリス、何か知ってるか?」


「俺もよく知らないが、神殿だと日常生活で色々厳しいこと言われそうだし、フェリクスはものすごく強くて堅い精神力を持ってる気がする」


「そうだよな……って、いや、待て、クリス。神殿が厳しいからこそ、こういうところでフラフラしてしまう可能性はないか?」


「!? そうか、盲点だった……! フェリクス、大丈夫か!?」


「やべえ、フェリクスがフラフラして王族の子ができたらどうしよう……俺らのせいか……?」


「さすがに子はできないようにすると思うが……、もしできたらヴィルが責任持って育てろよ」


「金髪で紫の目の子は……この国では育てるのが難しそうだな……」


「フェリクスの目と髪の色変える魔法を教えてもらえば……。あぁー、俺が行くべきだったか……ヴィルは結婚してるし……俺はしがらみないもんな……」


 二人が勝手な妄想で会話をしていると、「何話してるの?」とフェリクスの声が真横から聞こえ、驚いた二人は「いやべべべ別に」「おおおおかえり」などと慌てて返事をする。


「……報告一つ目。女将が使えるようになった魔法は風魔法で、特に有用な情報はありませんでした。なお、急に使えるようになったわけではなく、彼女が店の女の子たちを守るために努力した結果でした。念のため水晶玉に手をかざしてもらったけど、反応はありませんでした」


「は、はい」


 フェリクスに、ヴィルフリートが応答した。


「報告二つ目。フラフラしなかったので、王族の子はできませんでした」


「そ、そうですか、よかったです」


 フェリクスに、今度はクリストフが応答した。


「で、何話してたの?」


「べべべ別にっ、なななっ、何もっ? な、クリス!?」


「お、おう、そそそそうだな」


 「ふぅん?」と言いながら肩のモーニングスターを揺らすフェリクスに恐怖を覚え、ヴィルフリートは「は、腹! 減った! よな!?」と無理やり話題を昼食の方へ持っていく。


「……少々遺憾だけど、昼食にする?」


「おう、昼食! 昼食!」


「食べ終わったらクッション買いに行くだろ!? な!? 俺は持ってるけど!」


「あー、そうだね、そうしよう」


 冷静に答えるフェリクスのあとを着いて二人が歩き出すと、フェリクスは後ろをちらりと見て「やれやれ」と肩をすくめた。



**********



 ギルドに併設されている食堂の席で、ヴィルフリートは気になっていたことをフェリクスに尋ねてみることにした。


「あのさ、神殿って厳しいんだろ? それでも結婚はできるんだよな?」


「うん、恋愛も結婚もできる。でも、神殿に住む女性とは生活範囲が仕切られてるし、規律は守らないといけないから、実際出会いも時間もそんなにないんだよね」


「ああ、そうだろうなぁ。で、その……、男なら誰でも、その……あれだろ?」


「……あれ、って……。娼館は利用したことないよ、って返答でいい?」


「お、おう、そうなんだ。じゃ、じゃあ恋人とか……」


 ヴィルフリートのスプーンを持つ手が止まっているのを見てフェリクスが呆れ顔になると、「そんなに知りたいの?」と一言ぼやく。


「悪い、本当にただの興味で」


「……どうだったかな。男色はなかったよ」


「あー、そういうんじゃなくて、……ほら、神殿ってちょっと閉鎖的って印象があるからさ、女の子とこういうこととかああいうこととか、どうしてたのかなって……」


 しどろもどろの問いにフェリクスは表情を変えず、ただ料理を口に運ぶのみだ。怒らせたかと思い、ヴィルフリートは素直に謝ることにした。


「……ごめん、悪かった」


「いや……、僕の方こそごめん。本当はそういうあけすけな話もしたいんだけど、残念ながらできないんだ」


「ヴィルはやっぱり、たまに会話がおかしくなるよな。フェリクスにも事情があるだろ」


 苦笑いを浮かべるクリストフに「悪かったな」と一言告げ、ヴィルフリートも食事を再開する。


「まあとにかく、僕はたぶんフラフラしないから、ああいうところでは役に立てると思うよ」


「お、おお、ありがとう」


 礼を言うヴィルフリートに向かって、フェリクスは少しだけ口角を上げて微笑む。その直後の伏せた目に寂しげな色が宿ったことに、ヴィルフリートとクリストフは気付かないふりをして料理を食べ続けた。

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