3.ジジイばかり
「行きたくない……昨日寒くて冷えたから腰が痛いし、まだ魔物とダガーで戦えてないし、まだフェリクス様と会えてないし、ミアと一緒にいたい……行きたくない……ううう……」
「そうね、行ってらっしゃい」
ニコニコと玄関先で微笑みながら見送りに出て来ているミリアムを見つめると、ヴィルフリートは彼女をぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫よ、きっとうまくいくわ。体に気を付けてね」
「ミア、ありがとう。愛してるよ」
そう言ってミリアムに何度もキスをするヴィルフリートを、子供たち三人が見ている。呆れ顔なのがルキウス、笑顔なのがエリザベート、無表情なのがクラウスだ。
「相変わらず父さんの愛は重いな……」
「あら、殿方はあれくらいでいいのよ。最近読んだ小説にも書いてあったわ」
「そうなのか? 俺には無理だ」
「ルキウスは顔も体格も父さんそっくりなのに、無愛想だからなぁ……。俺ともだいぶ違うし、その性格、誰に似たんだろう」
「兄さんは外面が良すぎるんだよ」
ルキウスとエリザベートの軽い会話に、長男のクラウスが口を挟む。そんな仲の良い子供たちに安心感を覚え、「行きたくないけど行ってくる。母さんのことは任せたぞ」と言って、ヴィルフリートは馬車に乗り込んだ。
「あっ、ちょっと待ってて」
「リズ? どうした?」
ヴィルフリートの問いには答えず、エリザベートは家の中へと走って行き、すぐにかわいらしい小花柄のクッションを持って来た。
「お父様、腰痛いんでしょ? これ、役に立つんじゃないかしら」
「おお……リズ、おまえ優しいなぁ。母さんに似たんだろうなぁ。ああ、行きたくない……」
「そうね、行ってらっしゃい」
ミリアムによく似た顔でニコニコと笑いながら同じセリフを言われると、ヴィルフリートも首を縦に振るしかない。
「なるべく早く帰るからな!」
馬車が動き出しても、ヴィルフリートは窓から顔を出し、手を振る家族の姿を、見えなくなるまで目に焼き付けた。
**********
馬車はまずヴィルフリート一人を乗せ、王都内を少し走ってから止まる。そうして扉が静かに開き、乗り込んできたのはクリストフだった。
「お、クリス、おはよ。さすが王族が乗るだけあって、馬車も広めだな」
「おう、そうだな……って、その尻の下の花柄……」
「腰が痛いって言ってたら、娘のリズが貸してくれたんだ。いいだろ」
「正直ちょっとうらやましい。俺も腰が痛いんだ」
二人で腰をさすりながら揺れに身を委ねている間に、馬車は王都の端にある神殿のメインゲートに入ったところで停車した。王族を迎えないといけないため、二人は馬車の外で扉を開けて待機する。
「とうとうフェリクス様登場だな」
少し待っていると、フェリクスが馬車の方へ歩いて来た。彼の肩より短く揃えたさらさらと揺れるハニーブロンドの髪と大きな紫の目は、何も言わずとも王族であることを物語っている。
「お目にかかれて光栄です。ヴィルフリート・レッシュと申します」
「クリストフ・モリーニと申します。よろしくお願いします」
旅仲間ではあるが一応王族だと、ヴィルフリートとクリストフがそれぞれ頭を下げて挨拶をすると、フェリクスはしわが刻まれた目尻を垂らし、優しげに微笑んだ。
「丁寧な挨拶をありがとう。僕はフェリクス・ベルツという。レオンハルトの代わりだけど、そこそこ戦えると思うから安心してほしい。国宝の水晶玉も持ってきたよ」
「はい、お気遣いありがとうございます。……あっ、それ……」
ヴィルフリートが指さした武器を、フェリクスが「ああ、これ?」と言って差し出してきた。フレイル型のモーニングスターで、フェリクスの肩に担がれていたものだ。「おもしろい作りですね」などと言いながらヴィルフリートとクリストフがしげしげと眺めていると、御者が「では、あとはよろしく頼みます」とヴィルフリートたちに向かって言い、御者台から下りた。
「おっと、ここからは俺らが御者になるんだったか。じゃあまず俺からやるわ」
「ああ、そうだった、すまない」
クリストフが御者の方へ走り寄り、少々馬の話をしてから御者台に上る。
「まずは西のオートレーの町だな。あー腰痛えわ」
クリストフはそうぼやきながら御者台に上った。やがて馬車は出発し、オートレーの町へと進んで行く。おそらく夕方頃には到着するだろうが、初対面のフェリクスと何を話していいかわからず、ヴィルフリートは無難に聖魔法の話から始めることにした。
「フェリクス様は聖魔法をお使いになるんですよね? 神殿周辺の魔物退治でですか?」
「うん。神殿で教えてくれるし、時々聖女様が来ない期間があって、その間だけ魔物が出るようになるから。……敬語、いらないなぁ。名前も呼び捨てでいいんだけど。僕も子爵だし」
穏やかな微笑みで言われると逆らえない。まだフェリクスの人となりがわからないまま、ヴィルフリートは口調を変えようと試みる。
「わかりま……ええと、わかった。でも紫の目を見ると……髪もあまり白髪がないみたいで、立派な金髪だし……」
「あ、そこ気になる? じゃあ……」
フェリクスが口の中で短く詠唱すると、目の色と髪の色がどちらもブラウンに変わった。
「おっ! 久し振りに見た!」
「そっか、レオンも使ってたよね。王族にとっては便利だから」
フェリクスが使ったのは、髪と目の色を変える魔法だった。詠唱は簡単だが、変化を持続させるために魔力を常に少しずつ使っていないといけない。その間は別の魔法が発動しにくいため、魔力枯渇にならないか気になるということと、ブラウンにしか変えられないということで人気がなく、知らない人の方が多いのだ。
「そうそう、レオンも使ってました。一般人はほとんど知らないけど」
「話の種になるんだけどな」と苦笑いしながら、フェリクスは魔法を解いた。
「ところで、何で僕たちが呼ばれたかわかる?」
「王立軍の人たちが出払ってるからでは?」
「それもあるんだけど、聖女様ってたいてい若いでしょう。旅の最中、変に……まあ、その、仲良くなったら厄介だから。行くのは、軍に関わりを持たない政務を担っている甥の第二王子殿下でもいいんだけど、婚約者がいるんだよね。僕は独身だけどもう五十二だし、そういう心配がないって」
「……ああ……なるほど……」
「ヴィルフリートは恋心持たれた方だったんだよね」
当時十八歳だった現聖女のビアンカは田舎町に住んでいたが、独学で少しずつ魔法の練習を重ねていたようで、得意な風魔法は既に中級の腕前だった。そこにある日、突然聖魔法も使えるようになったとのことで、レオンハルトが持っていた水晶玉に手をかざしたところ美しい薄赤色に染まったのだ。こうしてビアンカはレオンハルトやヴィルフリートたちと王都の神殿に赴くことになった。
ビアンカが住んでいた田舎町から王都へは、馬車でも十五日ほどかかる。その間、彼女はヴィルフリートに風魔法と聖魔法を教えてくれた。ヴィルフリートはお返しにと、氷魔法を彼女に教えた。そのように二人で練習する時間はとても楽しく感じられた。
きれいな顔立ちで明るく表情豊かなビアンカに、レオンハルトが惹かれるのも無理はなかった。そのうえ、魔法を独学で中級まで習得したという根性もある女性だ。レオンハルトは常にビアンカに優しく接していた。だが、彼女が淡い恋心を抱いたのは、ヴィルフリートの方だった。
ヴィルフリートはその頃にはもう最愛のミリアムと結婚していたため、とにかく早くミリアムのいる王都へ帰りたいという一心で旅を続けていた。そんな中、いつしかビアンカの気持ちに気付いたレオンハルトは、ヴィルフリートを避けるようになったのだ。
昔のことを思い出しながらフェリクスの紫の瞳を見ると、嘘をついてはいけないような気分になる。ヴィルフリートは正直に、その時のことを話し始めた。
「そう、でした、ね。聖女様と魔法を教え合ったりして、必要以上に親しくしすぎた俺が悪かったんです。聖女様を気に入っていたレオンは腹を立てていたと思いま……思うが、俺に怒ったりはせず……俺との接触をできるだけ避けていただけで」
「……レオンは婚約者がいたから、婚約解消のために色々と奔走して大変そうだったけど……そんな中でも、きみに嫌な態度を取ってしまったと後悔してたみたいだよ」
「そうです……そうか……。また昔のように仲良くやりたいものです、が……まあ、そんな機会はもうないだろうな」
フェリクスが何も答えないため、ヴィルフリートの丁寧語混じりの言葉を最後にしばらく沈黙が続き、がたがたと馬車が揺れる音だけが響く。すると突然、馬の高い鳴き声がその静けさを引き裂いた。
「バグベアだ。俺一人で倒せると思うが」
「ああ、俺にやらせてくれ。ダガーの調子を見ないと」
ヴィルフリートは扉越しのクリストフの言葉に返答し、ダガーを持って扉の外に出た。子鬼型のバグベアは二体おりそれほど体躯は大きくないが、二体とも棍棒を高く掲げ、クリストフを睨みつけて今にも襲いかかろうとしている。
「っと、させねえよ」
ヴィルフリートの魔法である
「お疲れさん。ダガーの調子はどうだ?」
クリストフの問いを聞きながらヴィルフリートが魔法で火を放つと、バグベアの死体は消えてなくなった。先日倒したレイスは聖魔法で塵になったが、今回のバグベアのように死体が残る場合は火を放つだけで、何もなかったかのように消える。そうしておかないと腐敗してしまい新たな魔物が育つ要因になってしまうため、ヴィルフリートは後始末をきちんとすることにしているのだ。
「前より切れ味が良くなってる気がする。ルキウスが腕を上げたというのは本当だったんだな」
「そういえばあの時息子から受け取ってたな」
「ダガーもバングルも、大喜びで手入れしてくれたよ」
「へぇ、いいねぇ。んじゃ馬なだめて再出発な。あ、ちなみにこの馬、オスでユキエルって名前なんだってさ。俺らと同じで若くはないらしいぞ」
「ずいぶん立派なお名前をお持ちのじいさんで。さすが王室が用意しただけある」
「がんばろうな、ユキエル」
声をかけられて、うんうんとうなずくように首を動かすユキエルの仕草がかわいらしい。クリストフはヴィルフリートが扉に入るのを見届けてから再び御者台に上ると、馬車を出発させた。
「見てたよ。無詠唱魔法は僕には無理そうだなぁ。学園にいた頃から?」
「ええと、できるようになったのは学園にいた時で……レオンとの模擬戦で追い詰められた時でし……だった」
「そうだったんだ」
フェリクスは明るく微笑むと、「次の魔物は僕にやらせてね」と言う。
「ああ、そうだ、聖魔法の使い手ってことは、蘇生魔法も?」
「うん、使ったことはないけどできる」
「すごっ。教えてくだ……くれ」
「え、うん、じゃあ言うね。……聖なる光よ、我に力を与えたまえ。我が魂の叫びを聞け。闇に包まれた運命の糸を手繰り寄せ、再び生命の輝きを取り戻さん。異界より魂の軌跡を辿り、生者の世界へと還帰させん。……
ヴィルフリートが身を乗り出して目の前に座るフェリクスに迫ると、彼は少々引き気味になりながらも、穏やかな声でゆっくりと詠唱の文句を教えてくれた。
「うん、長い」
「難しいよね。しかも魔法媒体がそこらへんの安い宝石だと簡単に壊れてしまって失敗に終わることもある。
「そうか……俺のは、高価ではないんだよなぁ……」
「僕は媒体にアメジストを使ってるけど、ヴィルフリートは……ああ、バングルの翡翠か。元々災厄を払う効果があるから、聖魔法に向いてるね」
「そうなのか、知らなかった」
フェリクスがペンダントを服の下から引っ張り出して、アメジストを見せてくれる。だんだん自分の口から出てしまう丁寧語も鳴りを潜めて来たところで、様々な知識を授けてくれるフェリクスに、ヴィルフリートは好感を持ち始めた。少なくとも意地が悪い態度を取る人物ではなさそうだということに安堵を覚える。
「……知らないで使ってたのか……。攻撃で使えるのは氷魔法と聖魔法、あとは風魔法かな? 他にもある?」
「翡翠は妻の目の色なんだよ。魔法は氷が得意だが、中級くらいまでは全属性使える」
「中級くらいまで全部? それでダガーでの接近戦もするの? すごいのはヴィルフリートの方だよ。陛下が名指しで呼ぶわけだ」
「呼ばれたのは、過去に聖女様探しをしたことがあるからって理由らしいがな。俺のことは、ヴィルって呼んでくれればいい」
「わかった。ねえ、ヴィル」
「ん?」
「腰が痛い」
眉根を寄せて顔を歪めるフェリクスに、ヴィルフリートはこくこくと何度もうなずいた。
「……だよなぁ……若い頃と違って体硬くなってるもんなぁ……。俺はもうあるけど、一人一つクッション買う方がいいと思う」
「次の町で必ず買うよ」と言うと、フェリクスは腰をさすり始める。
「もうジジイだよな、俺ら。さっき聞いたんだけど、馬までジジイなんだぜ。名前はユキエル」
「徹底してるね。新たな聖女様もジジイばかりでさぞかしご安心めされるだろう」
フェリクスの言に二人で顔を見合わせると、どちらからともなく笑いが漏れた。
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