涅槃の章 その四 弥勒としての自己同一性に目覚め始める阿修羅





「と、その前に」



 その物体から1kmまで近づいた空間で弥勒みろく解脱げだつさせられた阿修羅あしゅらがスピードを緩める。


 そして、その物体と同じ速度で移動しながら考えをめぐらす。



釈迦アイツはコイツが作られたモノだって言ってたからな。ちょっと調べてみるか」


 弥勒は、その直径33kmの物体を凝視ぎょうしする。

 見た感じでは岩石に覆われた小惑星にしか過ぎない。

 しかし、限りなく球形に近い形状は自然物としては不自然だ。


 やはり、何者かに作られた物体として考えた方が良さそうである。



「しかしなぁ。調べるとは言っても」



 弥勒・阿修羅は頭を抱えてしまう。


 無理もない。


 阿修羅は釈迦に解脱させられたのだから今でも自我エゴは阿修羅のままだ。

 弥勒になったと言われても弥勒としての自己同一性アイデンティティは得られていない。

 しかし、弥勒になったからこそ思念体として此処に居るのも事実である。



 何より阿修羅は感じている。


 自分の中に途轍とてつもないモノが存在している事を。



「・・・・うーん」



「心をしずめなさい」


「うわっ!」


 いきなり自分の中に何者かの思念を感じて阿修羅は魂消たまげる。

 これは先程までおこなっていた釈迦からの阿修羅の脳内への思念では無い。

 弥勒・阿修羅の思念体の内部から発生したように感じられたからである。肉体があったのなら、その体細胞全体から発せられたようなモノだ。



「誰だっ! ひょっとしてオリジナルの弥勒か ?」


「眼球や脳で見るのではありません。心で見るのです」


 その荘厳そうごんとも言える思念にビビりながらも言い返す。


心眼しんがんってか ? そんなもんアタシに出来るワケねーだろっ!」


 しかし、それきり返事は無い。

 またも阿修羅は頭を抱えてしまう。


「あの思念がオリジナルの弥勒からの思念波しねんはだとしたら、あの思念波とアタシの思念波を同調させれば良いって事か。いっちょ、やってみるか」


 生物から発せられる思念波には同じ波形はけいのものは存在しない。

 人が他人の思念波と全く同じ思念波を同調すれば、他人と同じ自我を持つ事になる。その場合には2つの自我を持つ事になる。これは、あくまでも理論上の話ではあるが。これは現代の心理学でも二重人格と呼ばれる「解離性同一性障害」として認められている。

 阿修羅は先程の弥勒と思われる思念波を正確に覚えている。


 阿修羅は眼を閉じて弥勒の思念波と己の思念波を同調する事をこころみる。

 アノ物体とは同じ距離を保ちながら。

 意外にも、思念波の同調は困難な事とは思え無かった。



「来た!」



 阿修羅の思念波は弥勒の思念波と同調した。


 その瞬間に眼を閉じていた阿修羅はアノ物体の全容を把握した。


「あの外側の岩石はカモフラージュで内部は金属の塊か。ん ? あの金属は地球には存在しなかった元素で作られてる ?」


 阿修羅は自分の中の記憶をフル回転させる。


「あれってソマリアで発見されたエル・アリ隕石に含まれてた金属だよな」



 エル・アリ隕石がいつアフリカ大陸の東のソマリアに落下したのかは不明である。

 しかし2022年にアルバータ大学らの分析によって「地球の自然界には無かった鉱物」である事が判明した。そもそもソマリアでは隕石とは認識されていなかった。

 分析された隕石の断面にはウィドマンシュテッテン構造が発達している様子が見られる。また、多数の包有物の中にはトロイライトやリン酸塩などが検出されている。


 地球上には存在しなかった元素としては、テクノチウム、プロメチウム、アスタチン、フランシウム等があるが、これらは人工的に作られたものである。

 エル・アリ隕石の元素構造はまだ解明されてはいない。


「それ以外の金属は・・・・鉄やロジウムやチタンか。げっ、オスミウムもあるじゃねーか」


 弥勒・阿修羅は分析を続ける。


「中央部には次元コンパスみたいなモノもあるな。進路変更機関みたいなモノも。釈迦が軌道を変更しようとしてもダメだったのは、このせいか。あれっ」


 弥勒・阿修羅は素っ頓狂すっとんきょうな声を出す。

 眼の前が真っ黒になったのである。

 どうやら弥勒の思念波との同調が切れたようだ。


「おーい、弥勒。寝てるのか ? おいっ、弥勒! 起きろよ、この野郎!」


 弥勒・阿修羅は自分の中に弥勒の思念波を探すが、全く見当たらない。

 無理もないと言えば、そうなのだが。

 弥勒は釈迦の入滅後、56億7千万年後に現れる予定になっているのだから。


 この人類滅亡の危機に経典より早く現れた弥勒とすれば阿修羅との完全な自己同一性は難しいのかも知れない。

 まぁ、その経典自体が人が造ったモノではあるのだが。


「弥勒がアタシの中に存在してる、ってのが判っただけでも良しとするか。それなら釈迦が四天王とやらを連れて来るまで少しはアレの足止めをしないとな」


 弥勒・阿修羅は自分の中の思念パワーを念動力テレキネシスや熱エネルギーに変えて物体の質量を削っていく。

 少しずつではあるが確実に質量は削られていった。

 そして、弥勒・阿修羅の思念パワーが減ってくると自動的に補充される。それが弥勒によるものなのか、大日如来だいにちにょらいの太陽エネルギーなのかは判らなかった。




1ヶ月後



「お待たせしました」



 釈迦が弥勒・阿修羅の前に姿を現した。


 周囲に4つの強大なエネルギーのかたまりたずさえながら。



「例の物体はどうなりました ?」


 釈迦の問いかけに弥勒・阿修羅が答える。


「どーしたもこーしたもねえよ。地球からも熱核兵器のミサイルが何十発も発射されたけど一発も当たりゃしねえ。まぁ、地球からの距離を考えたらしゃーないけどな。それよりもさ。アイツの内部構造が少しだけ判ったぜ」


 弥勒・阿修羅が思念波を送る。


「・・・・これは! 弥勒の思念波と同調できたのですね」


 釈迦が驚いたような顔をする。


「あぁ、ちょっとの間だけどな」


「いえ、弥勒がアナタの中に存在している事が判明した事が重要なのです」


 釈迦は喜色満面のような顔をしている。


「何だよ。アンタは弥勒の実在を疑ってたのかよ」


 弥勒・阿修羅は呆れた顔をする。


「そりゃそうですよ。弥勒は56億7千万年後に現れる予定でしか無いのですから。弥勒が実在する保証なんてありません。ただ、アナタの中に弥勒の片鱗は感じましたからね」


「あーあ、結局は宗教なんて人が造ったモノだから当てにはなんねぇって事か」


 ぶうたれる弥勒・阿修羅に釈迦は微笑む。


「少なくともオリジナルの私はさとりを開いて如来にょらいになりましから人ではありませんよ。それで弥勒との同調は、それっきりですか」


「あぁ、それっきりだよ。だけどアタシも感じるんだ。アタシの中に途轍もないモノが存在してるって事は」


「それで充分です。アナタと同調しないのは外部との接触を絶って力を蓄えているのでしょう。人々を救う為に。そして、私達は私達に出来る事をしなければ」


 釈迦の言葉に弥勒・阿修羅の顔つきが鋭くなる。


「そうだな。アンタもちゃんと四天王してんのうとやらを連れて来てくれたしな」


「ええ。ただアナタの分析を見てみると四天王でも完全に消滅できるかどうか。いえ、今は行動をすべきですね。アナタは少し離れて弥勒との同調を試みて下さい。四天王でもダメとなると弥勒が動き出すかも知れません」


 弥勒・阿修羅はうなづいて少し距離を取る。

 そして眼を閉じて集中する。

 それを見た釈迦は満足そうな顔をして連れてきた4つのエネルギー体に語りかける。


「それでは四天王の力を見せてやりましょう。本来ならアレそのものを彼岸ひがんに転送したかったのですが。あの質量では難しいでしょうね。広目天こうもくてん!」


 4つのエネルギー体の1つから白い光のたばが伸びて巨大な金属球きんぞくきゅうを直撃する。



ドガアァァン



 宇宙空間では音は聞こえないが、そのような音が聞こえてきそうな爆発が起きる。



「ちっ」


 釈迦が舌打ちする。


「やはり物理攻撃ではあまり削れませんね。持国天じこくてん!」


 別のエネルギー体から今度は紫色の光の束が伸びる。


 直撃を受けた金属球の一部が真赤まっかになり蒸発する。


 しかし、釈迦は苦い顔つきのままだ。


「熱攻撃でもあの程度ですか。増長天ぞうちょうてん!」


 次のエネルギー体は光をはっし無かった。


 しかし、金属球の一部が消滅していく。


「やはりこのエネルギー量では金属結合きんぞくけつごうしている分子の破壊は難しいですね」


 釈迦の顔がけわしくなる。


「このままではらちが明きません。毘沙門天びしゃもんてんも加えた四天王の全てのエネルギーをぶつけるしか無いでしょう。四天王! 毘沙門天に全てのエネルギーを集約して下さい。毘沙門天 ! 頼みましたよ」


 3つのエネルギー体が一際ひときわ大きいエネルギー体に集約されていく。

 恐らく、あのエネルギー体が毘沙門天なのだろう。

 巨大化したエネルギー体が巨大な金属球に向かっていく。


 釈迦は金属球を視認できなくなった。

 

「これは毘沙門天が空間をゆがめているのか ? しかし、あの質量を別の次元に飛ばす事は・・・・ぐっ!」


 眼の前の空間が閃光せんこうによって真白まっしろになる。

 強烈な衝撃波がやってくる。

 釈迦は思わず眼を閉じ次元シールドを展開する。そして、再び眼を開いた釈迦が見たモノは。



 それは地球の月齢で言えば9・1の大きさの金属球だった。


 釈迦は唖然とする。


「・・・・そんな。四天王の力をってしても3分の1しか削れないとは」


 

 どうする ?


 私はどうすれば良い ?



 茫然としている釈迦に強烈な思念波が送られてくる。



「道を開けなさい釈迦。アナタ達は良く頑張ってくれました」



 思念波が送られてきた方角を釈迦が見る。そこには。





 金色こんじきに輝く弥勒・阿修羅がいた。



 背中には光り輝く光輪がおごそかに辺りを照らしている。




「私はまだ完全に降臨こうりんしたワケではありませんが出来る限りの事はやってみます」



そう言って微笑ほほえむ姿は現世に初めてあらわれた弥勒の姿だった。


 







つづく



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