第1章 その弐 肉塊は真名では無い故に他者との同調は叶わず





 3ヶ月後




「ダメです。パターン97の同調パルスも拒絶されました!」


 研究所の若い科学者の悲痛な声が研究所の中央制御室に響く。


「焦るな。次はパターン98を撃ち込め」


 指示を出す髭面の博士の顔にも焦りの色が浮かんでいるように見える。


 この3ヶ月で「マイトレーヤ」は体長7・67mまで成長した。

 相変わらず感情は無いが、それ以外の諸々もろもろのデータは博士の計算通りに成長している。

 そこで今日は満を持して阿修羅あしゅらを「マイトレーヤ」の内部に投入したのだが、いまだに両者の同調は出来ていない。


「お父様、阿修羅を突入させてから既に2時間以上が経過しています。あの子の身体が心配です。今日はこれが限界かと」


 そんな博士の娘の声をさえぎるようにスピーカーから「マイトレーヤ内の阿修羅」の声が響く。


「アタシは大丈夫だよ、母さん。この中ってけっこう居心地が良いんだよね。それよりさぁ、ジジィ」


「何だ?」 


 無性体むせいたいの孫の声に博士が答える。


「なーんか、引っかかるんだよなぁ。アタシらは初歩の初歩からナニカを間違えてるようなミョーなカンジ」


「何だ、それは ? もっと具体的に言え。お前らしくも無い」


 そんな博士の言葉にスピーカーの阿修羅の声がわめく。


「それが判らないから、ナニカって言ってるんだよ! クソジジィ!」



 ふぅっ、と博士の口から重い息が漏れる。

 そしてロクに手入れもしてなさそうな髭を撫でながら言った。


「これより2時間の休憩とする。この中央制御室から出る事は禁止する。「マイトレーヤ」からストレス等を検知したら些細なものでもデータの保存をしておけ」


 中央制御室内の張り詰めた空気が弛緩しかんされていく。

 あちらこちらから研究員達の話し声が聞こえてくる。

 テーブルの片隅から現れた熱いコーヒーを啜りながら博士は眼を閉じる。


 博士の脳裏には数年前の出来事が思い出されていた。

 自分達にとって全てが始まった「あの日」の事が。





西暦2025年 7月



 ソイツらはいきなり現れた。


 前もって郵便局の封筒の手紙で、その日に自宅に来る連絡はあったが。差出人名は高校の頃の同窓会、と言う事になっていた。


 ソイツらは博士が昨年にIPS細胞研究所を辞めた事を知っていた。おそらくは、その経緯いきさつも。


「日本に来て数年になりますが、この蒸し暑さには慣れませんねぇ」


 アロハシャツと言うラフな格好の白人の男は流暢りゅうちょうな日本語で言った。


「君らは何者だ ? わしに何の要件だ ? ここでの会話は本当に盗聴されていないんだろうな ?」


 博士は彼らが乗ってきた車に乗せられた。家族が人質となっているのは明白だった。


「オール・オッケーね。要件はアナタもお察しのように、アナタが偶然であれ培養に成功した「特殊な細胞体」についてです」


 アロハシャツの白人の男は言葉を続ける。


「人間の「脳内の神経細胞ニューロン」のみを破壊する放射線を発生する「細胞体」についてです。我々の間では「アレはアナタが偶然に培養に成功したのでは無く何らかの意思が介在したのだ」なんて言っている連中もいますがね。いずれにせよ「アレを培養する事が出来る」のはアナタだけですから」


 そう言いながらアロハの男は持っていた小型金庫に暗証番号を打ち込み博士の前で開けた。その中には純金の地金じがねが光っていた。


「これは今の金相場で1.2億円の10キロの金塊です。これを10個ほどお持ちしました。これがワタシどもからの報酬となります。「アレを培養する為」の研究所とも言える施設は東南アジアの某国に極秘裏ごくひりで建設中で間もなく完成するでしょう。そして成果を挙げられたら更に数倍の報酬を用意します。この条件でイカガですか ?」


 博士は自分の手にじっとりとした汗を感じていた。

 しかし、自分だけが培養できる「アレ」の研究に没頭できる事に高揚感も感じていた。結果も考えずに自分の研究の成果のみを考える「科学と言うやまい」に、この男も憑りつかれていた。


「2つの質問をしても良いか ?」


 そう言う博士にアロハの男は満足気な笑みを見せる。


「OH!我々が見込んだ通り、この男はクレイジーだ! 質問をどうぞ。答えられる範囲内でしか答えられませんが」


 博士は男の「クレイジー」と言う言葉を褒め言葉として受け取っていた。


「1つめ。あんたらは何者だ ?」


「金融を中心とした世界的な巨大企業グループや資産家の複合体とでも言っておきましょうか。ちなみにアメリカ全体のとみの9割、世界全体の富の7割はワタシ達が握っている、等と言う説もあるようですが」


「・・・・ディープ・ステイトが更に複合化したか」


 博士の言葉にアロハの男は大げさに両手を上げる。


「陰謀論ですね。全ては陰謀論に過ぎません」


「では2つめ。あんたらの目的はなんだ ?」


 博士の質問にアロハの男は下を向いてマジメな顔つきになった。


「・・・・現在の世界の総人口はご存知ですよね」


「不確定要素も多いが、約80億人といったところだろうな」


 アロハの男は顔を上げて博士の顔を見る。


「それって地球と言う惑星のキャパを超えている、とは思いませんか」


「それは儂には判断しかねるな」


 アロハシャツの男はフッと笑うと切り出した。


「アナタには「あの細胞体を実用化」して頂いて「現在の総人口を1割以上削減」して頂く事を依頼します。誰かが人口調節をしなければならないのデス」


「なっ! そんな事は神か悪魔の領域りょういきだろう!」


 アロハシャツの男は、ほくそ笑む。


「ヒトは神や悪魔や宗教も造って来た。それなら現代に再び神や悪魔を造る事を躊躇ためらうべきでは無いのデスよ」







2時間後 休憩終了時刻



「・・・・ジィ、ジジィ! 起きろ、ジジィ!」


 博士は阿修羅の声で目を覚ました。

 4年前の夢を見ていたようだ。

 マイクを手にすると阿修羅の声に答えた。


「どうした ? 阿修羅」


「どうした、じゃねーよ! 突入してから「マイトレーヤ」の補助AIのハッキングをしてるんだけどな。1部には侵入できた」


 阿修羅は遊んでいる子供のように楽しそうだ。

 いや、実際に7歳の子供なのだが。


「ジジィがコイツを「マイトレーヤ・弥勒みろく」として登録したのは3ヶ月前の5月だけど、その日が旧暦きゅうれきの4月8日だって事は知ってたのか ?」


「いや、そこまでは考えて無かったな」



 阿修羅の声が大きくなる。



「あのなぁ、旧暦の4月8日は「灌仏会かんぶつえや花祭りの日」だぞ。つまりは釈迦しゃかが生まれたとされる日だ」



 博士は無言で聞いている。



「つまりな。アンタは「マイトレーヤ・弥勒」を造ろうとして「ブッダ・釈迦」を造っちまったんじゃねーのか ?!」







「・・・・OH・MY・GOD」










つづく





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