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シンガーは旅行が嫌いだった。それでも唯一最近行きたいと思った場所はロシアのウラジオストックだった。そこのIR施設にはカジノがあり、そのカジノでポーカーをやり「オール・イン」とか言ってみたかった。ただそれだけだった。多少、ダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンドの≪カジノ・ロワイヤル≫気分を味わえればそれで良かった。日常生活でも手軽にカジノ気分を味わえそうなブラックジャックのアプリをインストールしたりもしていた。ポーカーは実際に人間相手にベット金額の駆け引きがないと全く面白く無いので即時アンインストールした。ブラックジャックの場合は数学的に最適な〈基本戦略〉は常に存在するのでそれを使えば結構カジノでも勝てそうな気がするがきっとそんなことはないだろう。≪レインマン≫のダスティン・ホフマンみたいに〈カード・カウンティング〉でもしない限り確実に勝てるとは限らない。シンガーはその映画でダスティン・ホフマンのキャラクターの日常生活がきっちりとスケジュールが定められておりそこから逸脱すると発狂するのを見て逆にそれが普通だろと思った。シンガーもそうだった。だから、日常からの逸脱を余儀なくされる旅行が嫌いだった。コンビニの仕事も基本的には同じスケジュールの単純な繰り返しなのでシンガーの性格には適していたが、たまにいろいろなイベントで日常から逸脱するような機会に遭遇するとストレスであからさまに体調に異常を来したりした。たとえばクリスマスだった。異常に大量の冷凍フライドチキンと冷凍ローストチキン等を異常に短時間でフライヤー及び電子レンジで調理し無数のセット商品を客の予約で定められた時間にピッタリ合うタイミングで完成させないといけない。それは如何に数学的に最適な戦略を用いたとしても完全に不可能なのは明らかだった。なるべく早めにセッティングしてしばらく保温するための設備が必要だったが存在しなかったのでシンガーは当日の朝まで完全なパニック状態でストレスで体調を崩し気味だったが、出勤直前にどうすればいいか解決策を思いついた。シンガーは早めに作ったセット商品をホットドリンク什器で保温した。その程度のことは本部で考えて末端の兵士らに指示を出して欲しかったが、そのような航空支援的措置は何も無かった。実際の戦場でもそういう無能な指揮官の無謀な作戦で末端の兵士らが戦死するのだろう。ハロウィンとクリスマスが終わり年が明けると新たに交代した首相は二度目の緊急事態宣言を発令した。パンデミックなんかもう大丈夫なんだろうと思っていたら、感染力を向上させた上、ワクチンへの耐性も装備した高性能版変異ウィルス〈マークⅡ〉を自然は新たに開発し第二次対人類全面生物兵器戦争の真っ只中へ実戦投入した。人類は自然との知能的競争に勝てるのかどうかどうやら怪しくなってき始めた。地球規模での人的流動がそれほどでもなかった前回のパンデミック、スペイン風邪とは根本的に異なる戦法で反撃しなければならないのかもしれない。人類は新たに人的流動を抑制した社会構造へと移行せざるを得ないのかもしれない。具体的には近世以降一般的になった中央集権的大都市集中主義からより分散的な国家構造への変革が余儀なくされるといった想像を絶する改革でもしない限り自然が配備した非人道的大量破壊兵器による無差別テロ攻撃に対抗出来なくなるのかもしれない。シンガーはそんな気がした。そんなとんでもなく大変な時期にこの国よりよっぽど深刻な英国からの旅行者だと言う中年がシンガーの隣に座り、ハイネケンをオーダーした。シンガーはその中年にイングリッシュ・アクセントの英語で話し掛けられたので相手に名前を聞いた。シンガーはその名前を知っていた。
〈アルテミス〉の厨房の奥にある事務室ではタケザキ、ツチオカ、ナカムラと言ったいつものゴロツキ連中が集まりテーブルを囲んでポーカーに興じていた。コールやレイズとか言いながらカネとカードをあらゆる方向に移動させる作業に没頭していた一同のもとへバーテンのコウダが訪れる。
「兄貴」
「何」
「今、なんかスゲーセレブが来てんすよ」
「は? 誰?」
「良く分かんないですけど、イギリス人のクリスチャン・なんとかって人なんですけど」
「いや、だからその〈なんとか〉だと分かんないから」
「ひょっとして」ツチオカが口を挟んだ。「クリスチャン・ホーナーか?」
「そう、それです」
「知ってんのか?」
「はい。レッドブルF1チームのチーム代表です」
「セレブなのか?」
「まあ、自家用ジェット持ってますし、嫁が元アイドル歌手ですからね。一般的なセレブ基準は余裕で満たしていると言えるのではないでしょうか」
「嫁が元アイドルってことは、最低でもヒロミ以上のセレブってこと?」
「多分、ヒロミよりカネ持ってんじゃないですかね」
「そうか。じゃ、挨拶しない訳にはいかんだろ」
タケザキは腰を上げた。
実のところ、この国の政府は変異種の感染拡大阻止を目的として昨年12月24日から英国からの新規入国を当分の間拒否していたので、今ここに本物のクリスチャン・ホーナーがいるのはかつてスパイ映画みたいな海外逃亡を見事成功させたカルロス・ゴーンばりの違法行為を犯して密入国でもしない限り不可能だったが、シンガーはあいつらはそんなこと知る訳ないと踏みこの偽装作戦の決行に踏み切った。彼は偶然ホーナーとカウンターで隣同士に座り話が意外と弾みタケザキらにホーナーを紹介すると言った橋渡し的役割を担当する筋書きだった。タケザキらが厨房から姿を現すのを確認すると、シンガーは酒を飲みながら芝居を再開した。
「Mr. Horner. What’s your favorite Spice Girls song?」
「I’m still learning the words to most of them so I don’t have a favorite.」
〈learning the words〉? なんだこれ? まだ初心者で全然知らないってことを意味する慣用表現かな。まあ、何でもいいや。スパイスガールズなんて全く興味無いから曲名言われてもこっちとしても多分何も分からなかっただろうし。
「スパイスガールズがどうしたって?」タケザキが割り込んだ。
「この人の奥さんが元スパイスガールズの……えーっと忘れたけどその中の誰かなんだよ」
「へえ。こちら、相当なセレブって話だけど、紹介して貰えるか?」
「もちろん。アー、ミスター・ホーナー。こちらこのラウンジのオーナーのタケザキさんです。タケザキさん、こちらはあの有名な――」
「ジェリ・ハリウェルの旦那です」
タケザキとシンガーその他が儀礼的にクスクス笑うのを確認してからチーム・プリンシパルは笑顔で続けた。
「I’m Cristian Horner. Good to see you.」
「Good to see you, sir.」タケザキはシンガーに訊いた。「F1界隈の大物だとか?」
「ああ、強豪チームのボスみたいな感じだな」
「お会い出来て光栄です、ボス。どうです、こんなカウンターではなく奥のテーブルへどうぞ」
「これはご親切にどうも」
「いえいえ、まあ、どうぞこちらです。シャンペンでいいですか?」
「全く問題ないね」
「オイッ! もたもたしてねえでボトルとグラスだ」
「ハイ」
「お食事はどうしましょう、ボス」
「うーん、なんだろ、何があるの?」
「そうですね」シンガーが言った「チャーハンのクオリティが最近一層の進歩を遂げてますが」
「へえ。じゃ、それでいいや」
「じゃ、とりあえず乾杯と行きますか」
「カンパーイ」
「じゃ、シンガー。イギリスからお越しということで、例のあれ行っといた方がいいんじゃないか」
「あれね。ミスター・ホーナー、≪The Girl Is Mine≫のポール・マッカートニー・パートは歌えたりしますか?」
「いや、分かんないけど、勘で何とかなりそうだな」
「そっちかよ。スティングの意味だったのに」
「エッ、だったの? もっと特定的に言ってよ」
シンガーはリモコンでスティングを探した。
I don’t drink coffee. I take tea my dear
I like my toast done on one side
And you can hear it in my accent when I talk
I’m a English man in New York
片側だけ焼くトーストって逆にどうやって作るの? マーガリンはどっちに塗るの? EU離脱するくらいだから独特な連中なんだろうね。関係ないけど。そんなことを考えながら歌い切り、全く興味無いけど前ホステスに頼まれて歌えるようにしていたスパイスガールズの≪Wannabe≫もせっかくだから歌い、飲みまくり、チャーハンを掻き込み今宵のパーティーはその酣を迎えたあたりで、シンガーは酔っ払って訳分かんなくなった振りをしながら実際本当に訳分かんなくなる一歩手前で巧妙に偽装計画の糸口を開いた。
「ところで、ナカムラ。前のあのストリートレースあれの動画携帯に入ってんの?」
「あ、何?」
「いやだからあの前のレースの動画だよ」
「あ、ああ。あれね。あるよ、あれ」
「ああ、だったら。ほら折角今ここにF1界隈の大物がいらっしゃる訳だから見せてあげたらいいじゃん」
「お、おお。いいね、望むところだよ」ナカムラは携帯電話を上着の内ポケットから取り出した。「ただ、こんな小さい画面で見ても迫力がないだろ。Google Castであの大型テレビに無線接続してストリーミング再生するよ」
「さすがだな、ナカムラ」
「それほどでも」
パパッと準備してサッと始まるのかと思いきや、意外と設定等の準備に手間取り結構な時間が掛かるのが常である。機器の設定の為流れていた音楽が止まり、場内が突如として静寂に包まれる中、F1界隈の大物のみならず、そこら辺の仕事終わりの冴えないサラリーマン連中も何か面白い事が始まりそうな期待に胸を膨らませ、期せずしてその待機時間によって店は異様な熱気を放射し出す始末。そんなマイケル・ジャクソンのコンサートで中々マイケル・ジャクソンが登場しないのと同様の焦らし演出が偶発した結果すっかり観客が温まったタイミングで満を持してショータイムは幕を開けた――
シンガーは既にレース数日後ナカムラからドローン撮影映像を見せて貰っていたが、今回見た物はそれとは完全に別物だった。まず制作体制について言えば、シンガーはナカムラ一人でやりくりしてんだろなと漠然と考えていたが、実際には組織的なプロジェクトへと進展していた。具体的にはナカムラ以外にも複数のドローン・パイロットが複数のドローンで撮影し、それに加え複数の手下がコース各所に配置されそこでビデオ撮影が行われ、イメージとしてはカーゲームのリプレイ映像に迫るクオリティーが追求されていた。導入部の編集としてはクルマ系動画でお馴染みな感じのクルマのエンジン始動音で作品が幕を開ける手法を踏襲し、それに続いて制作関係者のクレジット、タイトルといったオープニングタイトル・シークエンスがシンセサウンドをベースにしたハンス・ジマー風の物々しい音楽をバックに流しながら映し出され、タイトルバック映像ではレース前の準備状況や、スタンバイするドライバー、期待に胸を膨らませる観客みたいな素材がスローモーション等の技法を織り交ぜてビデオクリップ風にかっこよく編集される作り込みようだった。まるでトム・クルーズ主演≪デイズ・オブ・サンダー≫を彷彿とされるトニー・スコットばりの映像演出で総合監督のナカムラは〈アルテミス〉に集まった酔っ払い連中の心をガッチリと掴み取り、その様子を肌で感じ取ったナカムラは密かに感無量と言った風情で確かな達成感を味わっていたのだった。
「まるでマイケル・ベイだな」
シンガーの感想にクリスチャン・ホーナーが続いた。
「ネットフリックスに就職出来そうだな。≪フォーミュラ1 栄光のグランプリ≫制作関係者に推薦してやろうか?」
「折角ですが、結構です」
「Uh-huh.」
「こいつこう見えて案外悪党でね、堅気の稼業には向かないんすよ。ミスター・ホーナー」タケザキがフォローした。
「Mm-hmm. ところであのP1。ありゃなかなかのレア物だね」
「ええ、まあ」
「あれって、今、どうなってんの?」
「ああ、あれは、俺がレースの後獲得として所有してますけど」
「へえ、そうなの。君のなの」
「はい」
「この素晴らしい動画のおかげですっかり惚れ込んでしまったな。あれ、売って貰えないかな」
「ええ、そりゃあ、まあ。ただ、条件次第にはなりますけどね」
「まあ、そりゃ、そうだろう。どうだろ、条件等はまた日を改めてってことで。とりあえずは、連絡先だけ交換させて貰ってもいいかな?」
「もちろんです」
「それと、こんなご時世ですし」ナカムラが補足した。「なんならWeb会議もセッティングしましょうか?」
例によってICTツールを活用してナカムラがセッティングしたWeb会議による事前交渉を経てマクラーレンP1売買契約に関する第一回本格交渉の日時及び開催地が決定した。新型ウィルスの付随物として普及したテレワークによって通勤に伴うCO2排出が抑制され、グレタと未来の人類は多少は喜んでいるだろう。中世のペストにおいては現代のパンデミックにおけるテレワークの対照物として激減した人口の代替物としての産業革命が誘発された。それが何であるにしろ何らかの損害に対する何らかのテクノロジーの開発によって人類は進化した。しばらくはどんな困難でさえ人類は持ちこたえるだろう、多大な犠牲を代償として。都会では自治体の時短営業命令が憲法違反であるとした外食チェーンによる法定闘争も勃発していたが、ここは都会ではなかったので勃発しなかった。飲食店はかなりの防疫対策を講じた上で通常に近い形で営業していたので、事前交渉に続く本格交渉はレストランに関係者本人らが直接出席する方式がホーナー側から提示され双方が了承した。
「レストラン、どこがいいですかね?」
Web会議の席上でナカムラが発した質問にタケザキが反応した。
「さっきワイドショーの≪ひるおび!≫で見たんだけどさ、ブッシュと小泉が飯食ったあそこがいいんじゃないかな」
「ああ、あの≪キル・ビル≫っぽいとこっすよね」
「え、何それ?」≪ひるおび!≫なんか見る訳ないクリスチャン・ホーナーが訊いた。
「最近なんですけど」ナカムラが解説した。「どっかの外食チェーンの社長が自治体の時短営業命令が日本国憲法違反だとして裁判起こしたんすよ。そしたら、報道系バラエティ番組が面白がってその誰も知らない社長の誰も知らなかった会社を紹介して瞬く間に巷に知れ渡ったんすけど、その誰も知らなかった社長がやってるレストランで昔、小泉首相とブッシュ大統領が接待で飯食った誰も覚えてない映像が再度脚光を浴びてタケザキさんが面白がってるみたいな話です」
「ありがとう、ミスター・ナカムラ。事情はよく分かったが、それ、きっと東京にあるんだよね」
「ええ」
「だとさ、やっぱ、感染リスクがさ」
「大丈夫ですよ、その社長によれば」
「ホント?」
「まあ、単なる一般人の個人的見解に過ぎないことは事実であるとしか私に言えることはありませんがね」
「実はね、レストランについては私の方でも多少リサーチして近場で良さげねとこにあたりを付けていたんだよ」
「だったんすか、それ先に言って下さいよ」
「悪い悪い」
「どこですか、それ?」
クリスチャン・ホーナーがリサーチした近場で良さげなレストランは全てが偽装だった。そのような偽装店舗を使った策略は映画ではよく見る気がする。映画だと、スタジオにセット作ったりとか、ロケハンして経営者から撮影許可を得たりなんかしてそういう場所を調達するのだろうが、そういった場合偽装する側にしろ、ターゲット側にしろ役者が演じているので実際にそのような偽装計画が実行されている訳ではない。そんな感じに見えればいいだけなので、案外本事案の参考にはならない。あるいは法執行機関等が犯罪組織を標的として何らかのイベントをホテルの宴会場なんかで実行し犯罪組織構成員を集結させて一網打尽にするような場面も映画でよく見るような気がするが、それも実行側が権力体制側なので強権行使でホテル側に協力を強制出来たりもする。ただ今回の場合は実行側が犯罪組織ということでそういった偽装店舗を準備する場合、法執行機関的強権もなくやりくりしなければならないのは結構厄介という問題が計画段階で発覚した。単純にそういうレストランを一から自前で用意するのは内装費用等から考えてコストが想定される収入に見合わないのは当然なので、どうしても善意の協力者が必要となる。偽装計画を実行するその日だけ飲食店をその設備全般も含めて貸してくれるような協力者だ。
この感染増加下において儲かってない経営者を探すのは簡単だった。〈マークⅡ〉ないしは変異種の猛威による経営難に悩んでいたコバヤシがその申し出を聞いた時、それを断る理由は皆無だった。やれ時短だ、なんだとどうのこうの騒ぐ自治体に加え、自粛警察による営業妨害行為に苦しんでいた彼にとって当座の運営資金を獲得出来るのは恵みの雨以外の何物でもなかったことは言うまでも無い。時短営業や休業を強制する強権行使に見合う補償がありさえすれば文句は無いが、そんなものはなくただ単に公共福祉を盾にした防疫対策の生贄にされた挙句、エジプト古代文明下におけるピラミッド建造の対照物と言って過言ではないオリンピック開催によって大衆に多大なる負担を強いてほんの一部の特権階級の権益の確保を目論む政権方針はいかに合法であるとはいえ決して倫理的であるとは言い難い。空爆も虐殺もテロも新型コロナウィルスもなければスポーツは素晴らしい気晴らしになり得るが、この切羽詰まったワクチン接種遅延状況下においては気晴らしどころか感染拡大による感染爆発の起爆剤でしかない。コバヤシは特にスポーツに恨みは無かったがほとんど何の興味もなかった。憲法で保障されるはずの健康で文化的生活を享受した上で初めてそういう気晴らしを国民は楽しめるはず、そうコバヤシは思った。
スポーツに興味の無い者が休日に嗜む趣味と言えば、それは当然ゴルフでもテニスでも水泳でもジョギングでもエアロビクスでもフットサルでも……なく、サバゲーだった。ゴルフクラブに比べればエアガンなんか安い物と思うかもしれないが、ああいったメカニカルデバイスは構造が複雑で部品数が多い分すぐ壊れるのでハマると無数に購入し続けなければならず、意外とカネが掛かった。感染増加下で客が来ないのにも関わらずお気に入りのカービン、コルトM733コマンドが壊れた。カネはあんま無かったコバヤシだったが、733が無く休日にBB弾を撃ちまくれないとしたら、当然そんな人生に生きる価値など無かったので即座にAmazonで代替品を購入したと言う。コルトM733コマンド及びそれが類する総じてコルト・コマンドーと呼ばれる各種自動小銃群と言えば、分りにくく説明すれば、≪ソナチネ≫でたけしが停電させたホテルで撃ちまくっていた小銃であり、もっと分かりやすく言えば≪ヒート≫でデニーロが銀行強盗に持って行った銃でもあるが、コバヤシにとっては≪ブラックホーク・ダウン≫でデルタフォースのウォージャンキーを演じたエリック・バナが食事中にセイフティーをオフのまま持っていて上官に注意される銃以外の何物でもなかった。
とある休日の昼下がりそのソマリア内戦を舞台としたリドリー・スコット監督作品をレンタルで鑑賞しえらく気に入ったコバヤシは何とかしてデルタフォースのエリート兵士気分を味わいたいという欲望に抗えず何かのゲームを買ったが二回やっただけで飽きて二度とやらなかったという苦い体験の後、あの名作に出会うこととなる。それはPS4版≪ゴーストリコン ワイルドランズ≫だった。プレイヤーはCIA直属の特殊作戦班のリーダーとなりボリビア奥地に潜入しそこで秘密裡に暗躍するメキシコ麻薬カルテルの構成員を殺しまくる。これはゲーム側から課せられるストーリーやミッションに縛られることなく好きな時に好きなとこに行って好きな敵を殺しまくれるという自由奔放なオープンワールドシューターで素晴らしく爽快な気分になれた。殺しに疲れたら、パーティーで踊ったりプールで泳いだり雄大な自然景観を眺めたりなんかも出来た。しかし、そんな幸せな時期もいつしか過ぎ去りコバヤシはある種の虚無感を抱くようになる。いくらゲームの中で殺したり踊ったり泳いだり眺めたりしたと言っても、実際ににやっていることはテレビ画面の前でコントローラーを持って指を動かしているに過ぎない。彼はそんな侘しい現実に直面し、もっと全身を動かして現実の物質世界の中で冒険し敵を殺し躍動したい、そう思い始めた。そんな矢先、彼は自身が経営するレストランで、来店した客との雑談でサバゲーについての話を聞いた。「これだ!」 そう彼は直感しその客の紹介でとあるサバゲー・イベントに参加する運びとなった。
コバヤシはAmazonでパパっと買い揃えた銃器及びその他装備品を自分の白いアルファードの荷室に積み込み指定されたリゾートホテルの廃墟の駐車場へと向かった。到着後、しばらく加熱式煙草をくゆらせ佇んでいるとちらほらと他の参加者が集結し、束の間の談笑タイムに突入する。いい天気で良かったですね。そうですね。レストランを経営されているんですか。ええ、まあ。何かお勧めのメニューなんかあるんですか。最近、ちょっと新しいデザートを始めたんですけどね、結構評判いいんですよ。へえ、そうですか。おや? あれは、リーダーが到着したようですな。コバヤシは彼の話し相手と同じ方向を見ると轟音を轟かせる何らかの黒いFRセダンが後輪で砂ぼこりを巻き上げながら駐車場に乗り入れた。コバヤシには車種は判別出来なかったが、それはダッジ・チャージャー・ヘルキャットだった。咥え煙草でヘルキャットから降りたドライバーは周囲に集まった信奉者への挨拶を済ませた後も煙草を吸い続けながら実行予定イベントのブリーフィングを始めた。彼はあからさまにカリスマ的なオーラを周囲に放ち、憧憬の眼差しを一身に浴びていた。ブリーフィングが終ると新参者の礼儀としてコバヤシはそのリーダー的人物へと挨拶に赴いた。
「今日からお世話になるコバヤシと申します。よろしくお願いします」
「うん。初めて?」
「はい。まだ、この銃も買ったばかりで撃ったこともないんです」
「ふうん、ちょっと貸してみな」
「はい」
「東京マルイ。M733か。あんま、今風じゃないね」
「≪ブラックホーク・ダウン≫が好きなもんで」
「なるほどね。じゃ、簡単に使い方とか教えてやるよ」
「ありがとうございますッッッ!」
その瞬間から、コバヤシとロマン・イブラギモフの深い親交が始まった。何度もイベントに参加しロマンや他の参加者と話すうちに、ロマンが元ロシア軍の関係者で、その上スペツナズのエリート兵士で第二次チェチェン戦争にも従軍したという話を小耳に挟んだりなんかして一層彼への憧憬の念が高まりつつあったある日、彼から折り入って話があると言われた。それもここではなくプライバシーが保護される別の場所で話したいというロマンの希望だったので、コバヤシは彼が経営するイタリアン・レストラン〈ビアンカネーヴェ〉へ閉店後の時間にロマンを招待した。赤ワインとカルパッチョみたいなちょっとした軽食を用意して待っていると、ロマンが店に現れ話を切り出した。
「実はね、コバヤシさん。備品とか含めてこの店全体を一日貸して欲しいんだよ」
「それは、あれですか、結婚式の二次会とかの話ですか?」
「いや、そういう感じじゃなくてさ。この店を施設として貸して欲しいっていうかさ、従業員とか料理は一切必要じゃなくてって意味なんだけど」
「場所と設備だけ貸して後はそちらの好きに使いたいみたいな?」
「そうそう。そういう感じ。で、どうかな?」
「まあ、それは別にいいっちゃいいですけど。出来ればどういう目的なのか教えて頂ければ」
「うん、まあ、それがさ、あんま詳しくは言えないんだけど。実はロシアの国家機密に関する案件で政府間関係者からの依頼があってさ。それについての詳しい事を話しちゃうと、そっちにも不都合があるかもってことなんだけど。その代わり報酬は相当額を補償しようっていう意向なんだよ、先方としては」
「……なるほどね。そういうことですか。分かりました。協力、させて頂きましょう」
「ホント?」
「イブラギモフさんの頼みですから断る訳には」
「恩に着るよ。コバヤシさん」
「いえいえ、それとデザートも用意してあるんで食べて行って下さいよ」
「それはどうも」
「少々、お待ちください」
コバヤシは席を立ち厨房からデザートを持って来た。
「どうぞ、お召し上がり下さい。この店人気の一品、カノーリです」
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