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シンガーがパイを味わいながらパカーンに語ったプランは、その三日前にファミレスでペパロニ・ピザと春巻きを胃袋に詰め込みながらナスターシャとP1強奪指令について語り合ったときに想定していたプランとは全くの別物だった。ファミレスからZ33型日産フェアレディZで家に送ってもらったシンガーはその後帰宅就寝し、八時間後起床、≪ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル≫を見ながら緑茶、インスタント味噌汁を飲み、YouTubeで≪NBCナイトリー・ニュース≫を見ながらヨーグルトドリンク、ブラックコーヒーを飲み、ヴィックス・メディケイテッド・ドロップを舐めながらハロウィン・パーティー用に≪ビリー・ジーン≫をフルコーラス歌詞全暗記で歌う練習をしてからスタンダールを読んだ後、数週間前にアマゾンで購入したPS4版≪F1 2020北米版≫を起動しフランスGPのプラクティスでマクラーレンのマシン、MCL35でラップを重ねながら、最適な空力パッケージを五種類の中から模索し、路面状況に合わせてブレーキ・プレッシャーを減らす作業に勤しんだ。ポール・リカール・サーキットでは最もダウンフォースが低く最高速が最も高いパッケージが最適なのを確認してからゲームを終了し、昨晩ナスターシャと語った強奪指令に関する自身のプランについての精密な脳内シミュレーションを試行開始した。
まずは、そうだな。ピエールをタケザキに会わせたい。どこで? スターバックス。だとするといつタケザキがスターバックスにいるのかピエールはどうやって知るの? 知る訳がない。知らなければいつタケザキがスターバックスにいるのか分からない。分からなければピエールはスターバックスでタケザキに会おうとは思わないだろうから、これはボツにしよう。ピエールがタケザキに会いたいのは、タケザキと話したいからで、だとすると必ずしも直に会わなくても話せる。電話で。ピエールは既にタケザキの携帯番号を知ってるって設定にしようかな。ピエールはどこでどういうきっかけでタケザキの電話番号を知ったのか? 以前の違法ストリートレース・イベントの関連で連絡先を交換していたって設定は無理がないっぽいな。じゃあ、そういうことだったってことにしてタケザキの携帯にピエールが電話を掛けて来たってとこから始めてみっか。
「もしもし」
「いつもお世話になってます。私、先日の違法ストリートレース・イベントでお世話になったピエール・マルコフと申しますが、こちらタケザキさんの携帯電話でよろしかったでしょうか」
「はい」
「それでですね、是非一度会ってお話したいことがありまして、これから会えないかなって思ったんですが」
「え、何で?」
「そうですね。なにぶん大金が絡んだ取引についてのお話でして、詳しくは会ってからってことで」
「は? ま、いいけど。どこで会う?」
「スターバックスはどうですか?」
「いいよ」
「ありがとうございます」
ピエールから電話が掛かって来た時、タケザキは〈アルテミス〉のVIPルームでツチオカ、ナカムラ、それと数人のホステスを侍らせウィスキーの水割りを飲んでいた真っ最中だった。タケザキは電話を切ると二人の舎弟に話し掛けた。
「おい、お前ら」
「はい」
「はい」
「今、ピエールから電話が来てよ。明日、スターバックスで会いたいって言ってたから、お前らも一緒に来いよ」
「はい」ツチオカが質問した。「で、どんな用なんすか?」
「何でも大金が絡んだ取引だとか言ってたな」
「ふうん、そうでしたか」
「どうせあの間抜けの考える事だからしょうもない事だろうけどな」
「ですよね」
「ねえねえ」ホステスが会話に割り込んだ。「誰? その間抜けって」
「あ? ああ、前にこいつとレースして負けてな俺たちにクルマ取られちまったバカがいたんだよ」
「クルマ取っちゃったの? もう、悪―い」
「なんも悪くないよ俺たちは。レギュレーション、トラック・リミット厳守のスポーツマンシップに則った上での没収だからな。だよな、ツチオカ」
「です」
「どうなんだか」
「何だよ、お前、まだ疑ってんの? この俺のどこがそんなワルに見えるんだよ。このまま市長に立候補しても圧倒的大差で当選するレベルの清廉潔白さだろ」
「けど」ナカムラが話をちょっと広げた。「その後ワイロたかってパクられるってオチっすよね」
「バカヤロー」
「やっぱ、悪いんじゃん」
「バレた?」
笑顔溢れる会話に花を咲かせた一同だったがあっと言う間に感染対策で早まった閉店時間が訪れる。その翌日、タケザキはナカムラの運転するアルファロメオ・ジュリアの後部座席にツチオカと共に座り、スターバックスへと向かった。一同が入店するとピエールは既に奥のテーブル席で待っていた。タケザキとツチオカは先に奥に向かい、ナカムラは三人分のコーヒーを注文する為にカウンターに向かった。突発的にピエールとの会合が決まり、運転手を命じられたナカムラはいささか不満だった。運転なんか下っ端の仕事じゃないか。何か軽んじられた気分だな。それにこんなに新型ウイルスが蔓延している状況でスターバックスに集まるってのも愚か過ぎやしないか。パソコンのICTツールを使ってWeb会議したら済む話じゃないの。なんかやってらんないなこんな原始的な発想しか出来ない昔の人達の下で働くってのも。今日は一日中ゲームやろうと思ってたのにな、こっちも多忙で立て込んでんだよね、ったく。寝不足で不機嫌なハード・ゲーマーが三人分のコーヒーをテーブルに運んで来るとタケザキがピエールに話し掛けた。
「どうなの最近調子は?」
「え、いいよ」
「へえ。何か彼女に逃げられたって噂が広まってっけど」
「逃げられてないよ。こっちが飽きて捨て去ったってだけさ」
「ふうん。まあ、どうでもいいけどよ。で、何なの取引って?」
「僕の父親があのマクラーレンを一億円で買い戻したいって言ってるんだ」
「なるほど。お前さんの父親ならいくらでもカネがあるし、息子の為に一肌脱がない訳でもないという気持ちが芽生えたみたいなところか?」
「まあ、大体そんな感じだ」
「だが、あれは希少価値の高い限定車だしな。こっちとしては最低二億は出して貰わないとな」
「あんたが一流のカーディーラーなら、その値段で売りさばく様も目に浮かぶだろうが、実際はそうじゃないだろ」
「言うねえ」
「パカーンは一億二千万までなら出すが、それ以上ならこの話は無しだと決めている」
タケザキはわずかに頭をかしげてからコーヒーを少しすすった。
「まあ、いいだろ、それで」
ロシア人は手を差し出した。
「取引成立だな」
「その手は引っ込めな。感染するかもしれん」
だったら、そもそもWeb会議にしとけよ。帰りのジュリアの中でナカムラはステアリングを握りながら先ほどの会談を思い起こした。あれはどう考えても胡散臭いな。きっと罠だろ。そう思った彼はそれを口に出した。
「兄貴、ありゃあきっと罠っすね」
「だとすると、どんな感じの?」
タケザキの質問にツチオカが反応した。
「コリン・ファレル版≪マイアミ・バイス≫を参考にすれば現場周辺の高所にスナイパーを配置して一斉射撃を仕掛けて来るとか」
「いや」ナカムラは否定した。「それだと、折角のマクラーレンに流れ弾が当たって価値が低下するリスクが発生します。別の方法を取るはずです」
「もっともな類推だな」タケザキは同意した。
「私だったら」ナカムラは代替案を提示した。「≪ノーカントリー≫方式を採用します。カネの入ったスーツケースかなんかに発信機を仕掛けて取引の後でそれを頼りに尾行し、機会をうかがってカネを奪還します」
「それなら」ツチオカは付け足した。「カネを受け取ったら直ぐに別の鞄に移し換えてから運搬すれば襲撃は回避出来る」
「もっといい方法があります」
「ほう」タケザキは興味を示した。「なら聞かせてもらおうか、そのいい方法を」
ナカムラはまずは取引のロケーションをどこにするか考えた。スターバックスの駐車場。いや、雰囲気的に違う。もっとこう犯罪映画風の趣のある場所じゃないとダメだな。言うなればこうノワールっぽい感じな。だとすれば――
一週間後、ナカムラがセットアップしたPCとICTツールを駆使したWeb会議による双方の打ち合わせを経て、取引現場は埠頭のとあるノワールっぽい一角に決定した。もっと具体的に言うと造船所敷地内の広場にした。付近には液化天然ガスの保存と供給を業務とするLNGターミナルと呼ばれる施設があった。立ち並ぶ巨大なタンク群、岸壁のタンカー、煙突から噴き出すフレアスタックと呼ばれる火炎、それらを照らし出す夜間照明等、背景画像の設定についても申し分無かった。コウダの運転するアルファロメオ・ジュリアの後席にタケザキと並んで座っていたナカムラは現場に向かう道でLNGターミナルの威容を眺めながらフィルム・ノワールの登場人物気分に浸っていた。ツチオカの運転するマクラーレンはジュリアの後を追走し、更にそれを護衛するアルファードが最後尾を走る。車列が現場の駐車場に到着すると既にマフィア側の面々が待ち構えていた。相手側も合意された規約に従い使用車両は二台、メルセデスのSクラスとヘルキャットだった。敵を目の当たりしたナカムラは密かに思った。主人公側にしろ悪役側にしろ映画の登場人物は敵の策略に簡単に騙され過ぎる。こっちだっで特殊詐欺のカモじゃないんだからそう易々と出し抜かれる訳無いじゃないの、ったく。ナカムラの当初のプランではIEDが重要な役割を果たすはずだった。IEDとはImprovised Explosive Deviceの略称で日本語では一般に簡易爆弾と訳される。それはテロを生業とするリソースに乏しい過激派組織が身近な部品を寄せ集めて作った爆弾の総称で主に≪ハート・ロッカー≫でジェレミー・レナ―が起爆装置を解除しまくって構成部品を戦利品としてコレクションしてたのでお馴染みだが、他では≪ダークナイト≫でジョーカーが人体内に埋め込んだりもしていたし、≪マイアミ・バイス≫でも出て来るし、要するにいろんなアクション映画でたくさん出て来る。当然、マフィアは何らかの発信機をカネの入った鞄に仕掛けて後で奪還を試みるはずだとの類推は前述の通りだが、その鞄からカネだけを別の鞄に取引終了後直ぐに移して、元の鞄には発信機とダミーの紙束、そしてそのIEDを入れた上で更にこちら側で独自に調達した発信機を仕掛ける。そうすれば携帯電話のアプリでリアルタイムでIED入りの鞄の現在位置を追跡可能になる。マフィアはその鞄をボスの家かどっかの拠点に持ち込むだろうから、そんな感じの場所に持ち込んだのをアプリで確認したらIEDの起爆装置として組み込んだ携帯電話の番号に電話を掛けて爆発させ周囲のマフィア構成員を全員殺す。大体そんな感じのプランを拵えたナカムラは早速IEDの作り方をネットでパパっと調べて必要な部品をAmazonで注文し始めた。その作業をしている最中、ナカムラの頭にプランの様々な欠陥と不安点が浮上し始めたのは言うまでもない。まずそのIED入りの鞄をマフィアが奪還しようとする際、それを運搬しているこちら側の人員に損害が出るリスクを完全に解消するのは不可能だ。それに奪還時即座に鞄の中身をマフィア側に確認されたら簡単に偽物及び何らかの恐るべき罠だと感づかれてしまう。このプランは実際に実行するには致命的な欠陥があったし、作戦継続時間も長く、いちいちIEDを手作りする手間暇を考えると作業効率も悪い。よっぽど運が良くないと成功しない上、結構面倒なことが判明し愕然としたナカムラは即座にAmazonでのショッピングは中止した。何かこうもっとシンプルでいいんじゃないかな? そんな感じの発想の転換からナカムラは実際に遂行したプランを発案した。
「だと、それはどんなプランなんだ?」
〈ゴールド・ライト〉でパカーンはシンガーに尋ねた。
「よく考えて見てください。こちら側はマクラーレンを無傷で回収したいから銃撃戦には持ち込みたくはありませんけど、あっちはとにかく最低カネが手に入れば利益は確保出来ますよね」
「まあ」
「だとすると、最悪マクラーレンに弾が当たっても別にいいって訳なんで取引現場の高所にスナイパーを配置してこちら側の人員を銃撃して全数を無力化しカネを確保、その上マクラーレンも持って帰れたらまあ、棚からぼた餅的なことで、銃撃戦でダメになっても全然OKみたいに考えるはずなんで、そんなようなナカムラのプランを聞いたタケザキはその通りに襲撃を実行。結果、我々は完全敗北します。なんで、このプランはボツにして、別なのを考えたって訳です」
「ふうん。つまり、ここまでは前置きだったってことか?」
「はい」
「ここからが本題なんだな?」
「そうです」
「分かった。続けてくれ」
「さて、そこでまた話は最初に戻ります。信憑性と効率。後者の効率に関してはここでは人的および物質的損害の回避が具体的な目標に設定されます。その目標を達成する為に最も不可欠な物が信憑性です。信憑性については先人による様々な示唆が残されています。例えばヒットラー。大衆は小さな嘘より大きな嘘の犠牲になる。あるいはヘミングウェイ。大きな嘘は真実よりもっともらしい。私のお気に入りはスピルバーグです。面白ければ観客は何でも信じる。これは確か≪ジョーズ≫の結末をどうするかの議論の際に言った言葉です。それらを参考にすれば敵を騙すには大きく面白い嘘が最も効果的なはずです。この理念を基盤に私は新しいプランを構築しました。キーワードは有名人です。実際に様々な詐欺グループに有名人は利用されまくったという実績も豊富ですので、これを利用しない手はありません。しかしながらここで例えば役者や歌手、まあ、レオナルド・ディカプリオとかテイラー・スイフトみたいなのを使ってしまうとですね。もし敵側の誰かが≪オーシャンズ12≫を見ていた場合、若干疑われる可能性があります。なぜならその映画で名前を忘れましたが有名女優が演じるキャラクターがその本人に変装するっていう設定を使っていたからです」
「ジュリア・ロバーツだろ」側近が教えてくれた。
「そうそれ。まあ、そんな訳で有名は有名でもちょっと意表を突いた分野を物色しようと思った訳なんですよ。それでいてハイパーカーの購入に興味を抱きそうでいて死ぬ程カネ持ってて、更に特定的にそのマクラーレンP1が特別に欲しいと思いそうな人物という条件で検討を続けました。そこで私が目を付けたのはF1です。ここで一旦ドライバーは除外したいと思います。ドライバーの場合はですね、フェラーリだったらフェラーリの何かを会社がドライバーにくれてやってドライバーはそれを毎日運転してスーパーに買い物に行ったりなんかしてその様子をネットフリックスの≪F1 栄光のグランプリ≫の私生活描写なんかで使われることによってそのクルマを宣伝する役割が多少義務的にある訳なんですよ。だからまあ、好き勝手に欲しいクルマを買って運転するってのがそういう裏事情にそぐわないんじゃないかなと思った次第です。後、トップチームの人気ドライバーだと有名過ぎて目立ち過ぎて都合が悪いんじゃないか的にも思う訳です。作戦遂行中に熱狂的なF1ファンにサインを頼まれたりしたら厄介じゃないですか。だからといってちょっとランクが下がるあんま有名じゃないドライバーだと死ぬ程カネ持ってそうでもないじゃないですか。実際、ランス・ストロールやセルジオ・ペレスみたいにそんなに上位ではないけど親が金持ちだったり、太いパトロンが付いてて死ぬ程カネあるパターンも詳しい人は知ってますけど、真実かどうかよりも、真実らしいかどうかって観点から考えると、らしさに欠けるかなって思います。で、結果、適度に有名で明らかに死ぬ程カネ持ってそうなF1関係者に最適だと思えるのはF1チームのチーム代表じゃないかなと思った訳です。だと次は当然どこのチームにするって話になりますよね。よく聞く話なんすけど、自動車メーカーとか、販売ディーラーなんかに就職すると、そのメーカーのクルマを強制的に買わされるんです。明らかに何かの法律に違反してそうなんですけど。独占禁止法とかかな? よく分かんないけど、そういう泥まみれの現実に直面しつつも生き残っていかないといけない訳じゃないですか、あんま関係ないけど。そういう実情を考慮するとメルセデス、フェラーリ、ルノー。ここら辺のワークスチームはですよ、そのチームの代表が競争相手であるマクラーレンのクルマをわざわざ買うってのは世間体的にどうかなって話になりますよね。CEOみたいな奴に呼び出されて叱られそうじゃないですか。ねえ」
「まあな」
「でしょ。だったらマクラーレンはどうなんだって話ですけど。あそこのザック・ブラウンだったら、見た目からしていろんなコネがありそうな風体してんすよ。それに勤めてる会社がマクラーレンなのにわざわざ知らない人からP1買いそうな感じしないじゃないですか」
「らしさに欠けるね」
「そう。じゃあ、後はどこが残ってんのって話なんすけど。どこだと思います?」
その質問には側近が答えた。
「レッドブル」
「正解。あんたいい勘してんじゃん」
「まあな」
「レッドブルはじゃあ、マクラーレン買っていいのかどうかっていったら、これは別に良さげなんすよ。一番関係が深い市販車メーカーはパワーユニットを供給してるホンダだけど、ほっぽらかして撤退しちゃうから知ったこっちゃないですよね。あとアストン・マーティンとも提携してんすけど、あそこは緩い協力者的ポジションなんであんま気使わなくても良さげに見えるんです。実際どうかは知りませんが。ここで繰り返しますが、真実かどうかよりも、真実らしいかどうかが問題ですから。で後、ネットフリックスとかインスタ見るとあそこのクリスチャン・ホーナーがまた自家用ジェット機とか持ってて、元スパイスガールズの女と結婚して、明らかに死ぬ程カネ持ってる上、嫁の好みとかからも結構派手なクルマ好きそうじゃないですか。実際どうかは知りませんけど」
「全くどんな奴かは知らんが、そのクリスチャンなんとかって奴で良さそうに聞こえるな。けどさ、どうすんの? そいつの家どこにあるのか知らないけど、そこ行ってちょっと協力して貰えませんかって頼む訳にもいかんだろ」
「クリスチャンなんとか本人はそりゃ協力しないですよ。シーズン中で忙しいし。暇だったらひょっとしたら面白がって協力するかもしれませんが、ドッキリ番組だとか言ってまるめこめば」
「となるとあれだよね。誰かが成り済ます的なこと?」
「はい」
「一体、誰がやるの?」側近が質問した。
シンガーは側近を見て、じっくり観察した。
「失礼ですが、あなたお名前は?」
「え、ロマン・イブラギモフと申しますが」
「よろしくお願いします。シンガーです」
「よろしく」
「あなた、ちょっと増量すればかなり似てるんじゃないですかな」
「いやいや」パカーンが異議を挟んだ。「かなり似てるじゃ不十分だろ」
「もちろん。完全に同一でなければなりません。相手もインスタとかで確認するはずなんで」
「もしかして≪ミッション:インポッシブル≫みたいなマスクを作るって話?」
「そうです」
「そんなのどうやって作るの?」
「任せてください」
「任せるって、作れるの?」
「いやまあ、まだハッキリとは断言出来ませんが作れそうな感じの人は知ってますね」
「へえ、誰?」
「ある陽気なアメリカ人とだけ言っておきましょう」
〈アルテミス〉で検温と手指の消毒を済ませたシンガーはジントニックを飲みながらリモコンでジャスティン・ティンバーレイクを検索した。電子検温器による検温なんてこれまでは目にすることが無かったが、もはやすっかりお馴染みになった。こういう時にたまたま疫病に感染しててたまたま高熱だったりすると、SF映画だと何らかの秘密警察っぽいとこに通報されサブマシンガンで武装したSWATっぽい連中によって何らかの強制収容所みたいなとこに投獄されるのが一般的だが、現実ではそこまでドラマティックな展開にはならないまでも何らかの騒動には発展するかもしれない。そんな感じのいい加減な空想を膨らませながら検索を済ませ、≪Mirrors≫を送信した。それは八分越えの長い曲だったが、まさかフルコーラスでは収録されてはいないだろ。≪パープル・レイン≫も後半省略されてたしと思っていたら、まさかのフルコーラスだった。一応フルコーラスで練習もしていたが、完成度はかなり未熟だったので後半はクオリティー的にかなり不満の残る結果となって、他にも客がいたら結構な敗北感を味わっていたであろうがまだ時間が早い上疫学的事情も加わり、客はシンガーたった一人だったのでそれほどでもなかったと言う。テイラー・スイフトとかホステスが好きそうなのを歌ったり全く注文した覚えのない勝手に出て来たテリヤキ風味のピザを食ったり、最近猛練習していたマイケル・ジャクソンの得意ムーヴ、サイドグライドを披露してホステスにちやほやされながらジントニックを飲みまくっていると、厨房の方から聞き覚えのあるしゃがれた笑い声が聞こえてきた。タケザキを始めとするゴロツキ連中と共に現れた六十近い陽気なアメリカ人は一流の名を欲しいままにする武器商人、ビリー・シェイカーだった。もっぱら裏の事務所でタケザキに新しいサブマシンガンでも売りつけていたことだろう。一同は奥のテーブル席に座りワイワイ騒いでいたが、しばらくするとビリーはカウンターのシンガーに気づいた。
「よお、シンガーじゃないか。ちょっとこっち来いよ」
彼はそのように呼び掛け、西洋式の手招きをした。シンガーは騒がしいテーブルに向かうとビリーの隣に座った。
「Long time no see. How you been?」
「Fantastic.」
「そいつは良かった。どうだチャーハンでも食うか?」
「いいね」
「卵は確か先入れ派、だったよな」
シャンパンを飲みまくりながら熱々のチャーハンをうまそうに頬張る太り気味なアメリカ人にシンガーは本題を切り出した。
「ところでビリー。ちょっとお願いがあるんだけどさ」
「え、今度は何?」
「近々、ハロウィンだろ」
「ああ。けど、世間の自粛警察の目が光ってるんじゃないか?」
「そんなもんカンケーねえよ」
「でも感染には注意しないとな」
「うるせーなあ。そんなしょーもねえ同調圧力なんかに屈するかよ」
「よく言った、それでこそ俺の見込んだシンガーだ」
「もういいから。今回マイケル・ジャクソンやろうと思ってんだけどさ。ハットとダイヤモンド手袋はAmazonで買ったんだよ」
「うん」
「でさ、より一層クオリティー的に上を目指したいんだよね」
「へえ」
「ひょっとしてマイケル・ジャクソンの変装用マスクを作れる装置及び材料一式とか手に入んない?」
「Of course, I can! Who the fuck you think I am? I am Billy Shaker! CIAの受注先の社長と知り合いだからちょっと電話するわ」
「さすが、ビリー。頼りになるね」
ビリーは携帯電話を出した。
「Hey, it’s me. Billy Shaker. How you doin’? Me? I’m fantastic. でさ、お宅んとこで、よくスパイ映画でスパイが使うみたいな変装マスクを作る装置なんて作ってない? そう、≪ミッション:インポッシブル≫に出て来るような奴。何? ≪6アンダーグラウンド≫の方が面白い? 確かにマイケル・ベイも腕上げたよな。トム・クルーズも新たな中年スターの台頭は避けられないだろうし、名前忘れたけど≪デッドプール≫で人気が出たそいつもうまいことキャリアを重ねてるよ。で、どうなの変装マスクの方は。あるの?」
ビリーは電話を下げてシンガーに報告した。
「あるってよ」
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