第3話 前線からの報せ
戦塵と血に汚れた書状に記された文字を追って、
「
「高祖に連なる皇族を、有無を言わせずに──何という暴挙を」
「皇上を心から案じられた進言であっただろうに……」
重臣たちが低い声で囁く通り。これが例えば、混乱に乗じて皇帝を害そうとした者が罰せられたならまだ良かった。斬られた高陽王の評判は誰もが知っているからこそ、伝えられた情報がいっそう重く一同に圧し掛かるのだ。
(事態は誰もが認識している。その上で、この有り様か……!)
この期に及んで南伐の遂行に固執する者はさすがにいない。遠征にかまけて都を失うなど愚の骨頂、皇帝もその
ただ──兵を挙げた諸侯を鎮めるために何をすべきかにおいて、必ずしも意見の一致を見ていないのだ。
高陽王は、此度の乱の元凶である
ことの次第がどこまで正確に伝わっているかは知れたものではないが、
この皇帝は、女に溺れて国を傾けるのではないか、と。
結果として、高陽王の進言は皇帝の
高陽王の死は、宮城にも不穏な波紋を投げかけた。洸廉も含めて、誰もが考えてはいたであろうことを、議題に上げる口実ができてしまったのだ。
「高陽王の進言ももっともではなかったのか」
「誅殺までいかずとも、位を退いていただかねば話が進みませぬ」
「魁の滅亡を公言した者を皇后の座に就けておくわけには──」
最初は隣同士の囁きとして。そして、声は少しずつ大きくなっていく。はっきりとした提案とまではいかずとも、赫太子に窺いを立てるような視線が集まる。
皇后は、もはや太子に寄り添うために臨席していない。
「父上の正妃、私にとっては母に等しい御方を、独断で廃することは
ひとり上座を占める太子は、凛とした居ずまいで臣下の視線も進言も跳ねのけた。
「慕容家は筋違いの主張で乱を起こした。廃皇后を殺したのは私、責めるべきも私だというのに。罪人ではあったが、父上の裁定を越えた罰を与えたのは確かに私にも非があった。詫びる心づもりはあると、慕容家に伝えよ」
帝王めいた威厳さえ備えて臣下を睥睨する太子の言葉は、理屈としては正しかった。だがいっぽうで、慕容家が納得するはずがないことも明らかだった。彼らは、廃皇后が位を
言い終えた太子は口を閉ざし、皇后の処遇についてはもはや言及しない。
「殿下──」
重臣たちの間から、絶望の呻きが漏れた。彼らは、薛皇后が太子を唆したのだと思い込んでいる。この期に及んでも庇うほどに皇后に惑わされているのか、と思ったのだろう。
だが、洸廉はまた違う理由によって絶望した。
(この御方も、魁は滅ぶべしと結論されたのか?)
慕容家に対してもそれ以外の諸侯に対しても、兵を収めるようにとの説得と交渉を続けてはいる。悲観し、ともすれば泣き言を吐くだけになりそうな官らを叱咤し、自ら多くの書を
ただ、正論で納得しないなら譲歩はしない、と考えている節もある。
洸廉には、少年の小さな身体の裡で、静かな怒りが滾っているように思えてならない。
怒り──生母殺しの
気まずく沈黙した一同を、赫太子は冷ややかに見下ろした。
「有益な進言がないのならば、私は後宮に戻る。
あてつけのように皇后の名を口にして、太子は立ち上がった。非難がましいどよめきは一顧だにせず、
(……皇后と弟君のために、脱出には同意してくださった。詰めるのは後ででもできる、が──)
洸廉が、少年の頑なな心を解きほぐす言葉と機会を探す横で、重臣らはひそひそと囁き合っている。太子が退出して、舌から重石を除かれたかのようだ。それでもなお、その内容は外朝の中枢で口にするのは憚られるはずのことなのだが。
「
「皇上が戻られたところで、どうなることか」
「いっそのこと──」
いっそのこと、どうするつもりだったのか。その発言をした者は、洸廉の視線に気づいて口を
(皇后の首と引き換えに慕容家に投降する、か……!)
皇后に危害を加えては、皇帝からどのような凄惨な死を命じられるか知れたものではない。その恐れが、今は辛うじて抑止力となっている。
だが、皇帝が帰還しても事態が改善しないのが明らかになればどうだろう。
南伐の軍が戻ったとして、どれほどの将兵が皇帝の意に従うのだろう。叛徒の勢いを見て、主君を見捨てる者も出るかもしれない。
あるいは、そもそも皇帝が宮城に入る前に討たれるようなことになれば。宮城の城門が破られて、皇后の身柄を求める兵の刃が間近に迫れば。
薛皇后は、廃皇后以上の無惨な死を遂げることになる。そうでなければ慕容家の怒りは収まらないし、乱の元凶である──と
いつ、誰が思い切るか分からない以上、もはや後宮でさえ安全ではないのかもしれない。ならば、洸廉は何をすべきなのか。
(できるだけ苦痛のないようにして差し上げがほうが良い、のか……!?)
先日、皇后と対峙した時には強く否定した行為に踏み切る理由を、彼は探してしまっていた。しかたない、と言い訳をしようとしていることに気付いて、自分自身を嫌悪する。
逃亡者が相次いだのを補うため、後宮の守りには李家の私兵も動員している。信頼できる者をえりすぐったから、良からぬ考えを抱いた者が現れてもそう簡単に皇后や煌太子に近づくことはできない。
だが、裏を返せば。
洸廉ならば咎められることなく武器を後宮に持ち込むことができるのだ。
* * *
果たして十日後、皇帝の軍は宮城の城壁から見える位置にまで近づいた。地平を煙らせる戦塵は、けれど出立の時に比べればだいぶ小さい。それだけ、離反した者が多いのだ。
無為に帰った皇帝は、とりあえずは宮城に入ることを許された。宮城を囲んだ諸侯の兵の数、彼我の戦力差は、皇帝への一方的な要求を可能にするまでに大きくなっていた。
皇帝が宮城に入った後も、城門は閉じられなかった。要求が叶えられなかった時は、すぐにも攻められるように、ということだ。
慕容家らの要求は、何も驚くべきものではなかった。皇帝が自らの手で薛皇后を
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