七章 戦火は後宮より上がる
第1話 金人鋳造の儀
焼け溶けて灼熱する銅が、砂を固めて造った
宮殿の奥、
宮殿の外、白い
三年前までならば、
皇帝の御前、列席者からは仰ぎ見る位置に、祭壇が設けられている。そこに鎮座するのは人の背丈の半分ほどの鋳型がふたつ。それぞれに溶けた銅が注ぎこまれる様を、魁の国の中枢の者が揃って息を詰めて見守っているのだ。
(話には聞いていたが、奇妙な風習だな)
洸廉と同じ感慨を抱く者は、列の中にどれだけいるのだろう。彼のように南の
鋳型を割った時に、見事銅像が立っていれば吉とみなして事を進め、欠けたり割れたり倒れたりの不備があれば凶として取り止める。
銅があるていど冷えて固まるのを待つ間、舞楽奉納されるのを余所に、洸廉は密かに念じた。
(実験は十分に繰り返した。銅の純度も、炉の熱さも。どうか成ってくれ……!)
皇帝に願い出て、材料や職人の手配を行ったのはほかならぬ彼だった。生まれながらの魁の民であれば、天意を問うための儀に入念な試行錯誤を行う、という不敬な発想には至らなかったかもしれない。だが、彼ならできた。やらなければならないことでもあった。
この儀式が成功すれば、魁の諸臣の心は一丸となる。皇帝の意は、天の心にも叶うことと認められる。少なくとも、声高に意を唱えることは難しくなる。
最後は祈るだけ、とは愚かしくもあるが、今となってはほかにできることはない。
舞楽が終わり、槌を手にした官が祭壇に上る。皇帝から
まだ熱を秘めていたのか、一瞬だけ内側から光り輝き、そして外気に晒されてすぐに冷たい艶に落ち着く──ひとつめの像は、
そして、もうひとつの鋳型にも槌が振るわれた。現れたのは、剣を佩いた武人の像。
対となるふたつの像は、欠けるところなく立ち、そして輝いていた。誰ともなく──その場の数百人の口から漏れた溜息と歓声が、ひとつのどよめきとなって空気を揺らした。
「──成った」
そこへ、しゃらり、と鳴ったのは、太極殿の玉座から姿を見せた皇帝の、
皇帝の臨御に、諸侯諸官が一斉に平伏する。衣擦れの音と武具が鳴る音が重なって響き、一瞬だけ嵐が吹いたかのような轟音となる。それを圧して、皇帝が通る声で高らかに宣言する。
「天は我が意を
洸廉と同様に、若い主君も落ち着かない思いで祈り、見守っていたのだろう。はしゃいで、とさえ言えるほどに声を弾ませてまでも占おうとした大事とは──
「
太極殿の奥から近づいてきた、宦官や文官が纏うものではあり得ない薄絹が奏でる音。雅な香の香りさえ漂ってきそうな──薛貴人も、皇帝の傍らに進み出たのだろう。
「
「魁にとっては昊を降すのは難事ではない。そなたを皇后に据えることこそ
「そのような──」
喜びつつ恐縮する薛貴人──今はまだそう呼ぼう──の声は、文句のつけようもなく淑やかで慎まやかな女人だと聞こえた。
彼女の声や言葉遣いに初めて接して、印象を変えた者もこの場にはいるだろうか。高位の妃たちを次々に退けて皇帝の心を捕らえた女狐と、信じている者も多いだろうが──
(この三年、あの御方は何もなさっていない。ただ、皇上を癒し、御子たちを慈しんだだけで。分かってくださったのか。諦めてくださったのか……?)
太后の喪が明けて、魁は若い皇帝のもとでいよいよ前に進もうとしている。儀式の成功によって、臣下の士気は大いに上がった。だから何も憂える必要はないと、信じたいのだが。
心に影を落とす不安を拭いきれず、頭を何かに抑えつけられる思いの洸廉とは裏腹に、皇帝の声はどこまでも明るく軽やかだった。
「遠征中の留守を任せて、皇太子を
「はい、父上」
高く澄んだ声で応じる赫太子も、この三年の間に成長した。まだ十になるかどうかの年齢でも、すでに君主に相応しい思慮深さを見せている。
「特に
「御意。皇上のご信任に応えるべく粉骨砕身いたします」
そして洸廉は、皇帝が不在の間の実質的な宰相に任じられたのも同然だった。若い身で、亡命者の末裔でありながら、なんと目覚ましい栄達か。遠征の間の振る舞い次第で、皇帝からの信頼も皇太子との絆も、いっそう深まることだろう。──気を引き締めて、臨まねばならない。
(皇上がご不在の間に、事を起こす者がいないかどうか──目を配らねば)
警戒する対象の筆頭に、皇后に立てられたばかりの女人が来るのは、どう考えても理不尽なことではあった。
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