scarlet 7

 レストレードの運転する車内、いつ起きるとも限らない事故に怯え十数分、私たちは事件現場のマンションに到着した。私は心の中で、帰りもこれに乗るのかと思うと背筋がゾッとした。ワトスンくんはというと、事件への興味の虜になっているようで、目をキラキラさせている。

 マンションは六階建て、現場はその六階の角部屋。そばには非常階段に繋がる扉がある。私たちが六階に着くと、事件現場の部屋の前で壁に寄りかかっている男がいた。

 髪は白黒の長髪で、目の下には隈がある。ビジュアル系ロックバンドみたいな服をし、細身は貧弱なイメージを与えてくる

 スマホを覗いてる男をレストレードは、「ここの大家だ」と紹介してくれた。

「あー、やっと来たんすね。んじゃ、鍵開けるんで、ちゃっちゃと終わらせてくだせえよ」

 ふてぶてしく大家はそう言うと、ダルそうに部屋の鍵を開けた。

 部屋の前に貼られていたバリケードテープと呼ばれるそれをくぐり抜け、現場へと足を踏み入れる。

 部屋の中は殺風景だった。棚はないし、テレビもない。観葉植物も、ソファもない。台所は冷蔵庫やレンジ、コンロすらないときたもんだ。

「誰も借りてないのか?」

 そうレストレードに聞いたが、彼は答えた。

「今回の事件の被害者が借りていた」

「寂しい部屋だな。まるで、住んでいると思えないんだが」

 すると大家が割ってはいってきた。

「借りた人なんすけど、なんか、寝られりゃいいとか言ってたんすよ。しかも、二年分の家賃も払ってくれたんすよね」

 明らかに妙だ。人に言えない事情か?住む、というよりは避難だろうか?

「現場はこっちだ」

 そう言うとレストレードは、リビング横の引き戸を開けた。

 ベッドがあることから寝室と伺える。だが、マットレスのみで布団やタオルといったものはない。

 チョーク・アウトラインが大の字に描かれていた。

「死因は?」

「窒息死だそうだ。首に絞められた跡があった。それも、"手"でな」

「となると犯人は男だろうか。それも、かなりガタイが良いと思える。ところで、抵抗した跡のようなものはないのか?」

「被害者の爪にそれらしきものがあったが、警察のデータベースにはそれと合致する前科者はいない。それと言い忘れてたが、被害者は大野慎太郎だ」

 その名前には聞き覚えがある。たしか、次の市長選への立候補者だ。

「犯人の目撃情報は?」

「ない。付近の防犯カメラにも、それらしき人物は映っていなかった」

「カメラはどこにあった?」

「マンション前のコンビニと、その先にある交差点、マンションのロビーにもあったが、そのどれにも、だ」

「非常階段には?」

「ノーだな」

「なら非常階段から脱出したのだろうか」

「それは無理だ。非常階段は施錠されていた。それに、そこから出られたとしてもコンビニのカメラに映る」

 レストレードから引き出した情報から、犯人はマンションから出ていないという答えが出せるが、それも可能性の一部。なにより、マンションの大家の前でそれを言うのは、はばかられるというもの。

「それともう一つ」

 そう言ってレストレードは、寝室の反対側にある部屋の前へと私たちを案内した。

「ここは?」

「二つめのリビングだろう。小さいがな。そして、ここがおそらくホームズの興味を一番引くことになるだろう」

 勿体ぶったように言って、引き戸の取っ手にレストレードは手を掛けた。

「さあ、ホームズ。頼むぞ」

 そう言って引き戸が開かれた。

 あけ放たれた室内を見て、ワトスンくんが「キャッ!」っと可愛らしい悲鳴を上げた。私もその光景にはくるものがあった。

 床一面にはおびただしい数の赤い靴跡、そして壁一面にも同じ色の手形が広がっていた。

 それと、真ん中にはガラスのテーブルがあり、その上には証拠品があったことを示すプレートが置いてあった。

「なんだ・・・・・・これは・・・・・・」

「一応言っておくが、手形の指紋にはなんの意味もない。全部、作り物の手だ」

 壁の手形を目を凝らしてみると、それはたしかにのっぺりとしていて、作り物だと確信できる。

「靴跡の方は?見た感じだと、すべて違うように見えるが」

「その通りだ。すべて違う。鑑識の連中、小言を言いながらやってて可哀想だったよ」

 ざっと見ただけでも四十はある。それだけの靴を犯人は持ち込んだとでも?

「それと・・・・・・こいつを見て欲しい」

 レストレードは車を降りる際に持ち出していたカバンから、紙束を取り出した。まるで本のようだった。

 表紙には何も書かれておらず、裏も真っ白だ。ページをめくり、そこに書かれていた文字を見て、私はショックを受けた。

「これは・・・・・・」

『A Study in Scarlet』、ページ中央に赤い文字で書かれていた。

「緋色の研究・・・・・・なぜこんなものが」

 さらに一枚めくる、そこにはこう書かれていた。

『フィクションの名探偵は、本物にならない』

『この犯罪は、正当なものであり、決して暴かれることはない』

 その先には今回の事件を彷彿とさせる、芝居の流れのようなものが書かれていた。

 これは、殺人の台本だ。

「どう思う、ホームズ?」

 私は台本を閉じて、レストレードに答えた。

「不謹慎だろうが言わせてもらおうか。"面白くなってきた"」

 好きなそのキャラクターを侮辱されたとは思わないわけではない。が、ならばこそなのだ。

 この、姿見えない犯罪者を、白日の下にさらしてやろうではないか、とね。

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ミスターホームズは眠りたい 1 ム月 北斗 @mutsuki_hokuto

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