第7話 ラインハイムからアルペンへ

 どこまでも広がる草原と、鮮やかな青と白で染まる空。風吹けば草花が揺れて、爽やかな香りが巻き上がる。柔らかな草を背に寝転べば、この上ない心地よさを覚えるに違いない。非常に穏やかで平和な景色。だが、数か月前を境目に変わった。


 この平和な場所でも、どこかに魔獣が潜んでいるのかもしれない。気を抜いた瞬間に襲われるのかもしれない。そんな恐怖から、今後人々が街から街の移動の中で心から安心することは難しいだろう。ロイドは馬を走らせながら漠然とそう思った。


 ラインハイムからアルペンへ。初任務の為に馬を走らせて移動すること二日。ロイドは今現在、全体距離の八割を踏破していた。もうそろそろ日が落ちるので、アルペンに着くのは明日になるだろう。


 野営は兵士時代に何度か経験しただけなので、あまり慣れてはいない。ただいつ強い魔獣が襲ってくるか分からない最前線での野営と比べれば、かなり楽だとロイドは考えていた。実際、昨日も野営を行ったが、魔獣に襲われることはなかった。


 しばらく馬で駆けていると、空が茜色に染まり始める。想像より早く辺りは暗くなるので、もうそろそろ止まって野営の準備をした方が良いだろうと思ったロイドは街道の脇で馬から降りた。


 移動手段を逃したら面倒なので、木に紐を括り付けて馬を繋ぐ。馬はブルルと鼻を鳴らしながら地面に生えている草を食べ始めた。


 その間にロイドは桶を地面に置いて集中しながら魔力を練る。組むのは水を生み出す術式。才能が無いロイドが必死に覚えた魔術の一つだった。


「《静謐な泉、命の源、湧き上がれ》」


 詠唱すると桶の真上に歪な水の塊が現れ、桶の中に落下する。少しだけ水飛沫が上がり、桶の半分ほどを満たした。もう一度、この魔術を使えば並々と桶を満たすことが出来るだろう。


 ロイドは再び同じ魔術を使い、桶を満たして馬の元へ持っていく。待ってましたと言わんばかりに、馬はざぶざぶと水を飲み始めた。


 続いてロイドは空になっていた自分の水筒に水を入れる。もちろん水を入れる方法は先ほどの魔術だ。続いてロイドは枯れ木や落ち葉を一か所にかき集め、火を生み出す術式を組む。


「《炎の舞、燃え上がれ、我が手に灯火を》」


 翳したロイドの手の先にボッと火が現れ、薄暗くなった辺りを照らす。拳大ほどの火は落ち葉に燃え移り、枯れ木にも燃え移り、あっという間に焚火が完成した。


「相変わらず便利だな……魔術というものは……」


 本来ならば着火剤や枝同士を擦り合わせて生み出す火。しかし魔術ならば魔力さえあれば幾らでも生み出すことが出来る。また、水も同様に本来は水源が必要なのにも拘わらず、魔術であれば魔力によって際限なく生み出せる。


 実際、ロイドはこの二つの魔術によって何度も助けられてきた。人間が生きる上で欠かすことのできない水、料理や体を温める為に必要な火。


 基本的に魔術は体内で完結する術式より、体外に影響を及ぼす術式の方が難しいとされている。だから才能のないロイドは、この二つの魔術を習得するのに凄く苦労した。ただ、その苦労のお陰で今では便利になっているので、ロイドは習得しろと言ってきたヴァレンに感謝しているのだった。


 木の幹に背中を預けながらロイドは携帯食料を齧る。お世辞にも美味しいとは言えない味だが、空腹で頭がおかしくなりそうになるより遥かにマシだ。


 もうすっかり辺りは暗くなり、ゆらゆら揺れている炎がロイドと馬を照らす。こんな夜に思い出すのは兵士だった頃のこと。辛い状況なはずなのに、わざと笑って気分を盛り上げる兵士達をロイドは傍から見ていた。


 何となく抱く喪失感。唯一、仲良くしていたと言えるのはアレスだけだが、なぜだか他の兵士達にも思いを馳せてしまう。今頃は何をしているのか、商いをすると言っていた奴は成功しているのか、結婚したいと言っていた奴は結婚しているのか。


 当時は全く意にも留めていなかったが、今思えばあの時間を愛しみ他の兵士達を仲間だと認識していたようだ。ロイドは恥ずかしくもそう考えながら、明日からのことに頭を切り替えて目を閉じた。


 警戒しつつも、眠る。辺りにはパチパチと焚火の音だけが響いていた。




***




 日の出と共に動き出したロイド。彼は前日までと同じように馬を駆け、昼頃を少し過ぎたぐらいにアルペンへ辿り着いた。


 アルペンは国家間の戦争が起きていた時代から存在する街なので、石造りの壁が街を囲っている。門には街騎士が立っており、街に入る人間に犯罪者がいないか常に目を光らせていた。といっても、少し怪しい風貌の人間が居たら声を掛けるぐらいしか出来ることは無いが。


 ロイドは図体が大きく上質な黒づくめの服、馬を連れていて明らかに周囲から目立っている。怪しいと言えば怪しいが、目立ちすぎて逆に怪しくないはず。これは声を掛けられることは無いだろうとロイドが思っていると、二人いる街騎士の内の一人が近づいてきた。


「すみません。討伐機関から来られた方でしょうか?」


「……ああ、そうだ」


 どうやら自分は怪しくて声を掛けられた訳ではないらしい。想像と違う言葉に少し戸惑いながらも、ロイドは頷いた。


「お待ちしておりました。代官の元へご案内させていただいてもよろしいですか?」


「頼む」


 初めて訪れた街なので、どこに代官がいるのか分からない。だからロイドは誰かに聞こうと思っていた。しかしこの街騎士が案内してくれるならば話は早い。申し出に甘えて案内してもらおうと判断したロイドだった。




「お待ちしておりましたぞ討伐者殿」


 ロイドを迎えたのは知的な雰囲気のある初老の男だった。歳はヴァレンより一回り上だろうか。髪は老いによって白く染まっている。とはいえ衰えを感じさせない空気を纏っていた。


「初めまして。討伐機関から来た討伐者、ロイドだ」


「こちらこそ初めまして。私はウィズス。この街――アルペンの代官を務めさせて頂いています」


 挨拶もほどほどに、二人は机を挟んで椅子に座る。この顔合わせは魔獣討伐の為にあるものだ。早急な対応が求められるので、余計な会話は必要なかった。


「では今回の件だが……以前の報告通りで間違いないか」


 まずはロイドが切りだす。


「はい、間違いありません。ただ……報告をしてからロイド殿が来るまでそれなりの日数が経っています。だから少し状況が変わっている恐れがあるかと」


 ウィズスの言葉は当たり前のことだった。アルペンからラインハイムは馬で三日弱の距離がある。状況というものは流体の如く変化するので、最初の報告からロイドが来るまでで少し変化しているという懸念は、簡単に想定できるものだった。


「大丈夫だ。今回の魔獣は醜鬼だと我々は辺りをつけている。その醜鬼は危険度で言えば魔獣の中でも低い……多少、数が増えたところで障害にはならん」


「それはそれは心強いお言葉で。私としても安心します」


 慢心とも受け取れるロイドの言葉だが、ウィズスは疑う様子はない。内心に隠しているだけか、それとも本当に安心しているのか。正直、ロイドにとってはどちらでも構わなかったので、これ以上は気にしなかった。


「話はこれだけだろうか。であれば早速、討伐に向かいたいのだが」


「そうですね。これ以上は無いのでよろしくお願いします」


 深々とウィズスは頭を下げる。ロイドはその姿にむず痒さを感じるが、あることを思い出した。


「そういえば……俺を案内してくれる冒険者はどこにいる?」


「ああ、彼らは既に北門で待機しております。姿は一目瞭然なので、すぐに誰が冒険者か分かるかと」


「分かった。では失礼する」


「ええ、改めてよろしくお願いします」


 討伐機関、そして討伐者として初めての任務。緊張せず、慢心せず、兵士の時と同じような心構えで。ロイドは思考を切り替えながら北門へ向かった。

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