第5話 機関発足と加入
急に騎士団の詰所へ押しかけ、兵士の勲章を見せたことでちょっとした騒ぎになった事件は過去と未来の二つを見てもこれだけである。当然この話は騎士団の上層部へ伝わり、ヴァレンの耳にも届いた。
「もう少し考えなかったのかお前は……」
「申し訳ないです」
ヴァレンは額に手を当てて呆れ果て、ロイドは言葉とは裏腹に無表情だ。そして彼らは一年ぶりの再会にも拘らず、そんな様子をおくびにも出していない。また、彼らは今ヴァレンが所有している屋敷で相対している。立派な屋敷なので、やはりヴァレンは騎士になったのか、とロイドは思っていた。
「はぁ……まあいい」
溜息を吐いたヴァレンは真面目な顔に切り替えてロイドを見据える。
「お前がわざわざ私の元へ来たのは……魔獣のことだろう?」
「……やはりもう知っていましたか」
ロイドは驚かず納得したように頷く。彼が魔王討伐後に初めて魔獣に遭遇したのが三か月前。あの少女を間一髪のところで助け、そのまま村を救った時だ。元魔王軍の最前線から遠く離れた北方諸国なのにも拘わらずである。
つまり魔王城に近く、おまけに最前線である西方諸国の中でも最も近いこの王国に魔獣の報告が入っていないはずがなかった。
「初めて魔獣の輪郭が浮かび上がったのが四か月前。フェステン領にある一つの村へ訪れた行商人が、破壊された家屋と何かの肉片を見つけたことが始まりだ」
自分が初めて遭遇した時より一か月も早い。やはり魔獣は最前線から散らばっていったのか、とロイドはヴァレンの話を聞きながら考える。
「その行商人曰く、初めは野盗などに襲われたのではないかと思ったらしい。だからすぐに街の代官に報告し、騎士が派遣されることになったそうだ」
騎士は対人の専門家だ。仮に一人であっても、野盗の十人程度ならば簡単に制圧できる。おそらくヴァレンが言う状況だと、調査も兼ねて複数人の騎士がその村に派遣されたのだろう。本来ならば調査し、証拠があって追跡が可能であればそのまま野盗の討伐という流れで終わるはず。
「派遣された騎士はもちろん玄人だ。何件も野盗に襲われた村を見てきている。だから違和感に気が付けたのだろう」
「もしかしてその違和感は……金品が奪われていなくて村人の姿が見当たらなかったことですか?」
「ああ。その通りだ」
ヴァレンは頷いて続ける。
「野党が村を襲う目的は金品と女子供が殆どだ。しかし金品がそのままで、老若男女問わず村人の姿がなかった。つまり村を襲った犯人は村人……ひいては人間が目的だった」
ヴァレンとロイド。魔獣の専門家である二人にとって、この事件の真実など当に分かっている。だが、ロイドはほんの僅かだけ顔を歪ませて口を開いた。
「人間自体が目的な存在なんて魔獣ぐらいしかいないでしょう。なんせ奴らは人間を残さず食うのだから」
魔獣が何を糧に生きているかは不明だ。しかし同時に、魔獣が人間を食うという習性があることは事実。よく魔王軍に襲われた村や街が<忘却の地>と呼ばれるのはこの習性のせいである。
家屋などの建物は破壊され、住人は魔獣に全て食われ、そこには何も存在しなかったかのような状態にされてしまう。残るのは記憶だけ。だがその記憶も徐々に薄れていく。そしていつしか人々から忘れられていくのだ。
このような理由から自然と呼ばれるようになったのが<忘却の地>。せめてこのように呼ぶことで、存在しなかったということにはさせないという決意と後悔の念が含まれた言葉なのだった。
また、ロイドの故郷もこの忘却の地だ。魔王軍、つまり魔獣によって全て奪われてしまっていた。家族も、親しい隣人も、共に遊んだ友人も、ひいては故郷という存在も全て。全て奪われた。
もうロイドの中にある故郷の記憶も年々と薄れている。幸せだった記憶も、辛い記憶で上書きされてしまっている。だから最たる原因である魔王が討伐され、魔獣が消えたと知った時は虚無感を抱きながらも確かに嬉しかったのだ。安心したのだ。
しかし再び魔獣が出現した。ロイドに言わせれば悪夢の再来である。統率がされていないので、人類滅亡の危機という程ではないが、逆に防衛力のない村や街は魔王存命時より被害が増す。つまりロイドを含む元兵士のような人間がまた現れるのだ。
あまりにも最悪で憂鬱な現実。本音としては全力で目を背けたいものだが、それでは命を捨ててまで自分を生かしてくれた故人に申し訳が立たない。何か出来ることは無いか、空っぽな自分でもできることは無いか。そうロイドは考えていた。
「ロイド。またお前は面倒に考えているだろう」
突如として耳に入ってくる声にロイドは意識を現実へ戻す。目の前には、よく見た呆れているようなヴァレンの顔があった。
「まあ私も気分は最悪だ。ようやく希望が見えたと思ったら結局はこのざま。やってられないと何度も思った」
僅かに自嘲を含んだ表情をヴァレンは浮かべる。
「だが、私がそう思っている間に人々は魔獣に襲われて食われてしまう。また、国が主導して動くのが最も確実だが、範囲が広すぎる上に対人専門である騎士を魔獣相手に派遣するわけにもいかない。だから――魔獣討伐を専門とする組織を作った」
ヴァレンは立ち上がり、棚から一枚の紙を取り出してロイドに見せた。
「陛下や上層部と会議して取り決めた魔獣討伐を専門とする組織――名を《討伐機関》。私が総司令として位置することで、機関に所属する人間を自由に動かす権限を陛下から頂いた」
ロイドはヴァレンの言葉を耳に入れながら紙をまじまじと見つめる。その紙には確かに討伐機関の発足に関することが記述されており、国王の印が押されていた。間違いなくこれは契約書だ。
「……機関に所属する人間はどうするんですか? 魔獣と戦える人間が少なくとも数十人は必要だと思いますが」
契約書からヴァレンに目を移して、ロイドは尋ねる。魔獣討伐を専門とする組織と謳うならばそれ相応の強さは必要。更に、王国全土へ派遣するならばかなりの人数も必要だ。討伐機関とやらを発足するのは良いが、肝心の人員がいるのかどうかロイドは知りたかった。
「正直なところ、正式に発足したのが最近だったのでまだ人員はいない。だが、まずは元兵士に声を掛けるつもりだ」
「ああ、元兵士ですか。それならば確かに適任ですね」
ロイドは納得したと言わんばかりに深く頷く。兵団に所属していた元兵士ならば、そこらの魔獣相手に後れを取ることは無い。というか元兵士以外に魔獣をしっかりと安全に殺せる人間はいないか、とロイドは思った。
「で、だ。単刀直入に言う。ロイド、お前には機関に所属して欲しい」
ヴァレンはロイドの目を見ながら言う。対するロイドは半ば予想していた言葉に目を瞑って考え始めた。
(別に嫌なわけでは……ない。だが、このまま流されるままでいいのか……結局何もない空っぽな俺で務まるのか……)
魔王に対する復讐心だけを原動力に生きて来たこの人生。両親に、村の人達に誓ったのにも拘わらず、勇者に選ばれなくて結局は友人に魔王を討伐された。何も成し遂げることなく、ただ流されるように魔獣を殺し、旅に出るも変わらない。
恥ずべき人生を送って来たとさえ思っている。しかし一方で、このようにうじうじと悩んでいる自分に情けなさも覚えている。あの友人は宣言通り聖剣に選ばれ、勇者になって魔王を討伐したと言うのに自分はどうだ。笑えるぐらい空っぽだ。
ロイドは迷っている、彷徨っている。故郷を失い、復讐に燃え、夢破れ、遂には空っぽになったこの数奇な人生に、先を見いだせなかった。
「ロイド。私は良い家の出だ。そして……優秀な兄を持つ次男だった」
心なしか緩やかに流れる空気。ヴァレンは行儀悪くソファの背凭れに寄りかかりながら語り始めた。
「文武両道とはあのことを言うのだろうな。兄は剣術、馬術、魔術、学問どれも突出とした才能を持っていた。最初は私も誇らしく思っていたが……年齢を重ねるごとに自分の凡才さを自覚し、悔しく思った」
当時の気持ちを思い出したのか、ヴァレンは重苦しい息を吐く。
「これで兄が人格的に問題のある人だったら慰めも出来ていただろう。だが、兄は優しく、強く、正に理想的な人だった。だからそんな兄を嫉妬をしている自分に私は恥ずかしく思い、自己嫌悪に陥った。事情や環境は全く違うとはいえ……ロイド、分かるだろう?」
「……ええ。分かります。嫌なほど」
恨みたいのに、嫉妬したいのに、相手が善い人間のせいで叶わない。そして、そう思っている自分に嫌気がする。発散する場所がなく、自分の中でぐるぐると回っている状態。この感覚は同じような経験をしている人にしか理解できないだろう。
「私はそのことで悩み、苦しみ、逃げた。家を飛び出し、大陸を歩き回り、様々な人と会話したり色々な環境を見たりした。まあ結局、こうして王国に戻って来て兵団の団長に就き、今では機関を発足しているのだから人生とは分からないものだ」
いつもの柔和な表情を浮かべてヴァレンは紅茶を一口飲む。緩やかな空気はそのままで、更にどこか温かさが加わっていた。
「ヴァレンさんは……どのようにして苦しみを解決したんですか」
「分からん」
「は……いや、もっと真面目に――」
「真面目に分からんのだ」
珍しく目を白黒とさせるロイド。ヴァレンは少し考えながら口を開く。
「……いつの間にか消えていた、という言葉が正しいか。少なくとも何か切っ掛けがあったわけではない。実際、大陸を歩き回っている時でも苦しさはあったからな」
そしてふっと笑って続ける。
「ロイド。お前と私では違うことばかりだ。故に真似するべきではない。だが……何も分からなくなって迷ったのなら、己の心の底から湧き出てくる気持ちに素直に従った方が良い」
「……それはヴァレンさんの考えですか」
「いや、経験則だ」
「なるほど……」
ロイドはヴァレンに言われた通り、己の心に意識を集中していく。心の底から湧き出てくる気持ち。考えたことすらなかったが、ヴァレンの過去話によって更なる信用が生まれたので、ロイドは素直に実践する。
(湧き出る気持ち……俺は何がしたいんだ……何を思っているんだ……俺は……俺は何なんだ……)
深く深く、心という概念的存在の深層部へ。己の核となる場所。普段は意識することない心というモノを見る。
部屋の壁に架かっている時計の秒針の刻む音だけが響く。どれくらい時間が経ったのだろうか。数秒にも数分にも感じる時間。ロイドはゆっくりと目を開いた。
「俺は……」
一度口を噤んで、再び開く。
「魔獣を殺したい……いや、違う。俺は人を助けたい。守りたい。人の……悲しみの涙、絶望で消える表情、憎悪で歪む顔……その全てが見たくない。俺は――人の幸せそうな笑顔が見たい」
何故、魔王を憎悪し勇者を目指したか。
何故、夢破れたのに兵団に所属したか。
何故、旅路の時、少女を助け村を救ったか。
人が悲しむのは心が痛む。絶望しているのも心が痛む。憎悪しているのも心が痛む。装飾する言葉や脚色する理由はあれど、根本は幸せそうな笑顔を見たいだけ。
自分が魔王、ひいては魔獣によって悲しみ絶望し憎悪した経験があるからこそ、他の人に同じ経験をしてほしくないということだった。
この気持ちの吐露を目の当たりにしているヴァレンは黙ったまま。いつもの柔和な笑みを浮かべているだけだ。その対応がロイドとしては有難かった。
「ヴァレンさん……機関へ入らせてください」
まだ苦しみはぐるぐると回っている。気持ちと感情は複雑に絡み合っている。しかし、魔獣を殺して人を救いたいと思う気持ちは本物だ。
「ああ、もちろん。歓迎する」
一語一語、確かめるように。そして二人はどちらからともなく握手を交わした。
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