第4話 その言葉は魅惑のようで
全ての黒鎌獣が消滅し、村の男たちが呆然としている中。ロイドは男たちを無視して家の屋根へ駆けあがり、置いていた少女の元へ行く。
「終わったぞ」
「ほんとう……?」
「ああ。お前の親が無事かは知らんが……化け物は全て殺した」
不安気な少女に対して、ロイドはいつも通り平坦な声色で返す。
「で、だ。取り敢えず下に降りるぞ」
ロイドは少女に被せていた外套を剥がして自分の腕に巻き、彼女を先ほどと同じような格好で抱える。もう慣れたのか、少女が悲鳴を漏らすことは無かった。
そして来た道を辿るように屋根から地面に移動して、少女を地面に降ろす。少女はキョロキョロと男たちの方を見ると一人の男で視線が止まり、一目散に駆け出した。
「――お父さんっ!」
「ハンナ……!?」
少女――ハンナは父と呼ぶ男の腰に飛びつく。どうやら彼女の父親は無事だったようだ。ロイドは心の中で小さく息を吐いた。
と、感動の再開は置いといて、ロイドはぐるりと男たちを見渡して口を開いた。
「この中で村長はいるか。いなかったら村を纏めている人間でもいい」
「儂だ。儂がこの村の長だ」
口髭を携えた初老の男が前に出る。先ほどまで戦っていたので、彼の体のあちこちには傷がついていた。ただ意外にも弱弱しさは感じられない。破れている服の下には立派な筋肉も見える。しっかりと鍛えられていることが判った。
「では村長。至急、近くの街などに魔獣の出現の報を入れ、生き残った村の人間はそこに避難しろ。今回は黒鎌獣八体……いや、九体だけで俺が間に合ったからよかったが、次もこの程度の被害で済むとは限らないからな」
「……あれ以外にもまだ魔獣がいると?」
「ああ。ほぼ確実に」
ロイドが頷いて答えると、村長は眉間を指で擦りしばし目を瞑る。
この異常事態ともいえる現状。村を捨てるといっても変わらない選択。皆を纏める立場にある故の心労が伺えた。
村長は軽く息を吐き、ゆっくりと目を開く。
「分かった。あなたの言う通りにしよう」
続いて背後に振り返って叫んだ。
「お前たち! 荷物を纏める人と中の人間に説明する人で分かれて行動しろ」
村長が指示を出すと男たちは戸惑うことなく散っていく。同村の人間が殺されているのにも拘わらず澱みのない足取り。一時的に思考が麻痺しているだけかもしれないが、それにしても動揺がなかった。
この事実にロイドは感心と疑問を同時に抱く。仮にこれが元兵士であったら、十分に納得がいくものだ。しかし彼らは兵士ではない。もしくは騎士でもない。ところが彼らは指示通りに動いた。
「意外かね?」
少し考え込んでいたロイドに村長は尋ねる。誤魔化す必要もないので、ロイドは素直に頷いた。
「失礼かもしれんが意外だ。消えたと思った魔獣に襲われ、同村の人間が死んだのだから普通は取り乱したりするものだろう」
もっと言えば、魔獣を魔獣と認識している人がいない可能性だってある。なぜなら基本体に魔獣はロイドたち兵士が食い止めていたので、普通の市井の人は魔獣がどのような存在なのか知らないからだ。
「その考えはもっともだ。実際に魔獣とやらを知っていたのは儂だけであるからな」
村長はそこまで言って、しかしと続ける。
「儂らの村は森の獣を狩って生活している。その中で狩りに失敗し、獣によって命を落とす奴らも少なくない。故に儂らは……特に男どもは生死に慣れているのだ」
ああ、とロイドは納得する。人の死生観が形作られるのは経験と環境の二つ。つまり彼らは魔獣と戦う兵士ではないが、獣を狩る狩人であるため、ある種の残酷さを身に着けているのだった。
「なるほどな。理解した」
そう言いながらロイドは腕に巻いていた外套を着る。もう自分のすることは終わったので、彼はここを立ち去るつもりだった。
「では俺はもう行く。狩人のあんたに言うことではないだろうが……くれぐれも魔獣を甘く見ないでくれ」
「……相分かった」
背を向けてロイドは歩き始める。が、幾ばくか歩いたところで彼は足を止めて振り返った。
「俺が間に合ったのはあの少女が助けを求めたからだ。村長、あんたのことも心配していたぞ」
今度こそロイドは振り返らずに歩いていく。彼の心内は魔獣の発生に対する疑問と様々な推測。また、出来るだけ早く王国へ帰り、ヴァレンに報告しなければならないとも思っている。いや、もう把握している可能性が大きいので、今後の判断を仰がなければいけないかもしれない。
瞬間、ロイドはふと我に返り、もう兵士ではないのにいつの間にか再び魔獣と戦おうとしている自分に気づいた。
おかしい。非常におかしい。一度そう思ってしまうと、複雑に絡み合った自分の感情や考えが如実に浮かび上がってくる。一体全体、自分は何がしたいのか。魔獣を殺したいだけなのか。分からない。
このように歩きながら漠然と考えていると、去るロイドの背に声がかかる。
「兵士殿。感謝する」
村長の感謝の声にロイドは思わず足を止めた。
兵士。この単語は現代において特別な意味を持っている。魔王が現れたことによって変化した兵士の意味。昔は国家間の戦争の際に戦う者で、今は魔王軍と戦う者。すなわち現代における兵士は人類の守護者と相違ない。
つまり兵士とは、命を懸けて人類の為に魔王軍と戦った者だけが名乗れる栄誉ある肩書なのだ。
「娘を助けていただきありがとうございました!」
「おじさんありがとう!」
続けて背中に投げかけられる感謝の言葉。今度は先ほどの父親と少女だ。
ロイドは乾いた心に潤いがもたらされる感覚を抱く。今なら、今だけは友人である勇者が言っていたことが分かるかもしれない。
初めて人を助けたことによって言われた感謝の言葉。まだ完全に理解するにはほど遠く、ロイドの複雑に絡み合った心を解かすほどでもない。だがそれでも彼ら三人の感謝は確かにロイドに届いていた。
だからロイドが返す言葉は一つだけ。
「先の無事を願っている」
三度ロイドは歩き出す。いや、時間が勿体ないので走り出す。強化術を掛けて出来るだけ速く、更に速く。森の中を出来得る限りの速度で走った。
すると段々と先程の感覚が薄れていく。この感覚が大切なものであることは知っているが、なんとなくずっと浸っていたら駄目になると思ったのだ。故に、ロイドはいつもの感覚を取り戻し、ただひたすらに走る。
魔王が討伐されたのにも拘わらず、なぜ魔獣が現れたのか。何か大きな意志が知らぬ場所で渦巻いている気がしてならなかった。
***
旅先の北方諸国から走ったり馬車に乗ったりすること三か月。道中、襲ってきた魔獣を殺しながらも、ロイドは出身国であるグリュンバルト王国に帰り着いた。
グリュンバルト王国は西方諸国に位置するので、北方諸国より暖かい。急ぎのあまり服を変えていなかったロイドは久しぶりの暖かい気候に暑苦しさを感じていた。
だが、服を新たに買う時間すら勿体ないと思ったロイドは、そのままの服装で王都へ向かう。ヴァレンが今どこにいるか全く分からないが、少なくとも王都に行けば何かしらの情報が手に入るはずだとロイドは考えていた。
とはいえ、昔と違って今のロイドは無職の旅人である。ヴァレンへ取り次ぐ手段が見当たらない。さて王都へ辿り着いたはいいもののどうしたものか。
そこまで考えたロイドはふとヴァレンとの別れ際を思い出し、背嚢の中に手を突っ込んでガサゴソと何かを探す。十数秒後、背嚢の中から引っ張り出したのは一つの煌びやかな勲章だった。
これは全兵士に国王から贈られた勲章である。しかもこれは前例のあるものではなく、兵士だけの為に新たに作られた特別な勲章なのだ。そんな栄誉ある勲章を貰っておいてなぜロイドは忘れていたのかというと、ただ単純に彼が実用性のないものに興味がなかったからである。
あまりにも無頓着すぎる性格にヴァレンが顔を顰めたのは想像に容易い。だが、当の本人であるロイドはそれでもなお改善する気はさらさらなかった。
というのは置いといて、ひとまず身分を証明できる形になった。あとはヴァレンと繋がりのある場所へ行って取次ぎを求めるだけである。
ロイドは再び背嚢を背負いなおし、噴水の縁から立ち上がって、王都の中心部へ歩き始めた。
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