第3話 映すは怨獣、駆けるは救援
体に染みついた慣れというものは時に役立つ。ロイドは無意識に強化術を発動して森の中を駆けながらふと思っていた。
もう自分は民を守る兵士ではない。ただの無職の旅人だ。人を助ける義務はなく、無視しても問題ないだろう。だが、その考えに反してロイドの体は動いていた。
理屈ではない。心に住み着いているもう一人の自分が言うのだ。ここで目を背ければもう胸を張って前に進むことは出来ない、と。
もう一回、悲鳴が聞こえる。
助けを呼ぶ声が聞こえる。
近い。
ロイドは更に速度を上げて茂みから躍り出た。目線の先には腰を抜かして恐怖の顔を浮かべている一人の少女、相対するのは見慣れた憎き獣――――。
「なぜ」
驚愕と疑問で頭が白くなるが、何万回と殺した敵が相手なので体は自然に動いた。
少女へ振り下ろされる黒き鎌。少女と敵の前に割って入り、一瞬で腰から抜いたブロードソードで受け止める。甲高い音が響き、懐かしい衝撃がロイドの体に走った。
「……ぇ」
背後の少女が言葉にならない声を零す。ロイドはそれを無視して、再び振るわれた鎌を弾き、敵の懐に入り込んだ。
この敵は鎌のような両腕を使って攻撃してくる。体躯は一般男性の二倍程度。異なる点は多々あるが、虫の蟷螂によく似ている。兵士時代に何回も相対し、数えきれないくらい殺してきた。
故に、対処法も熟知している。
懐に入れば問題ない。
ロイドは後退しようとする敵の足を踏みつけ動きを止める。敵が何とか鎌で攻撃する前に、ブロードソードを奔らせて腕を斬り飛ばす。続けて流れるように敵の首を刎ね飛ばした。
気色悪い敵の頭部が宙に飛び、地面に落下する。制御を失った胴体はその場に崩れ落ち、次第に紫煙を漂わせながら消えていった。
ロイドはブロードソードを鞘に納め、その場で呆然とする。
もう終わったはずだ。勇者が魔王を討伐したことによって、消え去ったはずだ。なのに何故……魔獣がいるんだ。
戦闘が終わったことで戻って来た思考。ロイドは幻かと疑うが、身に伝わった懐かしい衝撃が現実だと証明している。間違いなくこの場に魔獣がいて、ロイド自身が殺したのだ。
「ぁ……あの……」
呆然としているロイドの背後から声が聞こえる。そういえば少女がいたことを思い出したロイドは一度、思考を止めて振り返った。
「大丈夫か。怪我は?」
「ひっ……」
愛想の欠片もない言葉。ロイドが未だに外套を纏っており、恐ろしい魔獣を殺したことも相まって少女は怯えていた。
仮にこれが勇者ならば膝を地面について優しい言葉の一つや二つかけていただろうが、ロイドにそんなことは出来ない。それでも少女が悲鳴を口を押えて我慢しようとしているのは、彼女が心優しいからなのだろうか。ただ少なくとも、この場を誰かが見れば悪者はロイドである。
武器を持った男に腰を抜かして怯えている少女。ようやくこの構図を理解したロイドは悩みながらも一歩、少女から離れて外套の被り物を外した。
「……俺はただの旅人だ。お前に危害を加える気はない」
今までずっと長い間、戦いに身を置いてきたロイドにとって、この状況の最適解が分からない。だから最低限、身分を開示して安全性を示した。これでもなお怯えられたらそれまでであり、大人しく去るしかないだろう。
「あ、あの……えっと……助けてくれてありがとう……」
まだ十代前半だろうか。魔獣に襲われて恐怖し、未だに怯えているのに少女はロイドに感謝の言葉を伝えた。襲われた実感がないだけかもしれないが、年齢にしては随分と肝が据わっている。
「構わない。運が良かっただけだ。それより……なぜ魔獣がいる? 奴らは消えたはずだ。何か知っていることはあるか」
ロイドの問いに少女はふるふると首を横に振って否定する。分かり切っていたことだが、どうやら少女は何も知らないらしい。これは元団長のヴァレンに報告する必要があるなとロイドが考えていたら、思いがけない声が上がる。
「わたしの……わたしの村を助けて……みんなが襲われてるの……!」
「なに?」
「きゅ、きゅうに化け物が襲ってきて……お母さんが逃げなさいって……お父さんと村長のおじさんが倒しに行くって……」
ロイドは少女を観察する。嘘をついている様子はまるでなく、まだ立ち上がれていないが目は力強い。助けを求めるまで間があったのは、魔獣に襲われたことによって一時的に忘れていたのだろう。
つまり少女の助けを求める言葉は真のものであり、実際に彼女の村は魔獣に襲われているということだ。そうと分かれば後は行動するのみ。もう今は兵士でないとはいえ、その精神性は健在である。また、ロイド自身、魔獣によって故郷が滅ぼされているので、助けを求める手を取らないという選択肢はあり得なかった。
「分かった。案内しろ」
「え……きゃっ!」
ロイドが少女をひょいと抱えると彼女は小さな悲鳴を漏らす。傍から見たら誘拐現場のようだが、この緊急時にいちいち気にしていられない。
「切り替えろ。今は俺を案内することだけに集中しろ。でないと手遅れになるぞ」
「っ……あっち!」
「了解」
少女が指差す方向に向かってロイドは駆ける。強化術によって底上げされた身体能力は、不安定な足場でもいつもの速度を出すことを可能としていた。
「この方向で間違っていないか」
抱えている少女に軽く目を向けながらロイドは尋ねる。仮に走っている方向がズレていたら、遅れて間に合わない可能性が出てきてしまう。しかも案内人は年端もいかない少女だ。信用をしていないわけではないが、逐一確認した方が良いとロイドは思っていた。
「……っうん! よくお父さんと遊んでる場所だから……」
「ならば良い」
慣れ親しんだ場所ならば信じて問題ないだろう。そう考えたロイドは更に速度を上げる。抱えている少女が息を漏らしてロイドの体にしがみ付く。
「……この音……あれか」
「あぁ……」
しばらく走ると怒号と悲鳴が聞こえて来た。そして遠目から村の様子が見える。比較的、規模の大きい村だからか、まだ全員魔獣によって殺されている訳ではないみたいだ。
しかしゆっくりはしていられない。村に多少戦える者がいたとしても、魔獣が相手だと分が悪いだろう。更に襲っている魔獣は蟷螂のような奴――黒鎌獣だ。強さはそこそこ。数もそれなりに多い。どう考えても全滅の二文字が目に見えていた。
「……目を閉じてろ。絶対に開くんじゃないぞ」
「う、うん……」
少女に言ってロイドは村に飛び込む。予想通り、辺りには村人の死体が転がっていた。全員もれなく血を流しており、腕や足など体の一部が欠損している死体が殆どである。この光景をロイドは予想していたので、少女に目を閉じろと言ったのだ。
ただ、少し離れたところから人の怒号が聞こえるので、まだ黒鎌獣を相手に抵抗しているのだろう。ロイドは少女をどうするか一瞬悩んだものの、抱えたまま再び駆け出した。
段々と大きくなる怒号と甲高い音。ロイドは近場の家の屋根に飛び乗って先を確認する。すると、一つの大きな建物を守るようにして、何人かの男たちが武器や農具を振るっているのが見えた。おそらく建物の中には女子供がいて、それを男たちが守っているという形なのだろう。
彼らに群がっている黒鎌獣は八体。建物の前が狭いので、黒鎌獣は互いに邪魔し合って上手く動けていない。また、男たちが長槍で距離を取りながら抵抗しているのも、まだ彼らが全滅していない要因だった。
ロイドは他に魔獣がいないか辺りを素早く見渡す。そして他に魔獣はいないことを確認したロイドは、少女を屋根の上にそっと置いた。
「もう目を開けてもいいぞ」
ロイドが言うと、律儀に彼の言いつけを守っていた少女は恐る恐る目を開く。
「ここは屋根の上だ。いいか。これから俺は魔獣を殺しに行く。少し離れるが、ここでじっとしていろ。分かったな」
「……わかった」
不安の色を瞳に宿しながらも少女は素直に頷く。その様子を見たロイドは着ていた外套を脱ぎ、少女に被せた。
「わっ」
「安心しろ。すぐに奴らを殺してくる」
ロイドにとって黒鎌獣など臆するに足らない。数が八体であってもだ。一年ぶりの魔獣討伐ではあるが、体に五年間の濃密な経験が染みついているので、何ら問題なかった。
ロイドは屋根から飛び降り、空中でブロードソードを鞘から抜いて、落下と同時に一体の黒鎌獣の頭部を斬り落とす。同時、突如として現れた乱入者に他の黒鎌獣が一気に反応した。
近場の黒鎌獣が腕鎌をロイドを目掛けて振るう。対するロイドは瞬時に身をかがめて回避し、そのまま空いた胸にブロードソードを突き刺した。
黒鎌獣が後退ろうとするが、ロイドは一歩踏み込んで突き刺したブロードソードを真上に跳ね上げる。胸から頭部にかけて切り裂かれた黒鎌獣はその場で崩れ落ちた。
あと七体。ロイドを脅威を判断したのか、全ての黒鎌獣が彼に集中する。
これでいい。これでいいのだ。一番面倒なのはこれ以上村人が死ぬこと。だからロイドはわざと自分の姿を晒した。奴ら魔獣は大した知能は持っていないが、脅威を感じ取る知能ぐらいはある。全てロイドの思惑通りだった。
「フッ――」
ロイドは軽く息を吐いて腕鎌を躱し、時に弾き飛ばす。黒鎌獣の攻撃方法は腕鎌と嚙みつきだけなので、その二つだけに気を付けていれば問題ない。
まず一体、腕鎌を弾いたことで出来た隙をついて懐に潜り込み、首を刎ねる。背後から振るわれる腕鎌をブロードソードで受け止め、力の支点をずらして片腕を切り飛ばす。そして間髪容れずに胸を突き刺した。
これであと五体。
学習という言葉が存在しない魔獣は窮地に陥っても同じ行動をする。ロイドは五年間の経験によって黒鎌獣の攻撃を全て躱し弾き、瞬く間に蹂躙していった。
仮に普通の元兵士だったらもう少し苦戦していただろう。だが、ロイドは元勇者候補である。兵団に所属していた時では、兵士約二百名の中で元団長のヴァレンに次ぐ実力の持ち主だった。故に、そこそこの強さがある黒鎌獣八体が相手でも、簡単に全滅させることが可能だった。
「ふー……」
全ての黒鎌獣が紫煙となって消える中、ロイドは息を吐きながら肩を回す。一年ぶりの魔獣との戦闘は存外くたびれた。しかし同時に腕は錆びていなかった。
ロイドは切り替える。
まずは呆けている男たちに対しての説明だ。
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