第28話 四日目② ~ウィーン・仕事~


 先ずは市内のシュテファン大聖堂へ。ゴシックの骨ばった塔が美しい、ウィーン中心部のランドマークだ。なかに入るとやはり武骨な柱と、幾層にも重なる穹窿がいかめしい。堂内は何處までも広く、ステンドグラスは遥か先だ。引き比べれば自身の如何に微小であることか。左右の窓から射す午后の光が大理石の床を暖めている。救いの手を差し伸べるように。


 余韻に浸りながら大聖堂から出てくると、周囲はごく近代的なビルと市民の日常生活が取り囲んで、胸倉を掴まれ過去から現代に引きずり戻されたような心地がする。だがこれはウィーンに限った話ではないのだろう。現代的なショッピングを楽しむ人々のあいだを歩いて国立図書館へと向かう。

 ホーフブルク王宮の一角に立つ国立図書館は、その外観も内観も宮殿のようだ。映画のセットのなかにいるかのようで、まるで図書館とは思えない。此処と云い、チェコの図書館と云い、欧州は思わぬところに転がる美が、それが如何に贅沢であるか自覚せぬまま無雑作に置かれていて、旅人に息をつかせるいとまを与えない。



 ホテルでダヌシュカさんと再会し、夕食へ。仕事の打ち合わせは無事済んだらしいが、スーツに眼鏡に凛然きりっとした表情はいまも何處かしら仕事モードだ。


 初夏の空気が心地いいのでオープンエアの席を探すが、考えることは皆同じのようで何処どこ彼処かしこも混んでいる。

 一体欧州人はオープンエア好きだ。屋内は禁煙が徹底されているためと云う事情もあるのだろうが、私の見る限り、非喫煙者であっても外を好む向きは多い。真冬でもコートを着込んでテラス席でさわいでいるほどだから、いわんや初夏に於いてを、である。ようやく席の空いている店を見つけて座り、メニューを開いた。


 チェコ以来、ビール気分が続いている。オーストリアもチェコに劣らずビール好きを以て鳴らす国だ。ドイツやベルギーあたりも加えた此の一帯は、政治的にはべて嘗ての神聖ローマ帝国やその後継たるハプスブルク帝国の勢力圏であり、人と文化の交流も年中であったから、所与の自然環境もひとしなみにビール造りの好適地と来れば揃ってビール産業とビール党が栄えるのも当然だろう。

 そこでオーダーしたのはウィーン産の代表格、オッタクリンガーだ。ウィーンの地に醸造所を構え、生産が始まったのは二百年近くも遡る。丁度いほろ苦さで杯が進みそうだが、今日は仕事だ。一杯で我慢する。


 早めの食事にしたので空はまだ昼と云ってもいぐらいで、街は愈々喧騒の度を増すようだ。周囲の座を占めるのは些か年紀としを召されたカップル、男盛りの友人同士、尽きない話で笑いさざめく令夫人マダムたち。各自てんでに喋って種々の声が入り乱れるが、不思議と煩くは感じない。すぐ前の通りを東洋人の団体客がよぎって行った。んな小さなレストランに彼らが立ち寄ることはないだろう。大儲けの機会は逸しているが、そんな店だからこそ愛する常客もあるのだと思う。


 料理は勿論シュニッツェル。叩いて薄く伸ばした仔牛肉を揚げた、名にし負うウィーン名物だ。皿一面を覆うほどのサイズが圧巻だが、レモンと塩とでアクセントをつければどんどんいける。熟々つくづくこのあと仕事だと云うのが恨めしい。しかしその仕事がなければそもそもオッタクリンガーともシュニッツェルとも出会うことがなかったのであるから、受け容れなくてはなるまい。

 人の上には禍福がともに訪れるものだ。両者の重量がひとしくなるよう運命を差配する何者かが、何處かにるのではと感じる時がある。うであるならば、愛する家族を奪われた依頼者の禍いは今夜、加害者ターゲットの死を以て幾分かあがなわれるのかも知れない。


 無論、手を下す私の罪がそれで薄められると云うつもりはない。因果応報が正しい此の世のことわりならば、私こそが最もむごたらしい死を迎えるべきだろう。死を望んで云うのではない。だ全ての殺人者の上に因果応報が実現すればんなにかいだろうと――殺された者たちの霊魂のために――夢想して云うだけだ。そのとき私自身も同じ法によって罰を受けねばならぬなら、私は従容として死におもむこう。


 さて、仕事だ。



  * * *



 アルコールを抜くためもあって、夜の街を歩く。旅行客が多いからか、ウィーンの夜は随分賑やかで華やかだ。ライトアップされた国立歌劇場が夢幻のように浮かび上がる。公演があるのだろう、着飾った男女が次々吸い込まれていくのを見るうちモーツァルトのいた時代に迷い込んだかと錯覚してしまいそうだ。ふわりと現実の足場をくすような心地がする。このあとの仕事も夢のような嘘であれば良かったのにと思うが、残念ながらそこまで都合よく妄想はできない。


「奴は、反省の色を微塵も見せなかった」と依頼人は云ったのだそうだ。

 あまつさえ、判決文が読み進められていたとき背後うしろへ目を遣り、せせら笑ったのだと云う。怒号と慟哭にどよめく法廷で、殺された女の夫は復讐を誓った。

 殺人者にも一分の理はあるのかも知れぬ。だが自らの奪った生を哂う者に、自らの生を惜しむ資格を私は認めない。現代の法と倫理が何と云おうとも。彼の死を被害者遺族が切に望み、それを成就させる力が私にあるのなら、力の行使は私の使命だ。仮令たとえ神と人から忌まれる行為であろうとも。いつか酬いは受けよう。それを一分の理として、依頼のある限り私は罪を重ねる。

 郊外へ向かう車の中でダヌシュカさんからこの話を聞いた。私は依頼人とその亡き令閨の魂の平安を祈りながら、睡眠薬を喉へ抛り込んだ。



 やがて私はベッドの上で目覚めた。ベッドが四台よっつの、くらい部屋だ。初夏と云うのに部屋の中はうすら寒い。川の水の音が遠く聞こえる。今私は、標的ターゲットである殺人者のからだの中にいる。

 躯への馴染み具合を確かめがてら、手探りでベッドの下からつつみを一つ拾い上げた。それは今日午后、彼の母から届けられた差し入れの包――ということになっている。何故私が知っているかと云うと、先刻ダヌシュカさんから聞かされていたからだ。


 包を開くと中から出てきたのは一冊の聖書。長年絶縁し一度も面会に来たことのない母から贈られた聖なる書をも、彼は冷笑したのだろうか。考えても詮ないことだと自分で分かっている。この書は彼の母からの贈り物などではないのだから。彼女が息子に何かを贈ることはこの先もないだろう。


 ようようと星明りに目が慣れてくるのを待ち、私はページを繰ってヨハネの黙示録のくだりを探す。其処に辿り着くと最初のページを破いて口にふくんだ。けるような痛みが舌を衝き、眩暈がするのを無理にみ下す。激痛が喉を下っていく。黙示録に塗られていたのはアルカロイド系の毒薬だ。即効性で、激甚な苦痛を伴う。天の怒りが世界を割り、悔い改めぬ者たちの上にわざわいと破滅の嵐が吹き荒れる様子さまにも似て。

 福音書記者エヴァンジェリストヨハネの幻視は、人の死も苦悶をも嗤ったこの男に伝わっただろうか。


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