第19話 六日目① ~マテ茶・パラナ松・六月祭~


 昨夜遅くに肉を食べたおかげで、今朝は朝食をれる丈の腹がない。それでも早くから目は覚めるし喉だけは渇くので、買ってあったマテの葉を開けて茶を淹れてみた。


 マテ茶は南米原産のマテの葉や小枝から淹れる茶だ。

 ビタミン・ミネラルを豊富に含み、飲むサラダとも称される。コップやポットに葉を入れて水を注ぐだけ、と飲み方は至ってシンプル。コップに入れた場合は茶しのついた専用ストローで飲むのだが、ホテルの客室に常備されていよう筈もないので、今回はポットを使う。グラスに注いでみるとかなり茶葉が混じったが、それもご愛敬だ。

 味は緑茶より幾分らしさが強く、藺草いぐさを思わせる独特の薫りがする。香ばしい草と云えば近いか。人にっては癖になるかもしれない。


 茶を飲み終えて、外を見るとようよう街も動きだしたらしい。着替えて外へ出た。

 陽が射しはじめたばかりの朝の街は意外なほどに冷え込んでいる。鞄の奥に眠らせたままのセーターが恋しくなるが、今更未練は止そう。歩くうち体も温まるだろう。


 目の前のバス専用道を、三台連結されたオレンジ色のバスが通り過ぎた。少し先のバス停には透明なアクリルの筒のような駅が置かれて、乗客が其処から乗り降りしている。乗車賃の精算はバスの乗り降りの際ではなく、駅の出入りの際に行われる。規模は小さいが、仕組みは電車の駅と同じだ。

 普通に道路を通るバスもある。こちらは連結していないのが普通だ。この街には電車がない代わりに、縦横無尽にバスが往き来して市民の足になっている。


 道路は道巾が広くとられて、歩道や中央分離帯にはえられた草木が年中なにかしらの花を咲かせている。

 今は丁度、ブラジルの国花イペーが花の盛りをえて、黄色い花弁はなびらを道に散らしていた。


 高層アパートの並ぶ合間に時折古びた邸宅が残っている。重たげな瓦屋根に煙突が必ずつくのは、何処の家にもシュラスコ用のかまどがあるからだろう。

 緑の庭と石の歩道とをかくする低い塀。塀一面を覆う緑の蔦の葉が動いているように思えて目を凝らせば、そこにいたのはハキリアリだ。剪り落とした葉を担いだ蟻が列を成していたのだ。南北アメリカ大陸に生息するこの蟻が運ぶ葉は、そのまま餌になるのかと思えばに非ず。運ばれた葉はアリタケと呼ばれる菌類の菌床となり、蟻はこの菌を食べる。

 農業大国ブラジルでは、蟻さえも農業に勤しむのだ。



 ブラジルの旅も今日が最後だ。

 チェックアウトしクリスティナさんの車にスーツケースを載せる。そのあと昼食のため向かったサンタフェリシダージはもとはイタリア系移民が集まって作った町だ。今では半ば観光地化されて、通りにはイタリア人たちの作ったレストランや店が軒をならべている。

 そのうちの一軒に入ると駐車場には観光バスが幾台もまっていた。

 白亜の宮殿のような佇まいのこのレストランは一度に四千数百人もの客を容れることが出来るとしてギネス認定された(現在はその地位を他に譲った)名物店だ。週末にはその四千余席が埋まって順番待ちの列が出来るらしいが、流石に平日の今日は待たされることなく席へ案内された。


 飲み物だけ注文すると、直ぐに皿が幾つも運ばれてくる。例によって食べ放題だ。

 手羽先の素揚げ、サラダ、トマト、マンジョッカ(キャッサバ)フライ、チーズ。なかでも店の自慢は手羽先の素揚げだ。表面はカリカリ、それでいて鶏肉のジューシーさを損なわない絶妙の揚げ具合で、幾らでも食べられる。一皿に五個いつつほど載せられていたのが空になると間を置かず次の皿が届けられた。これでは手羽先のわんこ蕎麦だ。

 そのうちペースが鈍ってくると、まだ一個二個ひとつふたつ手羽先の残った皿を下げて、新しい揚げたての皿を持ってくる。サラダやマンジョッカフライも同様だ。

 どうもブラジル人は食べ物を粗末に扱うことに罪悪感が希薄と見えて、大量に料理を皿に盛っておいて平気で食べ残すし、残した物は未練なく棄てるようだ。農産物に恵まれたブラジルの人々が、有史以前から度々飢饉に見舞われた記憶が社会の遺伝子に刻み込まれた日本人と感覚を同じくすることはないのかも知れない。

 但し、路上生活者が飲食店から出た残り物を当てにしているらしいふしはあるので、その点に関しては日本人である私の目から見ても救いのある仕組みだとは思う。


 ここでも料理を持って廻って客の注文に応じて給仕する店員がる。フィレ肉、鶏肉のトマトソース炒め、ラザニア、パスタ。ラザニアは美味しかったが、パスタは正直云って茹で具合がいま一つ。ピザは出てこない。イタリア系のレストランなのに、と感想を口にすると、

「手羽先の店ですから」

 と、当然と云う顔でクリスティナさんは返した。続けて、ピザ用の石窯がないレストランで美味しいピザが食べられる訳がない、と。この店で食べなくとも周囲には美味しいピザ専門店が幾らでもあるらしい。


 最後のみそぎの一品はキンジン、卵黄入りのココナツプリンだ。この語はアフリカに淵源があるらしい。

 黄金色に輝く姿はいやが上にも激甘を予感させたが、その期待をたがえることは無論なかった。


 会計を済ませていたところで、急に騒音が大きくなったと思うと外は驟雨が猛烈にアスファルトを叩いていた。暗くなった空では雷神を戴いた黒雲が不穏な音を鳴らしている。突風が樹々を揺らして、駐車場に並んだ車を横殴りの雨が乱暴に洗う。

 先刻までは真っ青に晴れていた空がほんの一瞬で嵐になるとは、これも山の天気と云うものなのだろう。気紛れな天は人々を驚かせて気が済んだのか、ほんの数分はげしく雨を降らせたあと嵐はあっさりと去った。

 私たちは雨が小止みになるのを待って車に乗り込み、少し遠回りをして街へ向かった。車を走らせるうち次第に窓の外が明るくなってくる。


 雨が上がって陽が射すと、大豆畑の上に虹が架かった。なにものにも区切られないまったき空に、けることなく綺麗な半円を描く七色のアーチ。天にはうすい雲がかかり、地には濡れた道路が水先を案内する。


 虹の下に広がる緑の大地に変化をつける特徴的な樹は、パラナ松だ。

 真っ直ぐ伸びた太い幹の頂上のあたりで傘が開いたように枝が八方へ広がる。穀物畑や草原の中にパラナ松の立つ様子はどこかサバンナの植生を思わせるが、此処はれっきとした温帯気候。緯度にして南緯三十度、沖縄より低緯度になるこの地がほど暑熱でないのは標高千メートルの高地に位置する為だ。


 パラナ松は州の保護指定樹木で、枯れない限りることは禁じられている。お蔭で街じゅうにランドマークが乱立しているが、開発に邪魔となると枯葉剤を撒いて故意わざと枯らす不心得者も在るのだとか。


 「松」と称しているが、この樹は実は、厳密には松ではない。とは云え杉の一種だと云うから私にすれば大差ないし、他の多くの者にとってもそれは同様らしい。きっと今後も「松」と呼ばれ続けることだろう。

 種子は食用になる。その名をピニャオン。味は、少し素朴な栗と云ったところ。食感は銀杏が近い。


 ピニャオンと切り離せないのが、真冬にかかろうという時期に行われる六月祭フェスタジュニーナだ(七月に入っても続く)。もとはポルトガルで聖人の日を祝う祭りだったのがブラジルへ伝わると、農繁期を終えた冬の祭りに発展したらしい。田舎のお祭りと云った風情で、皆が競って田舎くさい仮装コスプレをする。カラフルな衣装に身を包み、顔には雀斑そばかすを点々と描いて髪は三つ編み、頭には麦藁帽をかぶる。

 輪になって陽気に踊る人たちへ名物として供されるのがこのピニャオンと、甘いホットワインとケンタォン(カシャーサに生姜や砂糖を入れぬくめた飲み物)だ。


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