第13話 三日目① ~楽園の車窓~
依頼を果たして私の意識が元の躯に帰還したのが昨夜十一時。ホテルで僅かな時間横になっただけで、
観光列車は毎週末に運航されている。
パラナの州都クリチバ市から、外港パラナグアにほど近い町モヘッチスへと、絶景の山岳地帯を縫って走る列車はゆっくり三時間余りをかけ標高差約千メートルを
空港からホテルへも寄らず直接駅へ向かうと、駐車場にはツアー客を乗せてきたらしい大型バスが
車輛はホームに横付けされていたが、まだ乗せては貰えない。私の乗るべき車輛は
茫然としていると、白い煙と共に別の車輛が向こうからやって来た。ゆったりと、堂々と、置いてき放りなどと心配した私を宥めるかのような悠揚迫らざる姿だ。
私の車輛は最後の二十七輛目だった。後から到着した後方の数輛は特別仕様で、それぞれ観光を楽しむための趣向が凝らさられているなかでも、最後尾車輛は側壁の半ばほどが取り払われ三百六十度視界を邪魔するものとてない。風雨の
女性乗務員が入ってきて、マイクを手に話し出した。
各車輛に一人
歌うように節をつけて、時に身振りも交えてサービス精神たっぷりだ。長年の間に様々な人種の血が混じったらしい風貌で、なかでも黒人の血が最も濃く出ているように見える。
紙の箱に入った朝食セットも彼女が配ってくれる。パンが二つに、チョコチップクッキーに林檎。飲み物は水にジュース、コーヒー、それにビールも選べて、飲み放題。
それにしても先頭から私の乗る最後尾まで全二十七輛、実に長大な車輛編成である。
そろそろとホームを抜ける間、ホームに居残る駅員たちが手を振ってくれる。彼らの
列車はクリチバの街を
申し訳ない思いで窓から外を見た。ところが道を塞がれた車も人も焦る様子を見せず、列車の再び動き始めるのを、周りの人たちと談笑しながら待っている。此処は時間が
再び動き始めて
線路沿いに時折緑地が現れるのだった。そこに咲いているのは
さらに進むとビルディングも家も次第に姿を消して、代わりに見えて来たのは一面の緑。草を食む馬の親子が遠くに見える。土地の遣われようは実に贅沢だ。広大な牧場に、馬は
次第に列車は山中に分け入り、
其処は楽園の廃墟のようだった。
絶景。手つかずの自然と、そこへ敢然と踏み込んだ人々の痕跡。たびたび川を横切り、其処らで瀧が白い水を落とす。
断崖に架かる鉄橋の遥か下には清流が見える。
放置された家。かつては駅舎だった廃墟。人の営みの遠い幻影。
列車は木陰の合間を縫って進む。見上げれば、樹々の切れ間から眩しい太陽。芭蕉の葉が大きな掌を開いている。
目の前に
夢と云うなら、日々この世で人が人を殺しているなど、それこそ夢のようだ。此処にいると、
そう云う私自身が昨日ひとを一人殺したばかりなのだが、と自嘲した。
それは途中立ち寄った店で買っていたお萩と大福。日系人の作る美味しい餅なのだと彼女は云った。日本から分かたれて異郷の地に百年、和菓子は未だに日本の薫りを忘れていない。
やわらかな白い餅と、
私の罪を罰するには、その餅の甘さはあまりに柔らかく、優しかった。
列車は
左右に度々カーブする軌道を列車は地形なりに蛇行する。壁の殆どを取り払った客車からは、前方の二十六輛が長大な体を捻りながら進むのが見える。蛇が行く――まさにその言葉が相応しい。
長い下り坂を
数十メートル下、手つかずの原野。無遠慮に踏み込む列車の足下では深い緑の上を赤や黄の蝶が
時に緑の蝶と見紛うのは、落ちてくる葉。
バナナが緑の硬い房を無数に生らせている。尻を天に向け並べて。バナナの巨大な葉は陽の光を我が物顔に浴びて、いい
軌道の左右に次々姿を現す
大樹はその幹と枝に羊歯や蔦や苔を纏っている。
枝の叉に飛んできた種子は宿主の与える環境下で
南米の山の奥、街と
人工物をも身中に取り込む豊かな自然――この野放図な野生の楽園は、智慧の実を食べた人間を迎え入れてくれるのだろうか。
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