chapter 2

 二九九八年、米国のバイソン社が開発した神経接続型ブレイン・マシン・インターフェイス『Dice』が富裕層を中心に爆発的に普及した。

 これは装着者が望む理想の世界をコンピューターが自動生成し、感覚データを脳に直接送り込むことで、装着者にあたかも自分が理想郷にいるように思わせるものだった。


「夢を見せてくれる機械ってこと?」


 キングサイズのベッドの上で、幼子は父に聞いた。


 たくましい体つきの父親は、息子の頭を優しく撫でた。


 少年は笑んだ。


 父親は息子に微笑み返すと、優しい声で答えた。


「そう。それで大勢が夢の世界に入り浸って、国中が貧乏になってしまったのさ」


「だから街にはスラムがいっぱいなんだね。でも、どうして夢を見せる機械で国が貧乏になるの? みんながその機械を買ったら、いっぱい儲かるよ? それに、いい夢見たら僕きっと明日だって、来週だって頑張れるよ」


「ハッハッハ、そうだね。でもな、ジョン。Diceが見せる夢はあまりにも心地が良すぎるんだ」


「パパも使ったことあるの?」


 少年に問われた父は、一瞬遠くのほうに目をやり、そしてすぐにまた息子に微笑みかけてみせた。

 しかし、その目は先刻よりも幾分か寂しげだった。


「ないさ。けど、Diceを使った人間はみんなそう言う……さっき、Diceは富裕層を中心に普及したと言ったろう」


「うん」


 上目遣いで父を見上げるその表情から息子の不安を汲み取った父は、やや大げさに口角を上げてみせ、それから再び語りだす。


「国が貧乏になってしまったのはな、理想郷の虜にされた権力者達が、さらなる富を追求することに関心を示さなくなって、莫大な資産を持て余し始めたからなんだ」


「もっといい夢を見られるように頑張るんじゃないの?」


「メーカーが売り方を間違ったのさ。せめて月額プランにでもしていればよかったものを、なまじ出来のいい製品を安く売りすぎた」


「いくらだったの?」


「一万ドル」


「高いよ」


「それでも、そこそこの稼ぎがあれば残りの貯金で一生分の飯が買える。毛皮のコートも、ダイヤの指輪も、夢で買えばいい。楽しいことはみんなDiceの中さ」


「プレイステーションも?」


「プレイステーションもだ。お金なんて払わなくとも、望めば目の前にプレイステーションが出てくる。ソフトもだ。その上勝ち放題さ……」


 父がまた遠い目をしているのを、息子は見逃さなかった。


「どうしたの?」


 そう言われて我に返った父は、振り払うように首を素早く細かく振った。


「いや、なんでもない。ともかく、バイソンっていうチャーミングな会社のおかげで、街にスラムがわんさかできたってことさ。さあ、もう寝なさい」


「はーい! おやすみ、パパ」


「ああ、お休み」


 父はにこやかに息子に毛布をかけ直す。


 そして、細めた目で息子が眠りについたのを確認すると、ひとり起き上がり、じっと正面の壁を睨む。


 毛布の端を掴んだ手が力む。


「そんな綺麗な世界であるものか……あんな、あんな破廉恥な……」


「パパ?」


 息子の無垢な声にハッとする。


「ジョン、起きてたのか」


「ママはいつ帰ってくるの?」

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自然について Mojarin_Baby @MojarinBaby

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