Ride The Lightning

chapter 1

 ヘラクレイトスは――諸々が絶えず変化し、対立するこの世界を火に例えた。そして、火の運動の普遍性を担保するものとしてロゴスの働きを想定した。


 このロゴスの必然性を証明することは不可能だろう。


 だがそれは彼の説の不備というよりも、彼の語るロゴスが論理の語り得る領域を逸脱していることに起因する。


 つまり、真理に向かう言葉の論理は火を火であると認め、同時にその流動的な性格を拒絶する。

 一方で困惑を導く迷妄の言葉は火の流動性を許容するが、決してそれを火であると断ずることはしない。

 そういう意味では、火に限らずこの世のあらゆる事柄がこんな風に論理と迷妄の間を揺れ動いているがために、我々はあらゆる事柄について一切を語り得ず、またそれゆえ全てはまさに火のようであるとも言える。


 さて、すると私たちの語る言葉というのは火の中に現れたものを暫定的に指し示す場当たり的なものでしかないわけなのだが……そういう言葉を用いる私たちには狭い領域の物事を指して、さもそれが全てであるように語るせっかちな性分が備わっている。

 そんな性分が、私たちに度々(臆見ではあるが)停滞を見出させ、そして火おこしに誘うのだ。


 だが、火おこしの試みの多くは、火を恐れる者たちによって制され、実を結ばないままに終わる。


 これから語るのは、そんな火おこしの稀な成功例である。



 私が語り終えると、お前たちは皆首を捻ることだろう。

 これは、火おこしというよりもむしろ火を絶やす話なのではないか、と。


 だが、揺るがぬ火であっても、あるいは、揺らぐなんらかであっても、それは火のようであって、真に火足り得ない。

 すなわち、揺るがざるものを探求することは、必ずしも火を絶やすことと同義でないということを理解すれば、これが火おこし以外の何物でもないことは分かられるだろう。


 あるいは、運動を捉えるにはその運動から離れた基準点を設ける必要があることを考えれば、自ずとこの物語が、そういう基準を明確に定め(この乱立する基準点を一つに収束させるプロセスが火を絶やすように映る)ることで、火の現れをより煌びやかにする試みであったことが理解されるはずである。


 その試みの名は……

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