chapter 15

「あの……」


 ガレージに辿り着いた田利本に女が声をかけた。

 女の後ろには彼女の他に十数人いた。

 彼らは年齢も性別もまちまちだったが、その顔つきと服装から、上位モデルのSAKURAを摂取する富裕層であることは明らかだった。


 かつてSAKURAの配給が始まってまだ間もない頃、彼らのような富裕層の人間は俗人の精神の衰弱を解せず、社会活動への参加を強いることを躊躇った。

 それは従来的な価値観に基づいて、精神的な自由を保障しようとした、悪意のない判断だったのだが、結果としてその判断は、どこまでも空虚な生へと身を堕としていく人々を見捨てたに等しかった。

 もっとも、仮に人々に労働を強制していたところで、状況が変わっていたとは田利本にはとても思えなかったが……しかし、やはりそういう理由で彼らのようなブルジョアを恨む者は少なくなかった。


 一昔前ならブルジョアが街を歩けば二度と立って歩くことは出来ないぐらいには痛めつけられていただろうが、あらかたの一般市民が先刻の男のように無気力化したことを知ってか、はたまた単なる無知ゆえか、彼らは無防備な割に小奇麗な恰好をしていた。

 そして、何不自由なくここまでたどり着いた様子だった。


「その娘が、常盤サクラですか?」


 田利本は察した。

 上位のSAKURAの供給を受けた富裕層は、上述の背景から結果的には労働力を失い、困窮したが、それでも庶民と違って精神だけはいっちょ前なので、その日暮らしに耐えきれず、暇を持て余しているのだ。

 古代ギリシャでは暇を持て余した者たちは物思いにふけり、それが哲学の始まりとなったというが、生命の危機から離れ、それでいて十分な娯楽に恵まれなかったならば、人が精神的な営みに傾倒するのは世の常というもの。

 そして、彼らは今まさにそのような特殊な閑暇に直面している。


 だが、彼らはあくまでもそうせざるを得ないがためにそうしているのであって、進んでその道を極めようとするもの好きとは違う。

 だからその営みにすら飽きて、実証も反証も不可能な手ごろな「答え」を定め、その答えに基づいた活動を実践しようとする。


 どうやらシキシマ秀典は、サクラを失った後の世界へのせめてもの情け、あるいはサクラの犠牲の上でのうのうと生きる者たちへの当てつけとして、SAKURAシステムに関する情報を公開したらしかった。

 というより、自分をもう後に引けない状況に追い込むための儀式のようなものだろう。


 結果としてシキシマの望まない形で公開された情報、「隠されていた真実」は、「答え」を決めかねていた者たちの目には、まさに自分たちが追い求めていた「なにか」そのものに映ったことだろう。


 答えを手に入れた暇人たちは、実践の段階に移った。

 目の前の人々にとって、この訪問もその一環なのだろう。


 ……だが、その「答え」が危うければ、そのための実践は過激なものとなる。

 こいつらに下手なことを言えば、なにをされるか分かったものじゃない。


 田利本はため息をつき、


「ええ」


 と、正直に答えた。




 それから田利本はガレージの前で彼らの話を聞いた。

 概ね、田利本の予想通りだった。


 サクラの幸福のために尽くしたいと言う彼らに、田利本は「それならなぜ大勢で押しかけて彼女を危険に晒すような真似をするのか」と嫌味のひとつでも言ってやりたかったが、そうやって問い詰めて、悲劇の少女に助力する自分に酔いたいだけだと認めさせることに大した意味を見出せなかった。


 彼らの利己心を忘却した都合のいい善意は田利本にとってなにより不愉快で、さっさとガレージの前から追い払ってしまいたかったが、どうしても常盤サクラを手放す決心がつかず、かといって、彼らに自分ひとりで彼女を保護するべき理由を並べ立てる気にもならなかったので、仕方なく協力関係を築くことにした。


 特に隠すものもなかったので、田利本は彼らをガレージの奥に通した。


 田利本はシキシマ秀典と親しかった人物として重んじられたが、他の者たちのようにサクラに対する熱い思いを語ることはしなかったので、交代でサクラの面倒を見たいという彼らの申し出を断ることは出来なかった。


 自分に代わってサクラの世話をする者を見て、彼女を自分の自由にできない歯がゆさを感じたが、そこに嫉妬の念のようなものは一切伴わなかったので、少なくとも自分が彼女に向けている感情は彼らとは全く違うものなのだとひとまず安堵した。


 時折サクラの肌に触れる者を見て、田利本は、彼らのサクラのためを思っての行動で彼女を意図せず苦しませるそのアイロニーに愉悦を覚えたが、それを指摘して彼らに自分たちの失態を気づかせてしまうと、分かっていながら雑にここまで運んできた自分が糾弾されるだろうことは明らかだったので、そうはしなかった。


 田利本にとって意外だったのは、彼らの中に性的な下心を持ち合わせた者がいなかったことであった。

 もちろん、いたいけな少女の幸福のために未来を捨てるという自己犠牲に満足したいという下心をもつ者がほとんどで、時折、少女との戯れによって寂しさを紛らわそうとしているような素振りも見受けられたが、サクラを捉える艶めかしい視線だけはひとつとして現れてこなかった。


 田利本には、それがかえって不気味だった。


 彼らの実践にそのような邪な気持ちは邪魔でしかないからだというだけだと、頭では分かっていてもなお不気味だった。

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